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正解か不正解かで生きている私達

YouTubeで流れてきた動画に『ソフト老害』という内容のものがあった。
年齢的に30~40代が10~20代に放つ言葉に老害に値するものがあると。

10~20代の世代が感じる『老害』の内容を聞いていて、私個人としては、
「それって自分の気持ちを相手に伝えてみてから、老害かどうか判断したらいいんじゃないかな?」「何も行動しないで、何でもかんでも悪にするって、どうなんだろう?」と思ってしまった。

だから、20歳の息子の意見を聞いてみることにした。

息子としては、やはりその若者たちが言っていることに同意できるらしい。

そこで上記の通りの私の意見を述べてみた。
それを聞いての息子の言葉に、やっぱりそこか~!と頷いてしまった。

『学校にいる限り、正解を求められる。そういう教育を受けてきたから、みんな正解不正解で物事を考えるようになっているんだと思う。』

妙に納得してしまった。

海外だと、子どもの主張を大切にし、失敗から学ぶことにとっても寛容で、大人が失敗する場面をしっかりと子どもに見せる国もあるらしい。

日本は成長するにつれ、失敗を許されないように感じるのは、決して私だけではないと思う。

だから、『老害』や『ハラスメント』や『正義中毒』のように世間一般的に正解となっていることから外れた言動に対して、批判や誹謗中傷によって自分を優位に立たせたりしてしまうのだろうか?

でもそれって、決して正義で正解でもなければ、幸せでもないと思う。

ここ数か月、豊かな人生をおくることをテーマとしたワークショップに参加していて、世界の教育についても学びながら参加者で色々と話をしてきたこともあり、私が教育という言葉に敏感なのかもしれないけど、正解不正解の二択で生きるほど窮屈な生き方はないな、と感じている。

私は、誰もが寛容で相手を勝手に判断しない、むしろ『そんな考えや生き方もあるんだ!私には理解できないけど、あなたは幸せそうだね!面白いね!』と言い合えるような世の中になればいいな、と思っているし、そんな環境を人間関係を自分の周りに作っていきたい!


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