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初めてファンレターを送った話。


精神疾患を患ってから元気がなくて生活もままならない状態になった。

当たり前のことが当たり前にできなくなった。起きる、ご飯を食べる、お風呂に入る、歯磨きをする、寝る、生活の基礎にある行動へのハードルが高くなってそれを超えるために費やすエネルギー量がとてつもなく大きくなった。

面倒くさいとか、怠けているとは全く異なる状態だった。やりたくてもできない、身体と心が私の言うことを聞いてくれないような感覚だった。

心のうるさい声をかき消すためにあーっと叫びたくなり、それが落ち着くとぼーっと抜け殻みたいになることの繰り返しだった。

死んだら楽になるんだろうなと考えていたのに、いつの間にか死んでしまうんだろうなという感覚に陥っていた。

スピード出して走っている車に殺してみろよなんて思った。歩道橋の上から走っている車を見下ろして飛び降りたら死ねるのかななんて考えた。湯船に溜まった水を見て窒息死できるのかななんて考えた。泣きそうだけど泣けなかったし吐きそうだけど吐けなかった。

一週間後でさえ生きている感覚がなかった。だから未来の予定のために何かをすることに意味が見出せなかった。

今日が人生最後の日かもしれないとは思いつつも、だからといって何かを大きく変える特別な行為をするわけでもなかった。

今日死ぬかもしれないならば未来のことを考える意味がないよなと考え、明日でさえも生きている感覚がなかったくせに一週間分の食糧を買ったり、大容量の洗剤の詰め替えを買ったり、何してんだろうわたしという日々を過ごしていた。

外に出ることも人に会うことも怖くなってしまい、とうとう引きこもり状態になってしまった。

異常事態で通常の社会生活を送れる状態ではなかったのでそこから私に与えられたミッションはとにかく休むことだった。

この時に気がついたのだが、休むことは想像しているより難しかった。

本を手に取ったりテレビをつけてみたりしたが、普段ならリフレッシュの対象になるはずの読書でさえも集中できなかった。文字が全く頭に入ってこなかった。

テレビを見ててもぼーっとしてしまう。音楽を聴いても音が身体中を駆け巡るだけで私は抜け殻になった気分だった。

そんな日々を過ごしてしっかり休んでいると段々と日常生活を送るために必要なエネルギーは下がっていった。

睡眠は相変わらず不安定で外に出ることや人に会うことは怖いままだったが、食欲は戻ったことで一日三回食べるという楽しみが増えた。

少しずつ回復へと向かっている感覚があった。ただ、ここもまだまだ厄介な状況だった。多少なりとも元気になったことで頭や心が様々なことを考えたり感じたりする余白が生まれた。

その余白が生まれたことで少しの間忘れることができていた希死念慮が再び顔を出してきたのだ。

この希死念慮はかなり厄介だった。上手く行かないことがあるとすぐに死にたい思考に結びつけるのだった。

朝起きれなかった→死にたい
ちょっとつまづいた→死にたい

そんな些細なことで?と思われるかもしれないが、そんな些細なことでさえ死にたいに結びつけるので厄介だった。どのスタート地点を選んでも必ず死にたいというゴールに辿り着いてしまうあみだくじを行っているようだった。 

・・・

そんな時に出会ったのが「ぼっち・ざ・ろっく!」だった。とにかく最高な作品だった。一気見してしまったし、何周も何周も見直した。原作も、脚本も、音楽も、その他全てが素晴らしい上でのこの作品だと思うが、私が一番心惹かれたのが後藤ひとり(ぼっちちゃん)の声だった。

それから、ぼっちちゃんのお話が聞きたいと思いネットの海を冒険した結果、「ぼっち・ざ・らじお!」に出会った。そこで青山吉能さんという声優さんの存在を知った。

ぼっち・ざ・らじお!は、とにかく面白い。メインパーソナリティーの青山吉能さんと、交代制パーソナリティーの鈴代紗弓さん、長谷川育美さん、水野朔さんとの掛け合いがとにかく面白くてずっと聴いていられる。

そして何より!!!
青山吉能さんのぼっちタイム(青山吉能さんの一人喋りのコーナー)がとにかく最高に好きです。こんなに面白い一人喋りをできる人がいるんだと驚いたことを今でも忘れない。

青山さんは時よりネガティブなお話をされるのだが、それによって暗い気持ちにさせられたり、嫌な気持ちにさせられることがない。なぜだか心の底からパワーが湧いてくるような感覚にさせてくれる。感覚というか実際にとてつもない力をもらえる。

ネガティブな感情や希死念慮を忘れさせてくれる時間だった。

そんな「ぼっち・ざ・らじお!」によって生活にリズムが出てきたある日だった。

私のことを親友だと呼んでくれる人がいた。その人と毎週のように電話をしていた。人に会うことが怖くなっていた私にとっては電話で人と話すことはそのリハビリの一種だったのかもしれない。

その週もその人と電話をしようと誘ってみたものの返信がいつまで経っても返ってこない。一週間経っても返信がない。返信がないのにプロフィール画像は更新されている。おそらく無視されたのだろう。

過去のある一点で私と親友だと思ってくれた人が現時点で同じようにそう思ってくれているとは限らないということは理解していた。

私という存在と交わることが相手にとって負担だったり迷惑をかけているのだろうという感覚もあった。

家族以外で頼れる存在を失ったような気持ちだった。希死念慮が再び顔を出してきた。死にたくなった。死んでやろうと思った。この闇に落ちたら抜け出すのに時間がかかるのでここでいかに踏ん張れるかが大事だという夜がやってきた。

今まではこの解決策が分からなかった。

ただ、今の私には青山吉能さんがいた。
ぼっち・ざ・らじお!がいた。

その日の夜、青山吉能さんの一人喋りが、ぼっち・ざ・らじお!がいとも簡単に私を救ってくれた!!!

この時に青山吉能さんにいつか会えたり間接的にでもお礼を伝えることができる日のために今のうちから感謝を込めた文章を書いておこうと思った。

青山吉能さんは決して私の命を救おうとしてラジオで喋っているわけではない。しかし、どんな行動が、どんな言動が、いつどこで誰かの人生をほんの一瞬だとしても救っているか分からない。

小さく誰かに救われることの連続で人生は成り立っているのかもしれない。救われるだけではなくて自分が誰かの人生を小さく救っていることもある。両方ともに自覚するのが難しいからこそ相手に感謝を伝える行為はとても大切なのではないかと感じた。

今までの私なら色々言い訳を考えてやめていただろうが、今回の私は違った。きちんと感謝を伝える選択をしようと思った。



6/3
人生初のファンレターを送ろうかと思っている。ファンというにはおこがましいんだけどとにかく感謝を伝えたい。一番伝わる方法を取りたい。ファンレターがその最たる手段と確信できたら送る。勇気が必要だけど送りたい。言葉にしておくと願いは叶うよね?



そう日記に書いた。言葉にしてからの私の行動は早かった。幸い便箋は家にあったので買いに行く必要はなかった。

そもそもファンレターを送っていいものなのか、どこに送ればいいのか分からなかったので、青山吉能さんが所属している81プロデュースのホームページを訪れた。

そこから青山吉能さんのページに移り、一番下までスクロールすると「ファンレター宛先」と書かれた箇所があった。その下には事務所の住所が書かれていたのでここに送ればいいのだということを知った。

すぐに手紙を書く作業に移った。初稿はすぐに書き終わった。感謝の気持ちが一気に溢れ出した。書き終わった手紙を読み返して推敲するべきが悩んだ。

推敲すればするほど伝わりやすい文章に近づくと思うんだけど手紙の場合は熱量が減っていく感じがしたからだ。

あとは青山さんが仮に読んでくださるとして、青山さんにとって迷惑にならない文字数が分からなかった。書きたいことはたくさんあったけど青山さんお忙しいだろうし、サクッと読めるくらいがいいのかなという結論に落ち着いたのでかなりの文章を端折った。

感謝のファンレターは結局手紙五枚分になっちゃったけど読んでくださって感謝の気持ちが伝わるととても嬉しいと思った。

あとは手紙をポストに投函するだけだった。

切手を買っていなかったので郵便局の窓口に出しに行くので割と気合いが必要だった。人に会って人と話す必要があるからだ。

変な言い訳持ち出してやっぱりいいやってならないように、負けないでね明日の私!とエールを書いてその日は眠った。

次の日いつもより身体が軽かった。郵便局が営業を開始する時間に合わせて家を出た。病院の日以外で外出するのは久しぶりだった。

ここ半年くらいは元気がなかったことに加えて、外に出ることも人に会うことも怖くなっていたので全然外出できていなかったし、外に出る時も家族に連れ添ってもらっていた。そんなこともあって久しぶりに一人での外出なのでちゃんと郵便局に行って帰ってこれるかとても不安だった。それでも手紙を出して感謝を伝えたいという気持ちが私に勇気をくれた。

外出時間は三十分ほどだったと思うが無事にファンレター出すことができた!実際に読んでくださるか、気持ちが伝わるか、それは分からないけど私にできることはやったので満足だった。ちゃんと事務所に届くか不安なので特定記録のオプションをつけてもらった。

次の日ファンレターが無事に事務所に届いたことが特定記録によって確認できた。一安心と共になんだか緊張してきた。本人からリアクションがあるものではないので緊張しなくていいし、私にできることは全てやったのであとは願うことしかできなかった。

精神疾患を患ってから自己の内に欲求としてやりたいことが現れてもそれを実現する能力が今の私には欠如しているんだと実感して落ち込む日々が続いていた。

しかしその日々を打破できたのがファンレターを送ると選択した経験だった。自己の内に現れた「やりたい」という欲求を自己の外で経験として達成できた。それ自体は元気な時には当たり前だったかもしれないけれど、今の私にとってはとても自信がついた経験だった。

身体を使って心の欲求に応えることができたとも言えるのかもしれない。不健康な時には身体をうまくコントロールすることが難しいので、それがある程度思い通りにコントロールする経験ができたことは今の私にとって大きな意味を持った。

・・・

あれから一ヶ月ほど経った。

身体の状態も心の状態もかなり回復してきた。

希死念慮に対しても、私は死にたくないよと反応できるようになってきた。

またいつ何時身体と心が言うことを聞かなくなるか分からない。希死念慮に支配されるか分からない。そんな時は何度だって青山吉能さんが、ぼっち・ざ・らじお!が私を救ってくれるだろう。

人の命の救い方は何通りもあるのかもしれない。誹謗中傷が容易になった結果、言葉で人を殺すことができるようになってしまった現代だが、その反対に言葉で人の命を救うこともあるんだなと実感した。

死にたかった人を、死のうとしていた人を、生へと向かわせる力が言葉にはあるのかもしれない。

引きこもり状態にあった私の身体をファンレターを送るという選択が私を外へと導いてくれた。

そんな力を私にくれた青山吉能さん本当に本当にありがとうございます。

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