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本の中の優生学 第3弾

今回も,本の中に登場してくる「優生学」を見ていきたいと思います。今回でこのシリーズも最終回です。

では見ていきましょう。

人種

優生学が現れやすい文脈のひとつは「人種」です。この『人種とスポーツ』という本は,オリンピックのときだからこそ読んで欲しい一冊です。おそらくオリンピックの競技を見ていて,知らず知らずのうちに優生学的な発言をしてしまっているかもしれませんよ。

 優生学が興隆する20世紀初頭になると,黒人の劣等を遺伝的に裏付けようとする分析が目立つようになっていく。アメリカで遺伝学のパイオニアとして知られるカリフォルニア大学バークレイ校教授サミュエル・J・ホームズは,1923年に優生学の立場から,黒人種の衰退は黒人女性に注入される遺伝子の質が低下したためであると主張した。この説では,南北戦争まで「最良の血統」の持ち主であるプランターたちが黒人女性を妊娠させていたのが,南北戦争後は子どもを作る資格もない「老いぼれ,貧民,疲れ果てた者」たちに取って代わられたとする(Holms, Studies in Evolution, p.250)。
 南北戦争の終結から3世代を経た20世紀初頭は,南部の旧社会体制を美化しようとする風潮が強くなっていた。奴隷制度そのものに懐旧の情を抱く者も増えた。反面人びとは,戦後に社会秩序が混乱したために規律が緩み,風紀が乱れたとして嘆き,そのなかにあって性的な乱交に耽っているとして,若い黒人男女に偏見のまなざしを向けていた。ホームズもそうした一人であったといえるだろう。

優生学のアメリカ上陸

優生学はアメリカでも発展していきます。そこで大きな影響を受けたのが,アメリカの動物学者チャールズ・ダベンポートです。

そして,アメリカ合衆国で優生学の普及活動を推進していきます。

 1900年代の初めに,優生学は海を渡り,ニューヨーク・ハンティントンにほど近い小さな湾に上陸した。ここロングアイランドの海岸に,米国の優生学運動は根を下ろした。ゴルトンの理念を支持したのは,米国で研究者としてエリート街道を歩んでいたチャールズ・ダベンポートだった。イギリスの血を引き,植民地でニューイングランド会衆派教会の牧師の息子として生まれたダベンポートは,ハーバードで動物学の博士号を取得したのち,シカゴ大学で教職についた。1904年,彼はコールド・スプリング・ハーバーの進化実験研究所の所長になった。
 チャールズ・ダベンポートはフランシス・ゴルトンを崇拝していた。「(社会に)殺人者の命を奪う権利があるのなら,どうしようもなく危険な原形質の忌まわしい悪魔を消し去ることにも問題はないはずだ」とダベンポートは語った。ダベンポートは,何らかの欠陥がある米国民のために年間約1億ドルが使われていると主張した。今こそ,この問題に何らかの手を打つときではないか。そこで,彼は価値のある人々とそうでない人々の入念なチェックを行い,結果を記録する優生記録所をコールド・スプリング・ハーバー研究所に設立した。数年後,ダベンポートはミズーリ州リボニアの片田舎のごく小さな学校からハリー・ラフリンを引き抜き,優生研究所の責任者に抜擢した。ダベンポートは(彼らの理念の正しさを裏づける科学的な「証拠」を提供する)研究者,ラフリンは劣った血統の市民を排除するための法案を通過させる力を持った政治家に働きかけるロビー活動家の役割を担当することになった。

移民の制限

アメリカ合衆国で優生学の実践例のひとつが,移民制限法です。この制限により「1907年の1年間に米国にやってきた移民の数よりも,その後の四半世紀に入ってきた移民数の方が少ない」という結果になっています。「国を守る」とか「民族を守る」そして「流入してくる人々は劣った人」といった考え方が,その背景にあります。

 1921年,さらに移民数を厳しく制限する緊急割当移民法が議会で可決された。法案に賛成したある議員は,このように述べた。「問題は(中略)単純だ。米国人のために,気高く輝かしい祖先から私たちに残されたこの国を,私たちは守ろうではないか。私たちの祖先が考えていたようなこの国を子孫に残すのだ。さもなければ,ほとんどが地球のくずやかすや無用の長物でしかない,異質で,様々な言語が混ざり合った寄せ集めの異邦人の集団によってこの国が侵略され,沈められることを許すことになる」。割当移民法が可決される前の1年間でおよそ80万人の移民が米国に入国したが,可決後は30万人にまで減少した。
 1924年,さらに移民の割当を厳しくした移民制限法が議会で可決された。第一次世界大戦の前には,毎年100万人前後の移民が米国に入国していた。1924年以降は2万人に激減した。最も厳しい優生学者でも受け入れられる程度のごくわずかな数にまで絞られたわけだ。
 1929年,国籍別割当法が議会で可決され,移民の規制がさらに強化された。優生学界はまさに望んだ通りの成果を手にした。1907年の1年間に米国にやってきた移民の数よりも,その後の四半世紀に入ってきた移民数の方が少ないという結果になった。マディソン・グラントは,歓びに打ち震えた。「(これは)この国の歴史のなかで最大の前進だ」と彼は述べている。ヨーロッパからのほとんどの移民の窓口となっていたニューヨーク湾のエリス島の移民局局長は,より米国人らしい見た目の移民が増え始めたとコメントしている。

優生政策の放棄

いったん制定された法律は,なかなか覆ることがありません。世界中で制定された優生学にもとづく法律は,20世紀後半から21世紀に入ってやっと,変わっていきます。それは日本でも同じです。

 それでも,世界のその他の地域へ伝播した優生学の政策が放棄されるまでには,何十年もの歳月を要した。1974年になってようやく,アメリカのインディアナ州は,望ましくないと同州が考えた人びとを不妊にすることを合法化していた法律を撤廃した。2013年に記者のコーリー・ジョンソンが実施した調査からは,カリフォルニア矯正・社会復帰局に勤務する医師たちはこうした処置をつづけ,2006年から2010年のあいだに150人もの女性受刑者に不妊手術を施し,おそらくは施術を受けるよう強制していたことが明らかになった。日本では,精神疾患や身体障害のある人びとに不妊手術を受けさせて「不良な」子孫の出生を防止するために1948年に導入された優生保護法は,1996年にようやく撤廃された。この法律の犠牲者はいまも裁判を求めている[強制不妊手術の被害者には2019年4月に一時金を支給する法律が成立したが,旧優生保護法の違憲性や国の責任をめぐる争いはつづいている]。

積極的政策と消極的政策

ナチスドイツの優生学には,劣った人を排除するという実践と,優れた人を残していくという実践の両面がありました。よい遺伝形質を積極的に増やそうとすることを積極的優生学,悪い遺伝形質を抑えようとすることを消極的優生学と呼ぶこともあるそうです。

 ナチスの人種理論では「マイナス」の優生学と「プラス」の優生学を区別していた。「マイナス」というのは劣等な者を除去する(たとえば不妊手術によって)であり,「プラス」というのは「優秀な」種の繁殖を促進するものであり,たとえば健康優良児に報奨金を与え,学者に結婚を義務づける法律を作るというものである。ナチスの食品政策にも同じような区別が見られる。すでに述べた有害物質や汚染物質を除去しようと努力するばかりでなく,より積極的に最大の栄養価をもつ食品,「超人」の能力を最大限引き出すような「超食料」を開発しようとする努力もなされたのである。

違いがあっても平等に

最後に,安藤先生の本からの一節を引用したいと思います。「人間はいかなる遺伝的差異があろうと平等でなければならない」という考え方について,ぜひ考えてみてください。

 私たちの社会にはたくさんの人が生きています。一人ひとり,顔かたちも能力もみな異なる,その差異を作り上げている遺伝的バリエーション全体を,行動遺伝学は相手にしているのです。その出発点には,「人間は遺伝的に一人ひとり異なる」という世界観があります。これは一見すると「人間みな同じ」「人間はすべて生まれつき平等である」という政治的に正しい世界観とは正反対であるかのように見えます。しかしそれは「この世界に生まれた一人ひとりがすべて独自の,誰とも異なる遺伝的存在である」という事実を認めることでもあります。これまではともすると,このことをあえて認めずに「人間は遺伝的にすべて平等」という「善意のウソ」に立脚した社会思想を作ろうとしていました。それはナチスの優生学の悪夢に対抗する「方便」としての正義でした。もちろん,すべての人は平等でなければいけません。生まれつきの差によって差別することを正当化してもいけません。それは科学的な事実のいかんにかかわらず,人がよって立つべき人倫の基本です。しかし人倫のために科学的事実を歪曲しても,それは本当の正義にはなりません。行動遺伝学の明らかにした事実を真正面から受け止めることは,とりもなおさず,遺伝という自然が生み出した多様性が,人間が作り出した価値観や社会制度によって,格差や差別につながるようであってはならないという発想につながっていく,その結果,真の意味で「人間はいかなる遺伝的差異があろうと平等でなければならない」という価値観を支えるものになると私は考えています。

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