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おと

はじめに言葉ありき。

言葉があるとは、つまり、
声があり、
音があった。

この世界の物質とは、
何を現したものだろう。

見えるから音になったのか。
音が形作ったのか。


言葉って、何だ。


例えば山。

山なみを線で表した象形文字。

でもきっと、【や】【ま】という音が先にあった。

はっきりした音ではなかったのかもしれない。
それでも、何か【や】のような音と、【ま】のような音で表した。

では、
【や】とは何なのか?
【ま】とは何なのか?

1音1音に意味合いがあり、重みがあり、深みがある。

平仮名にも奥行きがあるのか。
球体にすればその真髄に近付けるのか。
1文字1文字に対語が存在するのか。
色はあるのか。
温度はどうだ。

何も分からないのに知った気で使っている。

言葉を尊重できたら、産み出した意図をうかがい知れるのか。

それとも、超えるのか。



【6月  大人の農業合宿】
山形合宿のセミナーに登壇された、言語学者のいとうゆうま先生。
先生のお話を聞いて、音について知りたいと思いました。
何かわきあがる気持ちに気付いた感じです。

セミナー前の農業体験では、約50人が一斉に水の入った田んぼに入り、クログワイという稲に似た草の球根をとりました。

自然栽培の田んぼはとにかく気持ちいい。
体感しかない。
自然に頭を使う。

疑問や思考、感情はいつもその時限りのものだけど、今回は与えられたテーマがなかったからこそ、自由な気付きだったと思います。
その後の皆さんのシェアを見聞きし、感じることや意識していることは人それぞれということを改めて知りました。
違いを知ることは自分を知ること。
どうしても他人と比べて卑下してしまったりしますが、その度に現時点も確認できます。

田んぼに入った時、私は腰が痛くて、かがむこともきつかったんです。
ひもトレ考案者の小関勲先生に腰巻きをしてもらい、だいぶ腰が安定して動けるようになりました。
(小関先生については、また書きたいと思います。)

なので、動けることだけでも喜びで、どうしたら負担が少ないかを考えていました。
たくさん取ることはできないけれど綺麗に取りたいなとも思っていました。
中川吉右衛門さんの田んぼにはこれまで何度か入らせていただき、その度に面白いご縁と発展を実感してきたので、今回もここからまた始まることを楽しみに感じていました。

そして夜のセミナーでゆうま先生がお話されました。

田んぼに合うのは、あいうえお…ではこの音が良かったとか、タイ語はやっぱり良かったとか…
えぇ!?そんなこと考えていたの!?と驚いたのです。

同じ場所で同じことをしていたはずなのに、全く違う感覚でそこにいらっしゃったんですよね。
50人なら50通りの感覚で、50通りの体験がそこには繰り広げられていたわけです。
調和ってそういうことなのでしょう。

合宿後、ゆうま先生がつくられた映画『森のムラブリ』を観て、ゆうま先生が森で暮らす狩猟民族の方との向き合い方、その姿勢に惹き付けられました。
初めて会う民族、外国人、異文化。
私は同じ日本人でも構えてしまうし、なぜか他人には敵意を持たれるとか、受け入れてもらえないとか、勝手に相手は閉鎖的だろうと誤解していたんです。
ゆうま先生はあんなにも自然に話しかけていて、更にその行動力には驚かされました。

分からない言葉を聴いて、そのニュアンスを汲み取り、理解を深めていく。
その距離を自ら縮めていく。

分からないことを分からないままにしたり、分からないことに気が付くことさえ目をそらしていることって多いので、ゆうま先生の真摯に向き合う姿がとても印象的でした。

また、映画を見て、大学生の時に受けた文化人類学という授業が面白かったことを思い出しました。
うっすらとした記憶の中に、狼に育てられた子の話も取り上げていたと思いますが、とある民族のお話をされたことがあったんです。
朝は明るくなったら起きて、その時することをして、暗くなったら家族で火を囲んで、休むんだと。
時間の概念が全く違うわけです。
どんな概念を持っているかは分かりませんが、時間や生活に追われてしまう私にはすごく羨ましい生き方に思えたのでしょうね。

私は海外に行ったことがないので、国内の地域性で例えると、南国は花も色鮮やかで、ゆったり時が流れる感覚になるし、都会はあっという間に過ぎて行くように感じます。
世界中を旅すれば様々な時を感じられるのでしょうが、吉右衛門さんの田んぼでも似たような体験をしていたんじゃないかと思うのです。

宇宙をみている。
宇宙をきいている。

私だけのおと。
あなただけのおと。
わたしたちのおと。

わたしのなまえ。
あなたのなまえ。

少しずつ考察していきます。

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