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不連続マインド

ゼミで学生の研究の指導をしていると,カテゴリカル思考と連続的な思考のギャップに気づくことが多々あります。

顔について研究したい,という学生がよくいるのですが,たとえば「左右対称の顔の持ち主は外向性が高い」という研究をするとしましょう。

実際にこの論文では,顔が左右対称の人の方がそうではない人よりも外向性が高いことが示されています。また,さらに神経症傾向,協調性,開放性が低いことも顔の左右対称性に関連しています。こういう研究もあるのですよね。世界中探すと本当にいろいろな研究が行われているものです…
(Facial symmetry and the ‘big-five’ personality factors [pdf])

こういうときに学生がやりがちなことは,顔を分類することです。

(1)左右対称の顔
(2)左右対称ではない顔

「左右対称な顔の方が外向性が高い」のですから,顔を分類して左右対称の顔の持ち主の方が左右対称ではない顔の持ち主よりも,外向性の検査得点が高くなることを検討しようとするわけですね。


連続している

しかし,少し考えてみれば,左右対称の程度には連続性があることがわかります。

全く左右対称ではない顔(というのはどういう状態なのか……左右で赤の他人のような顔ということでしょうか)から,完全に左右対称な顔までを考えたときに,人々の状態はその間に並ぶはずです。

なのについ,「左右対称か,そうじゃないか」と考えてしまうのです。

左右対称とは

左右対称の程度は,どのように評価できるのでしょう。

先の論文では,顔の写真を細かく区切って左右を比較していくというデジタルイメージの分析方法が用いられているようです。しかし,心理学の卒論などでそういったソフトウェアを使うのは難しいかもしれません。

そういう場合には,人間が工夫して評価してもよいと思います。たとえば……

1. デジタル写真をパソコンに取り込んでおく
2. 正面から撮った写真を左右に分割する
3. 右側を左右反転させ,左側と並べた刺激図を作る
4. 左側を左右反転させ,右側と並べた刺激図を作る
5. 3.と4.を提示し,どのくらい似ているかを10点満点で評定してもらう
6. 5.を複数人に行い,一致率や級内相関を求めて評定の一貫性を確認
7. 複数の評定の平均値を顔ごとに算出し,その顔の左右対称度とする

主観的な評定であっても,できるだけ客観性を保つことを工夫すれば,多くの人が「ああ,確かにそれなら左右対称の程度としても構わないでしょう」と考えるような,左右対称度の得点化ができます。

カテゴリカルにものを見る

ちょっと工夫してみれば,「顔の右と左が似ている」「似ていない」と二者択一で考えなくてもよいことはわかるのに,どうしていざというときに私たちは「どっちかだ!」と考えてしまうのでしょうか。

実は生まれたときからそのように多くのものごとをカテゴリーに分類する認識の仕方をしてしまうのだ,という話はよく見聞きします。

話しはじめた子どもは,自分の家にいるチワワ犬を見て「わんわん」とカテゴライズします。

左隣の家にはセントバーナードがいて,右隣の家にはシャム猫がいます。その子はセントバーナードを見て「わんわん」と言い,シャム猫を見ても「わんわん」と言います。これは話しはじめた子どもによく見られることです(うちの子でもありました)。

でも「あっちはにゃーにゃーだよ」と何度か言われると,ちゃんとシャム猫を指さして「にゃーにゃー」と言うようになります。セントバーナードとシャム猫だったら,見ようによってはシャム猫の方がチワワによく似ているかもしれないのに,子どもはどこかでその動物の特徴をつかみ,「わんわん」「にゃーにゃー」というカテゴリーに当てはめていきます。

最初の頃は,自動車を見ても「わんわん」と言ってしまう子どももいます(四つ足なのは一緒ですからね)。でも,まわりの大人に「ブーブだよ」と言われてすぐに修正していきます。

本当に,子どもはすぐに目に見えるものをどんどんカテゴリーに当てはめていくのです。そうです。「ものを名前で呼ぶ」こと自体が,カテゴリーに当てはめることなのですから,そもそもカテゴリーに収めるという心のはたらきをもって生まれてくると言ってもよいくらいです。

不連続精神

すべてのものごとはカテゴリとして判断されるものであり,連続してはいないという人間の考え方を,イギリスの生物学者ドーキンスは著書『悪魔に仕える牧師—なぜ科学は「神』を必要としないのか—』の中で,「不連続精神」と呼びました。

個々人の身長を並べれば,とても低い人からとても高い人まで順に並べることができます。しかし,不連続精神の持ち主は,身長が「高い」のか「低い」のかにこだわります。

肌の色についても,薄い色から濃い色まで,日本人だけを見ても世界中の人についても,なだらかなグラデーションのように並べることができます。しかし不連続精神は,その人が「何色なのか」に当てはめようとします。

ウジ虫・ゴキブリ

人間をカテゴリに分類する思考について,なぜ注意しなければならないかというと,それは世界の分断や他者の排除につながる可能性を秘めているからです。

子どもは周囲の子どもたちをカテゴリに当てはめ,「自分たちとこの子は違う」という思考を簡単に始めます。そして「きたない」「ばっちい」「ばい菌」という言葉で排除をし始めます。

もちろん,その子がバクテリアに変身したわけではありません。その子が本質的に何か「私たちとは違う」という感覚を,そのような言葉で表してしまうものなのです。

特定のカテゴリに当てはめた人間を,人間ではないもので呼び始めるときには注意が必要です。たとえば「ウジ虫」や「ゴキブリ」です。

子どもが他の子を「ばい菌」と呼ぶのと,特定の国籍の人々を「ウジ虫」「ゴキブリ」と呼ぶことの根っこは同じです。

世界中の大虐殺事件,たとえばルワンダの大虐殺事件でも,それが始まるときは相手の民族を「ゴキブリ」と呼び始めます。

カテゴリ思考を自覚する

しかし考えてみれば,そもそも人間はカテゴリに当てはめようとするものなのです。これは何も特別なことではありません。

自分も周囲の人も,基本的にそのような思考をしがちであるということ,一歩間違えるとそれがエスカレートしていく可能性があるということは覚えておきたいと思います。

そして,排除しようとする相手を人間ではないもので呼び始めたときは注意すべきです。それが子どもであっても,大人であっても,です。


そのひとつの実例が,「ウジ虫,ゴキブリ,日本から出て行け」です。

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