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小説家になりたかった少年がデザイナーになった話をゆるっとする

最近、会社の先輩と「noteでどんな記事を書くか」を話していたときに「生い立ちから書いてみたら面白いかも」と誰かがちらっと言ってた気がする。

そのときは、書くつもりはなかったのだけど、いくつか思い返してみると、いまの自分のポリシーだったり、考え方につながってるエピソードがあったので試しに書いてみようと、noteを開きました。

小説家になりたかった中学時代

昔から小説を読むのが好きで、特に重松清さん「きみの友だち」、高野和明さん「幽霊人命救助隊」、あさのあつこさん「バッテリー」は表紙が擦り切れるほど読み返してました。

絵もないのに文字をなぞるだけでシーンが浮かんでくるような文を書ける人たちに強く憧れていたことを、いまでも覚えています。

それが中学3年生の頃。2009年〜2010年くらいでしょうか。
ちょうど、山田悠介さんが自費出版した「リアル鬼ごっこ」が映画化したり、アマチュアの小説投稿サイト「小説家になろう」が法人化した頃だったはずです。
小説家に強い憧れを抱いていた少年が、小説家になる近道を見つけた瞬間でした。

はじめて書き切った小説

中学3年生の頃から「小説家になろう」でせっせと小説を書き始めました。
友達に「バンドやろうぜ」って誘われた直後だったので、高校の軽音楽部が舞台のものを書いた気がします。安直だなあ。

人に言うのも恥ずかしかったので、当時の友人や家族には言わずにコソコソコソコソ、それでもちゃんと毎日書いていました。
高校1年生になると、自分と同じように小説を書いてる友人ができたので、彼にだけはURLを教えてあげました。思えば、最初で最後のファンだったかも。

その友人が更新するたびに読んで「ここが面白かった」「ここの文章はちょっとわかりにくかった」と感想をくれたのが唯一の励みでした。
彼のおかげもあり、高校1年生が終わる頃、はじめての小説が完結しました。
この頃、先述した山田悠介さんの「リアル鬼ごっこ」発行元である文芸社で小説のコンクールをやっていて、アマチュアからのプロデビューや、自費出版が流行っていたのをよく覚えています。

これに、完結したばかりの自分の作品を応募しました。

ここで、家族には小説を書いていたことがバレます。応募に印刷が必須だったので、家のオンボロプリンターで数百ページ印刷していたら、当然インクも印刷用紙も足りなくなり、やむなく親に泣きついたのです。

そんな困難も乗り越えようやく応募した作品は、あっけなく落選したのでした。

小説家を諦める

見出しにこう書いていますが、落選は直接の原因ではありません。むしろ直後はモチベーションが上がっていたはずです。
というのも、落選はしたものの高校1年生での応募がめずらしかったからか、作品に少なからず惹かれるものがあったのか、はたまた応募者全員に送っていたのか、文芸社の編集の方からものすごく丁寧な感想文が送られてきて、その1週間後には直接電話がかかってきたのです。

「コンクールは落選でしたが、自費出版でなら読者がつく可能性があります。私たちも全力でサポートしますのでご家族とも相談してご検討ください」

ほぼこんなかんじのことを言われました。
高校1年生の少年は、それはもう舞い上がりましたね。数十万〜百万円ほどかかるので、自費出版をする選択肢はなかったですが、俄然自分の作品に自信を持てるようになりました。

問題はここからです。

多少自信のついたことで、ファン第1号の友人以外の友人に小説を書いてることをカミングアウトし、作品を読んでもらいました。
友人からは酷評に次ぐ酷評。感想がメールで送られてくるたびに、読ませたことを後悔し、どんどん恥ずかしくなっていきました。
少年は筆を折りました(キーボードだけど)。

時は飛んでデザイナーになって

このとき、友人の言葉によって小説家になりたい気持ちを失ってしまったわけですが、その約1年半後、今度はデザイナーになりたくなったわけです。
このときも、友人の中には「お前、絵もうまいわけじゃないしセンスないから無理でしょ」と言う人もいました。

でも人は成長するもんですね。
今度は屈せずに、デザインの専門学校に行き、いまこうしてデザイナーとして働いているのだから、つくづく周りの評価なんてあてにならないと思います。
このときの経験から、いまでも自分に染み付いてることが2つ心当たりがあります。

1つ目
できるかできないかは最終的には自己評価次第

誰がどんなに無理だできないと、理論武装してきたとしても、最終的に自分がやりたかったらやる。
逆に明らかに実力不足でも「君ならできるよ」と言われることがあります。そんなときは「期待に答えなきゃ」「おれならきっとできる」とは思わずに「失敗しても自分にやらせたこの人が悪いから、自分ができる範囲で全力を尽くせばいいだろう」くらいに若干開き直ってます。
(それでも失敗したらちゃんと凹むけど)

2つ目
センスなんてあてにならない

生まれ持ったセンスなんてものは、あるのかもしれないけど、あてにはならないよね、と思ってます。
感覚が鋭いとか鈍いとかはあるだろうけど、それは経験や知識で補えると思っているので、センスのある子を採用したい、とか、自分にはセンスがないから、という人とは意見が合わないし、自分に向かって「センスがない」といってくる人には「好みが合わないだけでしょ」と返すことが多いです。
その日までしてきた努力や、逆に努力不足をセンスで片付けられてたまるか。

最後に

思い返してみると、いまの自分につながってる体験ってあるもんだな、と感慨深くなります。

いまでも、上司から「メールの文面がわかりやすい」と評価いただいたり、日報を面白がって読んでくれる先輩がいたりと、文章にまつわる評価をもらえると結構嬉しいです。
サイトのデザインしてるときに、勝手にキャッチコピー作って提案したら採用された、なんてこともありました。

もしかすると、あのとき書くのをやめなければいまごろ……なんて思うこともありますが、それだとデザイナーになってなかったかもしれないので、これはこれでよかったと思ってます。

他人の声を気にして書くのをやめたから小説家になれなかった。
他人の声を気にせず勉強し続けたからデザイナーになれた。

ただ、それだけの差な気がします。


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