視線がこわい。
人に見られるのは構わないが、初対面からはじめましてのその目から自分が推測する他人の予想が嫌いだ。
考えすぎるのは良くない。と思いつつも
ああ、この人はいま私を見てこう思った
だったらこうしたらギャップになるだろうか
だとか
こういう反応をしたら喜ぶだろうな、だったら私はこのスタンスでいこうか
という予行演習をする。
それは、相手も同じようなことを思っていると考えると
今、予想の絡み付き合いが発生しているな
と感じてしまう
ブラックホールのようで、気分が悪くなる
「勘ぐる」ことは幼い頃からよくしていたことのひとつだと思う。
母親は劇場型であり、怯えながら
より良い自分に自分を当てはめて
テンプレートをつくり、鎧にしていた。
いい事だと思う。
人に喜ばれるような反応はこうだと予想がつくことは。
なりきれなかった自分は
平均的に好かれることはなく
かといって大切な人はいない訳ではない。
なりきれなかった自分となりきれた自分
どちらもこの先の想像はつく。
なりきれた自分のほうが生きやすい、
たくさんの人に愛されるだろうし、
愛をもって自分を肯定できるだろう。
けれど
少ない大切な人と
なりきれなかった、
今の不器用な自分に恋をして、自分で愛したい
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