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「足利の元気をもう一度」とか、、嫌いです

「スカイベリー」というイチゴの品種があります。

遠くシンガポールでは、1粒約1,500円で売られたこともあるそうです。

いちごは、直売所で買う派のカネトモです。
理由は、
どんなに早く流通させてもスーパーの店頭に並ぶまでに3日程度かかってしまうから。
です。

まあ、いちごの買い時は置いておいて、
いちごが立派な輸出農産品になっている事実に私は驚きました。

直売所で買った方が美味しいはずなのに、
はるばる海を渡ったいちごが
一粒1,500円ですよ。

セールスマンの根性とただ並ならない努力を感じました。

そんな、イチゴ大好きの私は、ゴルフレッスンの動画コンテンツを販売しています。

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街の活性化というと

少し上の世代の方々は足利市が活気にあふれた街だった頃を覚えいるので
この手の話になると、
二言目には「足利を再興させたい、あの頃のように」と言うんです。

足利はその昔、織物産業でとても栄えていました。
話に聞く限り、とてもバブリーで足利の大人たちはとても輝いていたそうです。

だから、「足利の街を活性化させる」というテーマで話をするときには必ずこの頃を知る人の意見や当時の成功体験の再来を期待する意見が出てくる。

再興を目指す市民性

みんな、頭ではわかっているんです。
「もはや、そういう時代じゃない」ことは。

でも、その頃に発展した記憶と成功体験が悪い意味で足枷となっている印象は我々の世代から見ても否めない…

だから、これからの時代に即したビジネスや活動を地元でやってゆきたい私にとっては、
「足利の再興」は不要な発想であり、
考えを鈍らせるスローガンだと思っています。


栃木県と群馬県を挟んだ「両毛」という土地で
生まれ育った私が、
スポーツでビジネス
をしたい、
と考えて歩んできました。

地元の発展を望んでいないわけではありません。

どうやら人間には

生まれた土地とは関係ない土地でも活躍できるタイプと、

生まれ育った土地をどうしても離れることができないタイプがいるらしい。

近年では、オピニオンリーダーとして知名度が高い「ひろゆき」こと西野ひろゆき氏も
「才能とやる気に恵まれた若者は日本を離れた方が成功の確率が高い…」ということを盛んに発信しているせいで、
故郷を離れることに抵抗が薄れてきた風潮は肌感覚として感じている。

それでも、地元を離れて働く気にはなれないのが正直なところ…

それなら、
「自分がやりたいことを地元のリソースを十分に使って達成しよう」
と考えが湧いてくるわけです。

だから、私は敢えて「足利の再興」という角度ではなく、

楽しいことをやって、歳をとってゆきたい

と考えるわけです。

そのためには、

新しいことにもチャレンジする

分野を飛び越えることを厭わない!

と考えています。

決して、「足利を再び元気にしたい」という角度で考えていません。

自分たちの街が「ワクワクするような」コンテンツを自分たちが作って、
活用して、
生活できるようになればいいな、と考えているわけです。

最初の話になりますが、
スカイベリーのように、オワコンと思われていた農業が世界的に輝けるコンテンツが地元にはあります。

シンガポールの高級ホテルまで、「栃木の苺」を売り届けたセールスの努力やご苦労には本当に頭が下がります。

もしかしたら、足利の織物も何かの拍子に、世界に売れるような産業に再びなるかもしれません。

実際、そのような活動をしている人もいるんです。

それには、本当に尊敬の気持ちを抱きます。

しかし、私は織物を作り出すことはできない。

その上、農業もやったことがないので、輸出産業になりうるようなイチゴやその他、農産物を作ることもできない。

自分がやりたいことと、自分ができることを、

特技 × 持っているもの

をこれからの時代にあったもので考えているんです。

そこで中学生以来、長年温めてきたのが

スポーツと教育

だったのです。

温めてきた、というより
「この道」で生きてきました。

今後の可能性を考えたときに、
スポーツ産業はこれからも発展してゆく可能性は高いと考えています。

健康寿命なんていう言葉が普及していますが、
適度な運動を健康増進のために行う人にとって、
スポーツは都合が良い活動です。

「少し歩こうかな」で毎日定期的にウォーキングするのは、立派なスポーツ習慣です。

地元の河川敷は、昼間からパークゴルフを楽しむ人(おそらく高齢者)の姿が多く見られます。

人生100年時代と言われ始めました。

100歳まで長生きすることが
それほど珍しいことではなくなってくると、
お仕事をリタイヤした人たちの余生
30年前のものとは全く違ったものになっているはずです。

長い…そう、リタイヤした後がとても長くなるんです。

スポーツを人生の楽しみに過ごす人はますます増えてくるでしょう。

別の要因からスポーツと教育を考えましょう。

私は、学生時代は野球部に所属していました。

いわゆる、高校球児を経て、
大学の硬式野球部に進みました。

国立大学ではありましたが、
活動費や施設が充実した他の私立大に混じって1部リーグで活動していました。

野球というスポーツは日本が世界をリードしているということに、異論を唱える人は少ないでしょう。
世界大会ではいつも優勝候補と言われていますし、

オリンピックと並んで、世界のナショナルチームが戦う「WBC」では、
2度も優勝していますから、
野球に関して、日本が後進国という人はいないと思います。

つまり、日本の野球選手の育成は世界的に見ても進んでいると考えられます。

その、育成のシステムの一役をになっているのが、
学校の

「部活動」

でもあります。

部活動の良い面を洗練させて、スポーツ指導という枠組みでビジネスコンテンツに育てる

旧態依然とした、古い体質の典型のように悪者扱いされてしまうこともありますが、
日本のスポーツ指導の基礎を「部活動」が支えていたことは否めないですね。

先輩の意見に服従しなければならない体質や、
いじめや体罰を生み出すことがある、

負の側面は今後の課題として取り組んでゆかなればならないでしょう。

少なくとも、
アスリートを育てる環境として、間違いではなかったと考えています。

部活動の指導が全くの間違いだったとしたら、
野球に限らず日本人アスリートがこれほどまでに、
世界で活躍する時代がくることはなかったかも知れません。

つまり、

日本のスポーツ指導は世界的に見て、決して劣ってはいない。

ということです。

日本人アスリートが世界を相手に戦う姿を紹介するときに、多くの場合で、
「体格(フィジカル)の不利」
に関する情報が付け加えられます。

トレーニングの進歩によって、日本人のアスリートの体格が世界のアスリートに引けを取らなくなってきた、と言われていますが、
それでも
身体の大きさで、「不利」な状況で奮闘する日本人アスリートという紹介のされ方が多く見られます。

それでも、世界のトップアスリートの中で活躍する日本人が増えているのです。

言葉の壁、移動の壁、ルールや規制の壁が取り払われつつある今は、
「才能とやる気に恵まれた若者は日本を離れて、成功を納めて」いるのです。

そのような、世界で活躍できるアスリートを初心者の段階から拾い上げて、パフォーマンスを高めさせた日本のスポーツ指導は、世界に売ってゆくことができる教育のコンテンツ(商品、サービス)と言えるのではないでしょうか。

ここまで、遠回りしてきましたが、

前半に紹介した使わなくなった施設の再利用を考えた際に、

ビジネスの観点からも面白そうなコンテンツとして、

そして、これからの時代に即したコンテンツとして、

健康の増進を図ることができて、
在庫を抱えることがなく、
高齢者にも活躍の可能性があり、
海外に輸出可能で、
コンテンツとして、

「スポーツ指導」という商品を生み出す「場」として
活用できたらワクワクするんじゃないかと考えました。

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