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地元で就職することにしました

 あけましておめでとうございます!
 年明けは地元にある海沿いの神社で、後輩と迎えました。「初めての神社で初詣!」と意気込んでいましたが、貧弱なので強風に耐えられずにすぐ退散しました(写真はその後に行った別の神社)。
 今年は就職活動・卒論とこれまでよりも忙しい年になります。「転職が当たり前」と言われる時代ですが、人生の多大な時間を占める職業を決めるということはとても重要なこと。自分が就きたい職業は新卒でないと入れないので、一層気を引き締めなければなりません。今までだらしない生活をしていたのに、突然「きちんとしなければならない」なんて、怠惰な自分には酷な話です。

 9月、就職先を都会ではなく、地元にすることを決めました。僕の地元は港町で、北日本でも大きめの工業都市です。東京・札幌も視野に入れて熟考しましたが、結局戻ってくることにしました。母親や親族は喜んでいました。父親の感想はまだ分かりません。きっと良いとも悪いとも言えない反応をするのでしょう。
 中学・高校の旧友に「地元で就職することにした」と言うと、決まって「え?」と返ってきます。「こんな何もないところに住むの?」「帰ってきて何やるの?」「ジジババしかいないじゃん」など、色んな意味の反応でしょう。

 理由はいくつかあります。
 大きいのは、都会で住むのは息苦しいと感じたからです。都会は新しいもの、お洒落なもの、たくさんの人で溢れていて、輝いています。最初こそ楽しかったものの、次第にその情報の多さで目眩を起こしそうな気分になります。人も集まるということは、様々な種類の人がいて、自分は彼らと比較しては勝手に落ち込んでいます。それが苦しい。交通やモノで見たら暮らしやすいけど、精神的には暮らしにくい。
 人生の目標を「足るを知る人間になる」と定めた時に、自分の生活を送る場所は地元で十分と感じました。

 親と離れた生活が想像できなかった、ということも理由の1つです。僕の母親と祖父母は同居こそしていないものの、頻繫に会ってはお茶したり、手料理を互いの家に持ってきています。それを見て育ってきた僕は、気軽に親と会えないことは想像しにくかったのです。腐っても親は親、他人じゃない。年々、体調が優れなくなる両親を置いて、離れた土地で働くことをあまり良いことと思いませんでした。
 他にも好きな人がいるとか、奨学金の返済が楽になるとか、入りたい会社があるとか、土地勘とか、理由は様々あります。

 強がりではありませんが、別に僕の地元は何もないわけではないと思います。これは僕の地元だけではなく、他の地方にも言えることです。

「わざわざ帰省して何もねーって言い張る人たち、地方を楽しむ感性が乏しくて分かりやすいものしか好きになれないミーハーしかいねーなってこっちも思ってるよ……」

 知り合いの発言です(バレるのを防ぐために知り合いと曖昧にしました、勝手に言葉をお借りしてすみません)。自分がずっと思っていたことが上手く言語化されていたので引用しました。その通りだと思いますし、難しいかもしれないけど、何もないと思うのなら自分自身が何か作り出せばいい。「何もない」と嘆くのはその努力をした後でいいし、努力が実を結ばず廃れていくとしても、それはそれで(味と言っては失礼かもしれませんが)何かがあると思います。
 栄えるもの、廃れていくもの(ここでは都会と地方)。それぞれに異なる良さがあって、一点だけを比較して良し悪しを決めつけられるほど単純ではないと思います。古きもの、廃れていくものの全てが悪しきものではありません。

 今は「自分の地元は何もないな」と感じる地方出身の若い人や旧友たち。今はそう感じるかもしれないけれど、いつか良さに気付くと思うよ。
(上から目線みたいでごめんね。地元、結構有名で、札幌に住む大人の方との会話で地元の名前を出すと「知ってる~!」と仰ってくださいますよ)


最初にも書いた通り、就活・卒論があります。ただでさえ遅い執筆のペースが更に遅くなかもしれませんが、少しずつnoteに投稿していきたいと思います。
今年もよろしくお願いいたしします。

P.S.
僕と同じく就活生になる方々へ。就活解禁の前に、朝井リョウの『何者』を読むと良い経験になると思います。是非、読んでみてください。

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