見出し画像

真夜中チョコちゃん③

「なにがあるの? 音楽室」
  三階に出る階段を上りながら聞くと、グミちゃんはおちゃめっぽくふふんと笑う。
「メインフロアは第一音楽室で、第二音楽室はバースペースになってる」
「小学生にもわかるように言って」
「えー……第一音楽室におもしろいものがあって、第二音楽室は休憩スペース。バーって言ってるけどお酒は出てこない」
「……お酒、飲んだらダメなのかな。今わたしたち大人なのに」
「大人も学校でお酒飲んだらダメだよ」
  理科室や家庭科室に比べると音楽室は幾分静かなようだった。ガラリと第一音楽室の戸を開けると、先客は誰もいないようで、薄明かりの中にひんやりとグランドピアノが光っている。
「……ピアノ、なんか変じゃない?」
  いつも音楽室で見るピアノとは微妙にかたちが違う。なんだろう。
「上にのってるの、ビン?」
「そうだよ」
  グミちゃんはするりとピアノの正面に腰かけて、なれた様子で鍵盤に指を置いた。
「カクテルピアノっていうの」
  グミちゃんに差し出されたグラスを促されるままピアノの横に開いてる穴の下に置く。
「見ててね」
  ぱらたたたん、ぱらたたたん、ぱらたたぱらたたぱらたたたん。トルコ行進曲。
  グミちゃんが鍵盤を叩いたリズムで、グラスに雫が積もっていく。
「鍵盤とピアノの上のビンが繋がってて、弾くと中のシロップが落ちてくるの。ドの音はイチゴ、レの音はレモン」
  ドはドーナツのド、じゃないんだな。ドーナツ味のシロップなんてないか。
「一曲弾き終わるとカクテルができあがるから、カクテルピアノ」
  グラスをそっと持ち上げると、すみれのようなむらさき色が底にうっすらとゆらめいている。
「ソはブルーハワイでラはラムネ、シの音はチェリー」
「おもしろいね」
「チョコちゃんも、いやじゃなかったらなんか弾いてよ」
  グミちゃんはひょいとわたしの手からグラスを取り上げてそのままきゅっと中身を飲み干した。
「どんな味? トルコ行進曲」
「甘い。あとお花の匂いする」
「おー」
  くるりと入れ替わって、わたしがピアノの前に座る。グミちゃんはきれいなグラスをセットし直してくれた。
  ぽうん。試しに真ん中のドの鍵盤を押してみると、少し重たく沈んで鳴る。なにを弾こうか。ドレミの歌はぜんぶ混ざっちゃっておもしろくないな。ちょっと考えてメリーさんの羊を右手でゆっくり弾いた。弾き終えて、ピアノの向こうを覗きこむとグミちゃんがはい、とカクテルグラスを手渡してくれる。
  薄いオリーブ色。羊が寝そべる草原の色だ。ちょっとなめてみると強い甘味が舌にかみついてくる。なんとなくさわやかな香り。なんの味なんだろ、これ。
「どう?」
「ちょっと羊の気分になれるよ」
「へー、ひとくち」
  小さなカクテルグラスに不思議な色の飲み物。お酒じゃないけど、ちょっと、かなり大人っぽい。
「さわやかだね、羊のカクテル」
  グミちゃんの耳に金色のピアスがきらりと揺れる。こんなきれいなお姉さんと、夜の学校で、右手だけでピアノを弾いて向かい合ってる。子どもみたいなこそこそ話がオレンジのあわい灯りの中で小さく響く。不思議な感じ。不思議な夜だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?