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真面目に書く(2011年11月20日)

Rolleiflex Standerd, Fomapan 400

当たり前の話だけどもデジタルとフィルムでは、こうしてブログにアップするだけでも随分手間が違う。
デジタルはRAWで撮る時とJPEGそのままの時があって、どちらも一応は画像処理ソフトを通すが、その行程はトーンを整えたりするだけというのがほとんど。気まぐれで大幅に弄ったりはするが、後で眺めると、ちょっと赤面ものだったりする。
フィルムは相当な時間がかかる。
撮り終えたフィルムを現像するところから始まるが、特急で仕上げたとしても2時間から3時間はかかる。
それで終わりというわけではなく、出来たネガフィルムをスキャンする作業が残っている。
これもトーンを整えたりする作業があるので、枚数にもよるが1時間ほどかかる。
トータルで4時間ほど。
デジタルは、これも枚数によるが1時間もあればできるので、その差は歴然としている。

さてアップが終わったとする。
ここではまた歴然とした差が両者の間にはある。
それは「モノ」が残るか残らないかの差である。
PCを触っている人には常識なのだけど、データは不可抗力で幾らでも消失する可能性がある。
だから幾重にもバックアップをとるのだけど、何が起きてもおかしくないのがハードディスク上のデータである。
対してネガなりポジなりのフィルムは物理的な限界はあるにしても「モノ」として存在するという事は、本人の管理に委ねられる部分は大きいが僕のようなアナログ世代には安心感はある。
普段撮る写真の着地がスキャンデータである以上、僕がフィルムを使っている一番の理由はここにある気がしている。

これは僕だけかも知れないが、デジタルのデータをPC上で弄っていると、どれがそのカメラが吐き出す「真性のデータ」なのか分からなくなる事がある。
何々というフィルム風だとか、某著名なレンズ風だとかが簡単に再現できるようになってきているが、それをやっているとカメラやレンズに拘る理由などまったく分からなくなるのだ。
これはデジタルの福音でもあり、また往来の趣味人たちには地獄の門が開く音であるはずだ。
何しろこれをやってしまうと、素人目にはiPhoneで撮ったものもフラッグシップ一眼レフで撮ったものも判別など不可能だという事になる。
一枚の写真に幾らコストをかけるかというのは個人の判断だし、それによって写真自体の価値云々ではないはずだが、実際はその見えないコスパに対するヒエラルキーみたいなものが存在しているように感じている。
ところがフィルムにおいては、調子を整えるのは紙焼きの段階の作業であって(覆い焼きとか焼き込みとか、あるいは紙の号数やフィルターの意味)、そのカメラなりレンズなりが吐き出した「真性のデータ(便宜上この言葉を使う)」はネガとしてちゃんと残っている。
デジタルにはRAWデータがあるじゃないか、と仰るかも知れないが、そのデータが物理的に存在しているわけではないし、そのカメラが吐き出すオリジナルという意味ではJPEGの方が、その意義はあるような気すらしている。

倩と書いてきたが、やはり僕は現像やプリントといった作業が好きだというのが一番かも知れない。
それが面倒だ、そこにかかるコストを考えたらデジタルの方が…という意見もあるだろうが、良いとか悪いとかの話ではないのだ。
着地に画像を紙に定着させるという帰結がある前提でデジタルやフィルムを考えるなら、現在プロカメラマンがどちらを多く使っているかを見れば分かる事であって、今さら素人の講釈を云々するのは意味のない事だろう。

というようなことを2011年には書いていた。
ずいぶん真面目だなァ(笑)

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