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誠実に、Carpe diem.

真摯なる、自問自答。

お話を聞いたのです。医学博士の稲葉俊郎さんに。
東大病院で心臓のカテーテル手術のエキスパートとして邁進されていた稲葉さん。天皇陛下の執刀医を取り上げたNHKのプロフェッショナルが脳裏に浮かびます。そこで描かれていたのは、徹底的に高度な技術への信憑性。とてもわかります、技術の価値。しかし、稲葉さんはその道を究めるべく最先端で切磋琢磨されていたにも関わらず、東大病院を後にします。え、なんで?そこが、今回の話の始まりです。そして稲葉さんの全てです。彼が言葉にしたのが、違和感。2mmの心臓の血管に0.1mmのカテーテル、経験を積むほど上達する匠の世界。多くの人を救うことに異論はない。でも、医学の最前線で獅子奮迅に働きながら、モヤモヤを抱え続けます。病院が医療の答えなのか。稲葉さんは学生時代から今に至るまで、“自分の人生をかけて何をやるべきか”、全身全霊で自問自答し続けて生きている。僕の心の底で小さな灯を点し続ける映画“Dead Poets Society(邦題:いまを生きる)”が詩を奏で始めます。誰もが大なり小なり抱くテーマですが、お話の底流に通貫する透徹な真摯さに打たれます。


あるべき本質への旅。

山岳医療を学んだり、在宅医療に励んだり、稲葉さんの根幹には常に「これで本当にいいのか?」という誠実な問いがあるのです。東日本大震災で医療ボランティアに赴き、深く考え直すことになった文明の薄弱さや人間の営み。人間が亡くなるということを根本的に考えるため能を学び、死者の鎮魂に想いを馳せながら世阿弥の「風姿花伝」にある“寿と福を増やす”という考えに医療との共振を感じたり、西洋医学のルーツを知りたいとギリシャへ渡り、医学者ヒポクラテスを輩出した地が円形劇場を始め、元気を取り戻す医療の場であることに共鳴を感じたり、稲葉さんの探求心は、哲学や宗教学も包摂しながら人間のありたい姿や医療のあるべき姿へと向かいます。そんな旅路のなかで彼が見出したのは、医療の本質は“どうやったら人の病気を治せるのか”だけでなく、“どうやったら人は健康になれるのか”だ、と。そして、アーユルヴェーダや東洋医学をエビデンスのない迷信だと斬り捨てる先達もいる最新鋭の医療機器に恵まれた大学病院を離れます。そんな彼が抱くのが、「人間の全体性を取り戻す」という命題です。


医療と芸術が繋がる意味。

人が健康に幸福になるために、稲葉さんは今、ダイナミックに医療と芸術を繋ごうとしています。山形ビエンナーレでは芸術監督も務め、躍動的にその橋渡し役として活動する彼は、もともと死者に手向けるために生まれたのが芸術の祖ではないかとも考え、人の全体性を取り戻す意味では医療も芸術も同じだと言います。本来、本を書いたり、絵を描いたり、音楽を聞いたり、アート活動自体が自己治療でもあり、健康の源でもあると。コロナの不要不急論の中でアートも取り沙汰されましたが、とんでもない。人間の健やかな人生には芸術がなくてはならない、僕もそう思います。そもそもコロナウイルス⇔人間の大きさと人間⇔地球の大きさは比率が同じで、全ては地続きという稲葉さん。多様性のある社会を、という視点でインクルージョンという言葉が使われますが、我々はどこから来てどこへ行くのかという哲学とともに、根源的に、包括的に、人間の生き死にとまっすぐ向き合いながら、全体性を持って、人の健やかな人生を生み出す医療人として生きる稲葉さんの言動に、敬意をもたずにはいられないのです。


武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダーシップコース クリエイティブリーダーシップ特論/第10回/稲葉俊郎さんの講義を聞いて 2021/9/13

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