今までの仕事の話(2)

前回に引き続き、今までの仕事のお話を書いていこうと思います。


前回のあらすじ

  • 大阪府で小中高を卒業し、一浪の後に兵庫県の私立大学に入学

  • 大学卒業後に大手SIer子会社に入社

  • お客様先の工場に放り込まれたり、システムの要件定義から導入を経験したり、保守運用を経験したりする

  • 保守運用に飽き飽きしてきているにも関わらずローテーションもなく、当時の上司と反りも合わなかったため転職を決意

転職活動

2社目に転職するにあたり、私は某R社の運営している転職サイトを利用しました。
転職エージェントも利用していたような気もするのですが、最終的には転職サイトで応募して内定をもらった人材業界の事業会社に入社を決めました。
(転職活動を通じて知りましたが、自社のサービスを持っている企業でも割と他社のサービスに募集をかけるんですよね。)

当時の私に今の私が言いたい。
転職エージェントに紹介してもらった会社の方が、おそらく良かったぞ」と。
まぁ、当時の仕事に辟易していたため、一刻も早く転職先を決めてしまいたかったこともあり決めましたが、あまりにも早計だったとしか言えません。
詳細はこの後に語りますが、この転職は失敗でした

社会人(2社目:事業会社社内SE)

入社

上記でも一部書きましたが、2社目に入社を決めたのは下記の理由からです。

  • 早く転職してしまいたかったところに内定が出たため

  • 想定時間の残業をすれば、残業代を含めた年収が現職と同程度だったため

  • (一応)手広く事業を展開しており、システム投資も多く、上流工程に関われると言っていたため

実際のところはどうだったのかは以降に記していきたいと思います

お仕事内容

実際のお仕事内容といえばほとんどが保守運用だけでした。
苦痛でしかなかったです。
一応、新規導入したパッケージソフトの利活用支援などもしていましたが、それ以外はほとんどが面白みの無い保守運用作業で、2社目での仕事を楽しいと思えた瞬間はほぼなかったです。

残業

残業しようにも特に大きな仕事やプロジェクトを任される訳でもなかったため、入社してから半年近くはほぼ無かったです。
その後も元々想定していたほどの残業は無かったです。
ただ、そのせいで残業代がかなり少なくなったため、実質的な収入は激減してしまいました。

給料

前述の通り、残業代が少なかったため激減してしまいました。
また、2社目のセコいところが、手当で給与を水増しして基本給は低く設定していたところですね。
(他の企業でもしていることでしょうけど、実際に食らうとキツかったです。)
2社目では「地域手当」という、居住しているエリアの物価などを考慮して設定するという名目の手当でした。

基本給を低く設定することの企業側の大きなメリットは2つあります。

  • 残業代は基本給をベースにするため、1時間あたりの残業代を低くできる

  • ボーナスも基本給をベースにするため、ボーナスを低くできる

2社目の間接部門の評価制度も曖昧で「残業している人間は頑張っている」という感じが強かったため、私はあまり良い評価を得られませんでした。
(直接部門というか営業は案件獲得数などのノルマの達成度合いなどで評価されていたはずです。)
そのため上記の2つのあおりをもろに食らった私は年収が150万円ほど下がってしまいました。

一緒に仕事をする仲間

最悪」の一言に尽きます。
それぞれが協力するなんて発送はほぼ無く、初期に私が分からないところなどを聞いても「邪魔すんなよ」って空気で雑に扱われる感じでした。
また、残業もほとんどしてないのを「残業しろよ」的な目で見てきて、本当に嫌でした。
(一応言って起きますが、最低限のことはやってます。)

上司となる課長もなんだかぼんやりしており、ろくなサポートもしてくれず、好きにはなれませんでした。
というか、逆に嫌いでした。
一番嫌だったところは、仕事とは関係ないのですが、昼食の弁当を自席で食べる際にインスタントの納豆汁を真横で飲まれてたところですね。
補足:両親ともに納豆を食べる習慣がなく、私自身も納豆を食べないため、私は納豆の臭いが駄目です。

全員がこういうタイプの人では無かったものの、「なんか違うな」という気持ちが日に日に増していきました。

社風

こちらも「最悪」の一言に尽きます。
営業第一主義のような雰囲気が強く、私の所属していた社内SEの部門などは「原価」と呼ばれていました。
確かに原価にはなっているので間違ってはいないと思いますが、間接部門のことを稼ぎのない金食い虫みたいな感じで扱っている感じでしたね。
この社風が私は大嫌いでした。

内部に入って私が感じた「2社目の実態」を書くと下記のとおりです。
(現状はどうなっているか知りませんが、10年近く前の話だと思ってください。)

  • 最大手のライバル企業の後追いしかできていない
    (ライバル企業といっても相手はもっと他業種に渡って活躍してますが。)

  • 人海戦術でなんとか食らいついている。
    (内部事情は知りませんがライバル企業はおそらくかなり効率化しているはずです。)

  • ライバルがやっていないことに手を出してみるけど、だいたい赤字事業になる。
    (現状はわかりませんが……)

そして再転職へ……

1年が経った頃には「これ、転職ミスったな」と思い、再度転職に向けて動き出しました。
そして、1年半が経った頃には現職の内定が出て有給消化に入っていました。

1社目は8年、2社目は1年半在籍していたのですが、文字数にすると2社目の方がボリューミーになってしまいました。
それくらい2社目には言いたいことがありましたと言うことでもあります。

次回予告(3社目・現職)

今回はこのあたりで終わり、次回に持ち越したいと思います。
次回は3社目、かつ現職(休職中)である大手コンサルティングファームSEのお話を書きたいと思います。
現職なのでここはかなりぼかして書きたいところですが、ぶっちゃけたいこともかなりあるので、結構書いてしまうかもしれません。
それが真の意味でリハビリになるとも思っているので。
あと、なぜ「コンサルティングファーム」で働いてるのに「コンサルタント」ではなく「SE」という言葉を使っているかも次回書きたいと思います。

では、良ければ次回も読んでやってください。

おまけ

正直なところ、2社目に関しては名前出してやろうかとも思いましたが、身バレを防ぐのと誹謗中傷だと言われるのを防ぐために伏せておきます。
まぁ、ちょっと調べればどこの企業かは分かると思いますので、名前を伏せてる意味はあまりないのかもしれませんが……

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