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BUMPは青春の残りカスなんかじゃなかった

中学生より前の記憶が全然ないんだけど、BUMP OF CHICKENが好きだったことは覚えている。

きっかけは友だちの部屋に置いてあった「orbital period」というアルバムだ。そのCDには馬鹿みたいに厚い歌詞カードがついていて、寂しい王様の話が綴られていた。その友だちと一緒にアルバムを聴いた。

voygerのやさしい歌声。星の鳥という長い前奏からメーデー。才悩人応援歌、プラネタリウム、supernova ……。それらの曲は、当時中学2年生だった僕の心に深く突き刺さった。

母親がオダギリジョーの大ファンで、僕もドラマの『天体観測』を見ていたから、そのドラマと同名の主題歌がBUMP OF CHICKENによるものであることは知っていた。でもそれ以上は知らなかった。当時持っているCDといえばORANGE RANGEとケツメイシだけで、ほとんど音楽に興味のなかった僕が、熱心に音楽を聴くきっかけとなったのは間違いなくordinal periodだった。

BUMP OF CHICKENの歌詞はめちゃめちゃキザだ。ナルシズムにまみれている。けれど、それがギリギリのところで嫌らしくないし、ダサくもない。いや、ちょっとダサいかもしれないんだけど、その塩梅がちょうどよい。中二病っぽいんだけど、なぜかちょっと大人っぽい。そういう独特のバランス感覚が好きだった。

色んなアルバムを買った。「FLAME VEIN」が荒々しくて、こんなゲインまみれの音楽も作っていたんだなとびっくりした。でもそれも、すぐに好きになった。好きなのは、アルエ、リトルブレイバー、とっておきの唄。くだらない唄は、BUMP OF CHICKENの中でも一番好きな曲だ。もう何千回聴いたかわからない。元気がなくなってしまったときに、暗い部屋にこもってヘッドフォンでこの曲を何度も聴いたことだってある。

神様見渡す限りに
きれいなタンポポを咲かせてくれ
僕らが大人になっても
この丘を忘れぬように
(BUMP OF CHICKEN「くだらない唄」)

この部分の歌詞を歌うたびに、僕がまだ子どもであることに安心していた。「かみさまぼくはふるえてる 背広もネクタイも見たくないよ Tシャツに昨日しみ込んだ タンポポの匂いが忘れらんない」という歌詞を、自分に重ね合わせて歌っていた。今思うと、大人ってそんなに悪いものでもないし、子どもの延長線でしかないよなという感じなんだけど。

ゆっくりとBUMPのことが好きになっていった。「THE LIVING DEAD」も「jupiter」も「ユグドラシル」も大好きなアルバムだ。彼らが過去に歌った僕の知らない曲を見つける度に、そして新曲を発表する度に、僕の頬は思わず緩んだ。

僕は、ファンとしては新参者の部類に入ると思う。僕が5歳の頃にデビューアルバムを出したバンドを知ったのは、僕が14歳の頃だった。

そして、25歳になる僕が、ずっとずっとBUMPを追いかけられてきたわけではない。

BUMPを好きになるきっかけをくれた友だちは、中学校の友人グループで中心的な存在だった。今何してるんだろう。彼とは、近所のカラオケに2人で行ったことがある。「BUMPしか歌わねえぜ!」といってフリータイム8時間ぶっ通しでBUMPだけを歌った。高校のときの音楽好きな友だちとも、そういえばBUMPを死ぬほど一緒に歌った。はじめて行ったライブはBUMP OF CHICKENで、当時好きだった女の子と一緒に行った。「当時好きだった」と書いた瞬間になんだかちょっと悲しくなってしまったけど、とても良い思い出だ。帰り道にくだらないことで喧嘩してしまったことも、鮮明に覚えている。

よく考えると、僕がBUMP OF CHICKENを好きだった期間って案外短いんじゃないだろうか。青春時代があまりにも濃密で、だからずっとずっと好きだったような気がしているだけなのかもしれない。「COCOSMONAUT」が発売されたのは高校2年生の冬だった。もちろんすぐに買って、飽きるくらい聴いた。「合図決めておいたから お互い二度と間違わない」で始まる長い長い宇宙の旅。初期のBUMPの荒々しさはほとんど脱色されているけれど、アルペジオを多用する優しい曲作りが好きだった。もちろん「モーターサイクル」みたいにちょっと尖ってる曲も好きだった。

しかし、それ以降はBUMPの曲をめっきり聞かなくなってしまった。いや、正確に言うと「新曲」を聞かなくなってしまった。「ゼロ」も、「RAY」も、何かが違ってしまっていると感じた。

BUMPは変わってしまった。僕はそう思った。「もしかしてBUMPはずっと変わっていなくて、変わってしまったのは僕の方なのでは?」と考えてもみた。しかしそれは両方当たりで両方外れていて、僕もBUMPも変わってしまったんだろうなと思った。

「変わってしまった」と書くとネガティブでいけない。青春を終えた僕は違う何かを探しはじめたし、BUMPも違う音楽を探しはじめた。何も悪いことではない。僕がBUMPに「変わらないでくれ!」と願うことはできない。それに、COSMONAUTのときは変化を喜んでいた。いったい、何が変わってしまったんだろう。

その後は、思い出したようにBUMPの過去の曲を聴きながら生活していた。新曲の情報は、一応見てはいたけど、数回聴いてもう聴くことはなかった。あんなに好きだったBUMPのことが好きじゃなくっていることが、とても悲しかった。ファンならどうなっても好きで居続けるべきだ、というのも一理あると思うんだけど、僕はどうしても、もうBUMPのことがそれほど好きじゃなかった。

高校を卒業して、大学に4年間通って、初めての職場で2年働いて、今の職場で1年弱働いた。その間に、数えきれないくらいたくさんのことが通り過ぎていった。その中にBUMPはいなかった。もしかすると、BUMPって僕の中で青春の残りカスみたいなものなんじゃないか?そんなことを考えたこともある。その事実が、ずっと辛かった。

しかしそんな僕が、再びBUMPと「合流」できた曲がある。

それが2018年末に公開された「新世界」だ。

ロッテのプロモーションアニメに書き下ろした新曲。曲名よりも、サビでも歌われている「ベイビーアイラブユーだぜ」というフレーズの方がキャッチーで覚えている方も多いかもしれない。

君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ
頭良くないけれど 天才なのかもしれないよ
世界がなんでこんなにも 美しいのか分かったから
(BUMP OF CHICKEN「新世界」)

歌詞を書き写しているうちに、肌が粟立ってきた。すごくキザで、ナルシストで、けれどギリギリのところでダサくはなりきらないこの歌詞。この雰囲気がずっと好きだった。戻ってきた。僕は勝手にそう感じていた。別にBUMPは戻ってきたわけじゃなくて、ずっとずっとそう歌っていて、僕がそう感じ取れなかっただけなのかもしれない。でも僕は明確に戻ってきたと感じたし、合流できたなと思った。

深夜に動画が公開されているのを発見した僕は、何度もなんどもこの曲を聴いた。中学生の頃のことを思い出して、電気を消して暗い部屋で聴いてみたりもした。頬はゆるみっぱなしだった。感動でぞくぞくするなんて、もう何年来も経験していなかった。

ベイビーアイラブユーだぜ。中学生どころか小学生でもわかる愛の言葉に、ぶっきらぼうに「だぜ」と付ける。優しい藤くんの声。そのすべてが何もかも最高だった。僕は僕の青春時代にダイブしていた。やっぱりBUMPって凄えよなって、中学生の頃の僕は高校生の頃の僕に心から言える。

嬉しくて泣いてしまえるというのは、とても幸福なことだと思う。その日僕は、幸せな気持ちで枕を濡らしながら眠りについた。

ベイビーアイラブユーだぜ。この世界は最高だ。

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