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Post hoc, ergo propter hoc.「これがあったからこうなるのです」

前の時間に起きたことは,後ろに起きることに影響していると考えがちです。
Post hoc, ergo propter hoc.”というのは,「このあとに,従って,これゆえに」というラテン語ですが,最初の出来事はこの次の出来事の原因だと考えることを指します。

雨乞い

たとえば,雨乞いの儀式について考えてみましょう。

雨乞いといえば,なぜかマンガ日本昔ばなしの「河童の雨ごい」という話を思い出してしまいます。暴れまわっていたカッパが改心して,日照りが続く村で何日も飲まず食わずで雨乞いをし,最後は死んでしまうというちょっと悲しくやりきれない思いを残す話です。雨乞いについて考えるたびに,以前見たカッパの壮絶な雨乞いの映像を思い出してしまうのです(そもそも普段の生活の中で雨乞いについて見聞きする人は,そんなにいないと思うのですけどね......)。

順番

さて,この雨乞いですが,時間的には
◎雨乞いをする  →  雨が降る
という順番になっています。

しかも,雨乞いというのはほぼ絶対に,儀式をしたら雨が降るのです。

祈ったから降るのか

「祈ったからといって,雨が降るなんてそんな非科学的なことがあるわけがない」と思いますか?

はい,私も祈ったことが原因で雨が降るなんて思っていません。

「でも,祈ったら雨が降ると言ったじゃないか」と思うでしょうか。

はい,時間的な前後関係としては,祈った後に必ずと言っていいほど雨が降るのです。

「???」

何かおかしいのでしょうか。祈ることと雨が降ることとの間には,因果関係はないのです。でも,祈ることと雨が降ることの間には時間的な前後関係があるのです。

なぜなら,雨乞いという儀式はたいてい長い期間雨が降らない場合に行うものであり,そして雨が降るまでその儀式は終わらないからです。

雨が降る前に儀式を始め,雨が降るまでずっとやり続けるのですから,時間的には雨乞いをしてから雨が降ることになります。そして,雨乞いの儀式は雨を降らせるとても強い効果があるように見えるのです。

そして,この時間的な前後関係を因果関係だと解釈することによって,「雨が降らないときには儀式をすれば雨が降る」という考え方につながっていきます。

雲を指す

では次に,どれでもいいので空に浮かんでいる雲をひとつ指さしてみてください。できれば青空にぽっかりと浮かんでいるような雲が良いです。

そして,その雲に向かって強く「消えろ!」と念じてみてください。消えませんか?まだまだです。しばらくずっと念じているのです。そのうち消えますから。

本当です。だって,空に浮かんでいる雲は,時間が経つとたいていは自然に消えるものなのです。念じなくても。しかし,念じてからその現象が起きると,そこに何かあるように思えてしまいます。やはり時間的な前後関係は大事です。ちなみに上手く消すためには,先ほどオススメしたように青空にぽっかりと浮かんでいる雲を指さすのが良いようです。

『ヤギと男と男と壁と』という映画のなかにも,雲に向かって念じる場面がありました。なかなか面白い映画ですのでぜひ一度。

この映画のもとになっている,アメリカの超能力部隊について書かれている本もあります。

これをしたから

これと似たことって,日常の中にありませんか?

たとえば成功するまで何かを続けて,成功したら「これをしたから成功したんだ!」というのが典型的では......と思うのですがどうでしょうか。

そこには本当に,続けること以外の法則はあるのでしょうか。たまたま,やり続けているところから一定の確率で成功が生じているだけ,ということはありそうです。

でも,私たちはそこに何かの法則を見出そうとしてしまいます。そしてこうすれば成功するという記事が書かれ,本になったり,映画になったりすることもあるのです。それは,成功した自分自身が納得するための理論づけのようにも思います。でも他の人にもそれが成立するかというと……そしてこれは,これまでに何度も何度も繰り返されてきたことでもあります。

「偶然ではない」「それは法則なのだ」というためには,どうすればいいのかを考えておきたいものです。


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