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書くかどうするか悩んだのだけど自分の記憶を書き留めておきたいという気持ちがあって、書いたまではいいのだけどしまい込んでしまうのも違う気がするし、かと言ってあまりにもパーソナルな内容なので多くの方のお目汚しになるのも申し訳なく。
なので初めてだけども、この記事だけ有料にする事にした。
なんてことはない文章だし、金が取れる代物だとも思ってないから大変おこがましいのだけど。
もし読んでみようと思われる方がいらっしゃるなら。

「こんにちわ」
こんにちわ

最初はこんな会話だったと思う。
一週間続いた社外の新人研修は凄まじく退屈で、僕は始終欠伸を噛み殺していたし、僕の斜め前に座っていた彼女もやはりうんざりした様子で、それでも何とか眠らないようにノートの端に講師の似顔絵を描いていた。 

ようやく終わりますね
「そうですね、もう退屈で退屈で」

屈託なく笑う彼女は当時の流行からは珍しくショートカットで、それが元から小さい顔を余計に小さく見せていた。
同じグループで受講していて、ディスカッションの発言などで彼女が聡明な事は直ぐに分かった。
まず相手の話を聞く事が出来ていて、それを一度咀嚼した後で返答をするのだけど、言葉の選び方が上品で婉容だった。
そのせいか答えるまでに少し間が開くのだけど、決して間延びする感じはなくて、これはたぶん生まれついてのものだろうと想像した。
いずれにせよ漫然と学生生活を過ごしていたのでは、なかなか身に付かない事だろうとも思った。

研修の最終日になって、僕らはようやく研修以外で話が出来た。
そこから食事に誘うまで、大体90分ほどだったと思う。
僕としては最短記録だろう。

お互いの仕事場が近かった事もあって、それから僕らは時々会う様になった。
彼女は初めて実家から離れて一人暮らしを始めたので何かと不自由な事が多く、同様の立場である僕はその対処を尋ねる相手として絶好だったのだと思う。
会う度毎に好意を深めた。
彼女がどうだったかまでは分からないが、会う事を拒んだ事はなかったので、決して悪い印象ではなかったのだろう。

「仕事はどう?」
うーん...
「楽しくない?」
楽しくはないなぁ
「まぁ、仕事だものね」

社会人になって数ヶ月などは、一体自分が何をしているのか分からないままに過ぎて行く。
楽しいとか楽しくないとか以前の話だ。

そう言えば、と彼女が僕の住所を尋ねた。
僕は手帳に控えていた住所をメモに書き写して渡す。

「うん、思ったとおり」
思ったとおり?
「そう」
何が?
「字のこと」
字?
「そう」
どんな字かを想像してたの?
「そうよ」
字から何かわかる?
「神経質で合理主義なタイプ」
そんな事が分かるの?
「当たり?」
まぁ、大体
「よし」
は?
「言ってみただけだから」

そう言って笑いながら、彼女は自分のメモに住所と名前を書いた。

あ…
「まったくひどいよね」

僕は彼女の名前を知らなかったのだ。

「ありえないでしょ」
いや、話は苗字で問題なかったし …
「これからもずっと苗字で呼ぶつもりなの?」

差し出されたメモを見る。

とうこ
「そう。とうこ」
ひらがななの?
「本当は漢字なんだけど好きじゃないのよ」
どんな字?
「董子」

彼女はひらがなの横に書いてみせた。

へえ
「ただすとか、おさめるとかの意味らしいのよ」
そうなんだ
「今、笑ったでしょ」
笑ってないよ
「たいていの人はね、名前の謂れを言うと笑うのよ」
珍しいよね
「そうね、同じ字の人には会った事ないわね」
彼女は僕の渡したメモを暫く眺めて言った。

「でも、それは一緒だよね」

季節は初夏で、表参道は濃い緑に覆われていた。
僕らは若く、そして張り裂けてしまいそうなほど脆弱で真っ直ぐだった。

何て呼んだらいい?
「何とでも」

そう言うか言わないかのうちに、彼女は顔を上げて僕を見た。

「違う。『とうこ』と呼んで」

と小さく言った。

とうこ
「そう」

僕は彼女が屈託なく笑う、その瞳に一瞬だけ浮かんで消えた翳りに初夏の青葉の危うさを見るような気がしていた。

彼女は僕を名前では呼ばなかった。
「ねぇ」か、もっと短く「ね」
たまに冗談半分で「さん」を付けて呼ぶ事があったが、すぐに「やっぱり駄目だ」と独り言のようにつぶやいていた。

最初に断っておくべきだったが、この話にドラマはない。
落涙するような結末もない。
どこにでもある様な、本当にそこかしこに転がっている話である。
今まで、あまり思い出す事はなかった様に思う。
いや、思い出したとしても、それに殊更関心を向けた事はなかった。
これは年齢のせいかも知れないが、自分自身の過去が随分と浄化されて、きれいな物であったかのように思う事が増えたように思う。
もちろん実際はそうではない。
失態は数知れないし、それは取りも直さず自分のマトリックスの中で抜け落ちている部分が原因であったり、また逆の場合もあった。
どれもが僕にとっては酷くグロテスクで、また慌てて記憶の奥底にしまい込んでしまう事もある。
事実は事実であって、今さらそれを変える事などは不可能なのだ。

記憶の中に散らばっている幾つかの思い出を丁寧に取り出して、それらをじっくりと眺めてみて、改めて切ない気持ちになったり、あるいは嬉しい気持ちになったりしてみる。
本当にそれをやってみると分かるが、それで見えてくるのは自分のネガティブな部分だけだ。
そこに浮かび上がる警告が余りに冷酷なので、どれがこれからの僕の人生に何かを暗示しているような気すらする事がある。
でも、やはりそれは「勘違い」なのだ。

時任三郎が24時間戦えますか?と歌い、ガーデンプレイスの所にあったエビスビールの工場が操業を終えた。
J-WAVEが開局し、ソウルでオリンピックが開催した。
昭和天皇の具合が悪くなってきたり、埼玉・東京で幼女が連続で誘拐されたり、名古屋ではアベックや妊婦が襲われる事件が起きたりした。
そんな頃の話だ。
彼女の会社があった表参道からほど近い「バンブー」には良く通った。
今の表参道ヒルズの前、もう閉店してしまったがポール・スチュアート(今はエルメスかな)の角を入ると直ぐだ。
改築される前だったので、今のように豪華ではなくて、瀟洒な洋館の雰囲気だった。
そこで僕らはぼんやりと土曜日の午後を過ごすのが気に入っていた。

入社しばらくは忙しいとは言うものの、まだ時間に余裕があったので、その年の初夏から冬にかけて僕らは良く会った。
土曜日の昼くらいに会って日曜の夜に別れる。
彼女の車で少し遠出をする事もあったし、平日でも時間が合えば少し飲んで帰ることもあった。

「高校までは地元だよ。大学は横浜まで通ってた」
あれ、実家ってどこだっけか
「鎌倉」
そうか

彼女は運転席から僕を見る。
「あのさ」
うん
「ほんと、私が言った事、覚えてないよね」
え?そう?
「鎌倉が地元だって、もう何度言ったか分かんないくらい」
ええ?
「真面目に聞けよ」

こんな遣り取りの切れ端ばかりが浮かんで来る。
いつだったか彼女が、彼女を名前で呼ぶのは両親以外には僕だけだ、と言った。
そう呼んでくれって言ったじゃないか、と言うと「そうよ。光栄に思ってね」と言って笑った後に、僕が初めて名前を読んだ時に漢字ではなくひらがなで呼んでいる気がしたから、と答えた。

深い霧の様な記憶の中で、僕は一度だけ声に出して呼んでみる。
その声は、まるで深い海の底から聞こえて来るようだった。
深海から聞こえる声。
なんだかぞっとした。

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