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ぐるぐる話:第36話【女将の涙】 @3321



朝食をすませ部屋にもどった木綿子、龍之介、杏は、スイッチはいれたものの誰にも見てもらえないテレビから流れてくるニュースを見るでもなく聞くでもなく、それぞれががそれぞれに女将からの連絡を今か今かと待っていた。


窓際の障子をすべて開け放った窓の向こう側には、夜とはうってかわって煌びやかともいえる様々な種類の楓の葉っぱが機嫌よさそうに揺れている。窓の外をぼんやりと眺めていた木綿子が、突然思い出したように言った。


「そうだ・・・そういえば・・・龍ちゃん・・・昨夜、あたしのことスターピープルだっていってたけどさ、その根拠はなんなんだい?そういえばそうだったよ・・・その話をしてたところに、杏が血相かえてやってきて話が中途半端の尻切れトンボになっていたじゃないか・・・まったく・・・いやだね・・・そんなこともすっかり忘れちまうくらい頭に血を上らせるなんてさあ・・・いい年して・・・恥ずかしくなるね・・・まったく・・・龍ちゃん・・・その話の続きを聞かせておくれよ・・・」


「ああ・・・そういえばそうでしたね・・・でも、もうそろそろ女将から連絡がくるでしょうから、その話は戻ってからにしませんか?僕もそのほうが落ち着いて話ができそうだし・・・」



「ふうん・・・そうかい・・・まあそうだね・・・逃げるもんじゃないんだしね・・・何もいま慌ててその話をしなくてもいいやね・・・。じゃ、龍ちゃん、部屋に戻ったら私にもわかるようにちゃんと説明してくださいよ!」



「もちろんですよ・・・木綿子さんのような人にはちゃんと自覚したうえで活躍してもらわないと・・・って思っているんですから・・・」



龍之介が言い終えると同時に、部屋の電話が鳴った。木綿子は立ち上がり受話器を耳元へあてる。


「ええ・・・はい・・・わかりました・・・ではただいま・・・」

静かに受話器をもとにもどした木綿子は、こちらへ向き直ると小さくうなずきながら龍之介に目で合図をした。


「じゃあ、いってくるからね・・・杏はお風呂でも散歩でも好きなことして待っててちょうだい・・・心配いらないからね・・・私にまかせておきなさい・・・。」


そう言い残し龍之介と木綿子は部屋を出た。







誰もいない、卓や座布団が片づけられた宴会場は、ふだんよりもうんと広く見える。木綿子はたったひとつ置いてある卓の前におかれた座布団の上に“よっこらしょ!”と言いながら腰をおろした。龍之介は木綿子のとなりに胡坐を組んで座った。


間もなく女将がやってきた。手には宿泊客には使用しないだろう小さなお盆を持っている。音もたてずに木綿子のすぐわきに膝をついてお盆を畳の上の置くと、両手で厳かに白い湯飲み茶碗と茶請けを卓の上にそっと置いた。立ち上がり龍之介のほうへ移動しようとする女将を木綿子は手で制して言う。

「ああ・・・女将・・・お気遣いは嬉しいけど、そんなしゃちこばらなくたっていいですよ・・・採って食おうなんて気はさらさらないんだから・・・はい・・・ここに置いてくださいな・・・私がそっちへ渡すから・・・」


そういわれた女将は木綿子にいわれた通り、もうひとつのお茶も木綿子の前にそっと置く。木綿子はそれを女将と同じくらいやさしく龍之介の正面に置くと同時に笑顔を見せた。


「あらやだ・・・雪志野じゃないか・・・女将・・・あなた・・・本当に何から何までいいご趣味だこと・・・ここへ着いてからずっと驚きっぱなしですよ・・・あたしね・・・ここだけの話だけどね、焼き物の中でいちばん好きなのがこの志野焼きなのよ。中でもいちばん好きなのが雪志野・・・このぽってりとした感じとさ、雪みたいな優しい白さがたまらなくてね・・・余計な話だけどね、うちの食器はこの志野焼きと織部焼きだけ・・・これね・・・あたしのちょっとした自慢なの・・・ふふふ・・・女将も相当お好きだろうから私のこの拘りわかってくれるんじゃないかしら・・・?」


「そうでしたか・・・同じです・・・志野と織部から感じる優しさみたいなものが私も大好きです・・・まあ、お客様にお出しする食器では使ってはおりませんが、中のものたちとの食事は全て志野と織部です。」


先ほど帳場でやりとりをした時とは、別人かと思うほどに相好を崩しながら女将がいった。


「そうですか・・・なんだか嬉しくなりますよ・・・。男どもってのは、こういうものに対する想いが弱くてね、光ちゃん・・・あ・・・主人なんですけどね・・・うちの人なんか、そりゃもう扱いは乱暴で陶器の「と」の字もわかっちゃいないんですから・・・。もうずいぶんと昔の話になりますけどね・・・ふたりで岐阜へ旅行へいった時に、ちょうど窯元さんでぽっこりしていてほんとに可愛い湯飲み茶碗に出会ってね・・・大喜びで買ってきたんです。


旅行から戻ると仕事やら町内のことやらで、ちょっとバタバタしていたもんだから、その雪志野のお湯飲みをね・・・箱にいれたまんま暫く台所の隅に置きっぱなしにしてあったんですよ・・・。


あたしはね・・・陶器をおろすときはね・・・お湯でぐつぐつはしないんです・・・ゆっくりと陶器と話をしながらウチの子になってほしいもんで、たっぷりの水につけて半日間ウチの子になる心積もりをしてもらっているんですがね・・・とにかくあの時はバタバタしていて、それがなかなかできないでいた・・・


そうしたらあるとき、私の留守中に急な来客があったらしくて、うちの人がその買ってきたまんまの雪志野をじゃぶじゃぶ水で洗って熱いほうじ茶なんか煎れてくれたもんだから・・・もう・・・せっかくの雪志野に茶色の模様がはいちまってね・・・そのあと大喧嘩になったんですから・・・まあ・・・怒っているのは私ばかりでね・・・うちの人は抗戦一方なんですけどね・・・。」


小さく頷きながら話を聞いている女将の顔にはもう、先ほどまでの緊張した様子はなかった。話を聞いている女将は、お隣さん同士がお喋りをするような親しみの表情を浮かべながら、木綿子と窓の外を交互に見ては小さく頷いていた。木綿子のほうも、昨日までの女将に対する怒りのような気持ちは消えうせ、話し合いをするこころの準備はしっかりとできあがっていた。そこにはすでに優しい気が流れ始めている。


宴会場に入ってからずっと無言でいた龍之介は、木綿子がその場を支配する様子に驚いていた。まったく、この人のこの誰のこころの中にもすっと入り込んでいくテクニックは、一体全体どうなっているのか・・・たとえ木綿子と同じ年齢になったとしても、こうは同じようにはできないだろうな・・・とただただ感心するばかりだった。


「さてさて・・・じゃあ・・・そろそろお話を聞かせてもらってよろしいでしょうかね?お恥ずかしい話しですけどね、今朝は私もちょいと感情的になっていたから、女将にたいしてもずいぶん失礼な口を叩きましたけどね、女将にも女将の言い分ってものがきっとあるはずでしょうからね・・・そこのところをぜひ聞かせてもらって、私を納得させてほしいんですよ・・・」

優しい口調で木綿子がいうと忽ち、女将の顔からは笑顔が消えうせ、代りに大粒の涙がはらはらと零れた。あまりにも予想外の女将のようすに木綿子も龍之介もほんの一瞬のあいだ言葉が出ない。


ひとしきり泣いて気がすんだのか、着物の襟の中から小さなハンカチを取り出し涙をぬぐいながら女将が言う。


「ちょうどもう潮時だと思っていたところなんですよ・・・だからこうしてお話させてもらうことができて、よかったのかもしれません。すみれちゃんだけなく従業員にも、申し訳ないことをしているっていう自覚はあるんですよ・・・ただね・・・こうなったにはこうなったの訳があるんです。その訳を聞いてくださるっていう解釈でよろしいんでしょうか?」


涙をぬぐいながら女将が木綿子を見て言った。


「ええ・・・もちろんですよ・・・もしも私たちに何かできることがあるんでしたら、もちろんお役に立ちたいっていうつもりでお話しにきているんですからね・・・。」


木綿子のその言葉を聞くと、女将はまたも大きな瞳に涙をいっぱいに湛えると天井に顔を向けと大きく深呼吸をした。



【 第36話につづく 】3294文字

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