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世界は公正だと信じる人の性格

私たちは「理由がない」状態をとても嫌います。「どうしてそうなったのかがわからない」という状況は本当に嫌いで,どんな形であれ何かの理屈を考えていってしまう傾向があるものです。

ときにそれは,荒唐無稽な理屈を組み立ててしまうことにつながるかもしれません。

でも,いったん自分でスッキリできる理屈を組み立てると,あたかもそれが「動かしようのない事実」であるかのように思えてしまいます。

感情が先

理屈が組み上がると,「自分は冷静に理路整然とその理屈を組み立てたんだ」とも思いがちです。

でもそれは錯覚のようなもので,発端は「カッとして」「ムカッとして」「なんだかイラつく」「何となく気に入らない」というところからスタートして,そこにあれこれと理屈をつけ始めていく,というのもよくあることです。

自分自身は「そうではない」と思い込みがちなのですが,ふとしたときにそんなことに気づくこともあります。そういうことはありませんか?

被害者にも落ち度がある

こういう場面でもよく起こります。

夜中にひとりで歩いていて襲われた女性に対して,「夜中にそんなところを歩いているから襲われるのでは」「そんなところを歩くなんて,警戒心が足らなかったのでは」「そういう状況だったんだから,しょうがない面もあるのでは」「一方的に犯人ばかり悪いと責めるのは,ちょっと納得できない」……

こういう意見がよくみかけるものです。「被害者にも落ち度がある」ですね。

公正世界信念

世界というものは突然なにか不幸なことに見舞われるようなものではなく,公正で安全な場所であり,それぞれの人はそれぞれの人にとってふさわしい結果,地位,ものを手に入れているものなのだ,という信念があります。「もちろんすべてのことがそうだとは思わない。でも,部分的にはなるべくしてそうなったという面があるはずだ」という信念です。

こういった信念のことを,公正世界信念といいます。

そういった信念を持つことは,必ずしも悪いことではないと思います。そういった世界の解釈は,「頑張れば報われるはずだ」という考え方とつながるからです。それは,努力しようとする動機づけや,結果に向けての目標設定などに関連すると考えられます。

でも,時にその信念は,「あいつにも落ち度がある」になっていくのですよね。厄介なことです。

公正世界信念を測る

公正世界信念を測る尺度があります。たとえばこの論文です(「被害者非難と加害者の非人間化―2種類の公正世界信念との関連―」)。

「ひどく苦しんだ者はいつか報われる」といった究極的公正世界信念,「悪事を働く者はいつか報われる」という内在的公正世界信念,「世の中不公平なことばかりだ」といった不公正世界信念,という3つの側面が測定されています。

海外の尺度をちゃんとフォローしているわけではないのですが,一般的で全体的な公正世界信念と,自分や他者といったパーソナルな信念に分かれるものがあるようです。

公正世界信念とパーソナリティ

このような信念とパーソナリティとはどのように関連するのでしょうか。ビッグ・ファイブ・パーソナリティと公正世界信念との関連をメタ分析で検討した研究があるので,見てみましょう。この論文です(The Belief in a Just World and Personality: A Meta-analysis)。

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