やり始めたら最後まで


一度やり始めたら、最後までやってしまおう。

今回は、物事を終わらせるための、危機感の持ち方について書いてみた。

最後というのは、自分が設定した時間制限までである。
時間制限以内にできなかったことというのは、
そもそもその時間内では終わらなかったことなのかもしれないし、
自分の気持ちが終わらせるに至らないほどまだ未成熟だったのかもしれないし、
終わる直前になってやる気になってきたけど今からじゃもう遅いムードになっているのかもしれないし
(期限延長できるならやって損はないからやってしまってもよさそうだ)。

ただ、そんなふうにして、悠長に時間制限を超えてまでやらなければならないことが他にあったのか?

この人生が終わる時、果たしてそう言えるのだろうか?


期限を決める=死に際を決める

期限を決める、時間制限を設けるということは、人生という規模感で考えると、「死ぬタイミングを決める」ということと同じである。つまり、「死の期限」を決めるということに他ならない。

人は、いつ死ぬのか、実際のところわからないが、概念上で、今これに取り組むと決めて、時間制限を設けた「自分」が、作業を取り組んで終わらせ、その期限が来ることによって、その作業を行う自分は死ぬことになる。そして、また別の自分に生まれ変わり、その作業を引き継ぐか、保管するかして、物事は進んでいく。

生物的なレベルでの自分は生きている。しかし、概念としての自分は、時間制限を設けられている以上、「その作業をする自分」は、まもなく死ぬ。
その作業をしている最中でも、どのように死んでいきたいかが問題になる。時間制限が来る前に終わらせて、次の別のことを準備し、余裕を持って死ぬのか、はたまた、時間制限たっぷりに時間を使い切って、そして死ぬのか、時間制限までに間に合わず、だけど、次は成功させる意欲に燃えながら死ぬのか。

そのレベルまで、深刻に考えることができたら、おそらくあらゆる行動に無駄な時間をかけることはできない危機感を思い出せるのではないだろうか。


可能な目標に可能な期限

きっと、これを聞いて、頷く人もいるだろうし、
逆に、自分はもっと悠長に時間を使いたいし、プレッシャーなしに楽に生きていたいという人もいるだろう。

そのどちらにも、共通して教えておきたいことがある。

それは、死の期限は、自分の能力のキャパシティを考えて設けるほうが良いということだ。

当たり前な話だが、1ヶ月のうちに、良質な有料級Noteを1万投稿して、各投稿につき500いいね獲得するというのは、まだ初心者であったり、方法が確立されていないのであれば、やめたほうがいい目標だ。

だから、はっきり、これをして、少し頑張ればギリギリ達成できるかもしれないという目標を毎回更新していけば、死ぬごとに成長した自分が見ることができるかもしれない。そういう目標を立てるべきなんですね。

死ぬからといって、自暴自棄になってはいけない。最後まで、次に繋げる気持ちで、今を生き抜くこと。

少し暗めで真剣なテイストで、文章を書いてみました!ここまで読んでくれた方ありがとうございます!
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みなさん、今日も素晴らしい1日をお過ごしください!もしくは、今日もお疲れ様でした!

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