20230503

どこから書こうか、迷う。ここのところ環境も体調も大きく変化して心が全く追いついていない。それを表すかのように他人の記事を見るために開いたnoteで過去の自分と対峙して、その溌剌とした文章に驚く。もう理不尽をなんとか乗り越えていたあなたはいません。一度壊れて再構築しているわたしがいます。前回、8月末に更新してからのことをカメラロールで思い出せる範囲で残しておく。誰のためでもなく自分のために今後必要に思う。次に読む時のわたしが健やかでありますように。

9月に入ってすぐに、大学の友人と4人でキャンプをした。澄んだ自然の空気を浴びて美味しいご飯を食べてくだらない話で笑う。それだけでなんとも言い難い浄化作業のように感じられた。大学時代、4人とも地方から一人暮らしをしていたこともあり頻繁に旅行をしたり誰かの家に寝泊まりしていた。それもあってか未だに寝食を共にすることに違和感がなく、心地よさすらある。夜の焚き火、流れ星が見えるほどの星空、牧場の乳搾り、誰と行くがでこの充実度は大きく異なるのだろうなとアクティビティの度に思った。好きなひと達と好きな場所で好きに出来て本当に嬉しかった。

そのうちの1人の結婚式が月末に行われてウェルカムボードを描かせてもらった。仕事の繁忙期と重なったことと進捗の見積もりが甘かったことで前日夜のギリギリまで取り組むことになったが無事完成して喜んでもらえたので良かった。その他の2人と計画していたサプライズ動画や受付仕事も恙無く済ませて、例のごとく両親への手紙や親御さんからの言葉でほろりときた。正直他の式で長過ぎる披露宴や過剰な演出、反応に困る余興等さまざまなものに出会ってきて、お呼ばれに苦手意識を持っていた。しかし、かなり仲の良い友人で親族と最低限の友人、内容もシンプルで過去一に良かった。というか泣いた。

と同時に自分は式も披露宴もしたくないと気付くことが出来た。それは内容がこれだけ良くても、自分に当てはめることが出来ず、むしろ誰にも気付かれずに入籍してみたいと思ったからである。過剰なまでの自意識そうさせるのか。大きな音や大人数や、カメラ、匂い、光などその全てに居心地の悪さがあるのだと認識していたが相違があった。親族だけに絞って、静かに執り行なったとしても自分中心に物事が動くことが心の底から居心地が悪い。親のためにしたとしてもそれは個としての自分の考えを否定することになってより一層つらい。そんな日が来るかもわからないままフォトウェディングにしようと心に決めた。

10月の始めはcreepy nutsのANNライブビューイングに行った。リスナーもトークもひたすらに笑って歌でボルテージが上がって本当に良い空間だった。仕事帰りと思しきサラリーマンや老夫婦、ギャルカップルなど映画館で行われたが、聴いていない人からしたらなんだこの集まりは、と思われるようなメンツか座席に揃っていてそれも良かった。

この他、パートナーと公園で猫を愛でていたり高校の友人の結婚式の2次会に呼ばれて地元に帰っていたりと、仕事以外はわりかし充実している。この辺りから春から同棲しようかという話が出始めて、念のため親に報告していたりする。父のスケジュールが何処までも合わなくて会う気がないな?と気付き始め、母がこちらに来るように作戦を講じるが天候で断念するというちょっとしたハプニングはあった。今思うと、実家に突然行けば良かった。そして日程が伸びに伸びてこの件が解決するのは年末になる。ああなんてくだらないことに悩んでいたんだろう。もはや羨ましい。

ここまで書いてこのペースで5月まで記すと全く進まない上に、思い出しながら残す作業は脳疲労が大きいので一旦終わろう。ともかく10月までは仕事がつらくとも心を壊すほどではなかった。プライベートもわりと楽しむ余裕がある。余力がある時に11月から年明けくらいまでを振り返りたい。


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