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漫画「潮が舞い子が舞い」の良さを語る

1番好きな漫画を語りたい!

今日は、私の1番好きな漫画「潮が舞い子が舞い」の魅力を伝えていこうと思います。

「1番好き」ということで、かなりの熱量が入った内容になっています。私の脳内にある全語彙を使って全力でこの作品を語っていきます。このブログを読み終えた頃には、絶対に「潮が舞い子が舞い」を読んでみたくなっている。そんな記事を書いていこうと思います。

そもそも「潮が舞い子が舞い」とは何なのか。
一言で表すと、「架空と現実の塩梅が絶妙な人間ドラマ」です。
関西地方にある海辺の田舎町を舞台にして、高校2年生の男女とその周りの大人たちの会話がメインになっている作品で、阿部共実先生によって別冊少年チャンピオンで連載されている漫画作品です。色々なキャラクターが登場しますが、話によって毎回毎回メインとなるキャラクターたちが変わります。恋愛や友情の話もしますが、特にジャンルを定められないような雑談の話がほとんどです。会話の掛け合いが面白いので「日常コメディ」とジャンル分けされることもあります。ちなみに公式には「高校2年生の男女が織りなす青春群像コメディ」と書かれています。

では詳しい紹介をしていきましょう。

まず、この漫画の主な魅力となる要素は5つ挙げられます。

①キャラクター性

他の作品で描かれることのないキャラクター

この漫画の最大の魅力として、「本来わざわざ漫画という創作物では絶対に描かれないキャラクター像を見ることができる」というところがあります。
その一例として「車崎」というキャラクターがいます。
彼は今まで話したことのない女子がゾンビ映画の話をしているところに「そんなんじゃ彼氏できねーぞぉ」といきなり突っかかっていったり、英単語帳を読むさして親しくもないクラスメイトに「人生勉強するだけが全てじゃないんだぞ」としたり顔で言ったりするなど、ネットとかによくいる典型的すぎる無神経人間として描かれています。一言で言うと「嫌なヤツ」なんですが、こんな車崎も「潮舞い」の登場人物の一人です。実は車崎は”滝中”というイケイケなやつが多い中学の出身者で、現在の高校のクラスの中でも比較的イケてるグループの男女とつるめているのです。しかしこんな性格なので、同グループの女子や他グループの男子とまぁまぁの頻度で軽く揉めます。そこで同じ中学出身にして車崎の心の友、「釣岡」が出てきます。彼は性格が良い上に見た目もかっこよく皆から好かれる人物なのですが、そんな釣岡がいつも車崎をかばうのです。初めて彼らがメインになる15話では、女子に性格の悪さを指摘され落ち込む車崎を釣岡が励ますシーンがあります。ここがまじですごい。なんでもできる器用な男と不器用で人を傷つけてしまう男の友情は一見いびつなんですが、実は凄く純粋なんです。

また、車崎は漫画の話をしているオタクグループの近くで「漫画とか中学で卒業したわ、俺最近はもっぱら小説しか読んでねーわ」とアピールするイキリをしていたこともあるのですが、実はクローズを全巻持っている上に映画も見ていたり、他にも動物が大好きだったりするという意外な一面もあり、それが話が進むにつれて少しずつ分かっていきます。性格が悪いとされている人物を、性格が悪いとされたままで終わらせないというところに、物語としての”厚み”が感じられます。

いわゆる普通の漫画では、車崎のような性格の人物にフォーカスが当てられることはありませんし、もし登場するとしても嫌なヤツらのうちの一人として数コマ載るだけで、名前すらも付けられないでしょう。しかし「潮が舞い子が舞い」では、そんな男の内面に迫る話が丸々一話分も設けられているのです。

「潮が舞い子が舞い」2巻

他にも、大人しい女子3人組や、教室では静かだけど身内では滅茶苦茶はしゃぐガリ勉グループ5人組、メインキャラクターの弟や妹、同じ団地のニートなど、普通は焦点を当てられることのないキャラクターの細部に迫る話が多々あります。

プロフィールは見せない 真の人間性はエピソードに表れる

キャラクターについてもう1つ。実はこの漫画、キャラクターのプロフィールが載っていないんです。しかもほとんどのキャラクターが苗字しか判明していない。ですが情報こそ少ないものの、その分のエピソードがあります。この漫画にキャラが薄い人間など1人も登場しません。今出した車崎も、巻末のプロフィールに「ちょっと余計な一言を言っちゃうけど本当は繊細な男の子」みたいにうま~くまとめて済ませることもできます。でも、そんなことをするより、話の中でエピソードとして車崎の発言や思考を描いた方が人間性がよく分かるんです。ラブコメ漫画などにありがちな「好きな食べ物・血液型・身長・体重」みたいな綺麗にまとめられたプロフィールを否定するつもりはありません。ですが、この作品はそういった短い文で済ませられるものではなく、一人ひとりの性格をじっくり描くことで、より登場人物を好きになれるようにしているんです。

「潮が舞い子が舞い」は現在時点の既刊で、全54名のキャラクターが登場しています。日常漫画にしてもちょっと多すぎる人数ですが、それぞれのキャラクターの個性が話から伝わってきて、全員の名前を覚えられますし、全員を好きになること間違いなしです。さっきも言ったとおり、性格が悪いとされている人物を性格が悪いとされたままで終わらせない、一見地味な人物も地味なままで終わらせない。そんな漫画なんです。

この漫画に登場する人間は創作の中の存在ではなく、ちゃんと現実の私達と同じように家族がいて過去があって、モテようとしたりクラスに馴染もうとしたりと、個々の悩みも抱えています。本来ならカメラに映されない目立たない高校生の1人の時の表情や、親友といるときにだけ見せる表情とか、そういったものも見ることができます。

②アニメーション

動き

次に②のアニメーションです。漫画なのにアニメーション?と思うでしょうが、ひとまず本編から引用したこの画像を見ていただきたい。

「潮が舞い子が舞い」7巻

見ての通り下校中に友達とすれ違って「うい」「おう」と流す場面なのですが、視点が変わる頻度が高すぎませんか? 天空から→前から→横から の3コマですれ違いを表現してるんですよ。ただの町中でのクラスメイトとの遭遇をアニメ映画ばりのカメラワークでダイナミックに撮ってるんです。

もう一つ見てほしいシーンがあります。

「潮が舞い子が舞い」3巻

右左というキャラが、自分の家に遊びに来た女子に布団をかける場面です。ここの最後の2コマ。ここは 太もも越しの右左→布団をかけた後 というコマ割りになっていますね。顔を赤くして焦る右左と布団をかけ終えた後の様子の俯瞰が隣り合っています。女の子の太ももを見たいけど見ちゃ駄目だと思い急いで布団をかけたんでしょうけど、その布団をかける瞬間を描かないんですよ。目を瞑って顔を背ける絵の次に布団をかけ終えた絵を置くことで、その間にあったはずの「布団をかける」瞬間の動きを読者に想像させているんです。つまり、3コマ分の動きを2コマで表しているということです。そして7巻のすれ違いの例と同じく、カメラワークの変化もすごい。

「潮舞い」にはこんな風に動きのある独特のコマ割りが多く、絵だけを見ていても非常に楽しい作品です。上記の2つはほんの一部で、こんなシーンが沢山あります。

もう1つだけ、私が大好きで特に紹介したいコマ割りがあるので見てください。

「潮が舞い子が舞い」6巻

街の中華料理屋に行くシーンです。先程の2つほど視点の変化は激しくないのですが、看板を見つけてから店内に入るまでをカットして、席でコートを脱ぐコマを描いています。それから食事中に飛んでいる。それなのに、このあとどうするか聞かれた直後のコマではまだ無言で、次のページで答えています。食事が運ばれてきて食べだすまでの時間はカットするんですが、会話の1ターンにはしっかりコマを多く取ってるんですよね。見せるべき場面とそうでない場面をしっかり分けている。すごくないですか?ちなみにこのエピソードは6巻の最後の話として収録されているのですが、毎巻毎巻最後の収録話がちょっと切ないような終わり方になって、そこも注目ポイントです。私のお気に入りは3巻と5巻です。

絵面の魅力

そして動きのあるコマ割りだけではなく、1枚絵としての作画の良さもあるんです。

「潮が舞い子が舞い」5巻  

夜の暗闇と服の黒色が同化したり

「潮が舞い子が舞い」7巻

暗い感情に合わせて身体が黒くなったり…

こういう"画像としての良さ"は作者である阿部共実先生の過去作にも数多くあります。阿部共実先生の作品はどれも内容だけでなく作画も素晴らしいのですが、「潮舞い」はキャラクターそれぞれの個性も立っていることで、よりその画の魅力が際立っています。

③小さな伏線回収

繋がり合う関係

伏線回収、大好きですよね~みんな。伏線回収が嫌いなオタクなんていませんからね。「潮舞い」は田舎の人々の日常を描いているのですが、実は小さな伏線が張られたりもするんですよ。
全キャラ54名というだけあって、一気に登場するなんてことはありません。最初の第1巻では20人ほど出てきて、2巻以降新たなキャラが追加されつつ、最初に既出キャラの濃いエピソードも加えられていくといった感じの流れになっています。で、序盤に出てきたキャラと後半に出てきたキャラが実は親族だったり中学が同じだったりして、大量にいたキャラの相関図が徐々に結びついていくんです。これが楽しい。楽しくて気持ちいい。読み返せば読み返すほど発見があって本当に楽しいんです。

「潮が舞い子が舞い」4巻 
※ネタバレ防止のため台詞を一部隠しました

作中でこんな台詞もあるくらいです。ちなみにこの台詞を発している水木というキャラは漫画やゲームが好きで、普段からこういう言葉遣いをしています。決してメタ発言ではないです

SF映画やミステリー小説で見られるようなガッチガチの伏線ではないので「小さな」と表現しましたが、自分で伏線に気づいた時の喜びには大きさや小ささなんて関係ありません。また田舎ということで舞台もかなり狭く、数巻越しに同じ場所が出てくることもあります。これも小さな伏線の1種でないでしょうか。「2巻であいつが友達と座っていたベンチに、今は別のやつと座ってるー」みたいな感じです。

④ワードセンスと方言

言葉としての読みごたえ 音としての聞きごたえ

こちらも②の絵に関すること同様、阿部共実先生の作品全てに言えるのですが、台詞の言い回しが本当に良い。語彙力とかワードのチョイスとかが絶妙で、漫画にしては台詞が多い作風なのにも関わらず読んでいて苦になりません。台詞のセンスは世界中の漫画の中でも随一でしょう。しかも潮舞いの舞台は関西地方。関西弁がそこに加わるんです。もちろん、”~~やで”みたいな軽い関西弁なら「死に日々」という短編集でもありました。ですが潮舞いではツッコミのワードなどもがっつり関西弁を使っていて、そこに元々の特殊な語彙が絡んできます。このワードセンスは刺さる人には本当に刺さると思います。

よく使われるのは「ばり」「えぐ」「いかつ」など。私のお気に入りは「世界観いかつ」と「いちびんな」。


「潮が舞い子が舞い」5巻

ちなみにこれが作中の最高傑作です。天才すぎる。


しかもこのペン剣のやつを言っているの、ギャルの子なんですよね。阿部共実作品の世界観では基本みんな語彙力高めとなってて、ハイテンションなギャルでも有り得ないくらい賢くてかっこいい言い回しをかましてきます。

絵との相性

ぱっと見ゆるくて可愛らしい絵柄なのに、急に哲学的なことや風刺的なことを言ったりもしてきます。そのギャップに最初は驚きますが、しばらくすると段々ハマっていくはずです。

哲学だの風刺だのと聞くとなんだか気取ってる風な匂いがしますが、実際は全然そんな感じはしません。ギャグシーンとか普通の雑談との割合が丁度よく、最後にちょびっとだけ余韻を残してくる感じになっている。このギャップがガツンときます。見た目は可愛いのに実はアルコールがガッツリ入ってるお菓子のような良さがあって病みつきになること間違いなしです。

⑤主役と脇役

誰もが主役で、誰もが脇役

「潮が舞い子が舞い」は各話ごとにメインとなるキャラクターがいて、毎回違った毛色の内容が読めるということを冒頭で話しました。そして現在54人ものキャラクターが登場しているとも話しました。しかし、あるキャラクターがメインとなっている話に他のキャラクターが一切出てこないわけではありません。キラキラした女子のグループやヤンキーグループがあるのですが、引き立て役として他のグループが絡んできたり、新たな組み合わせによってまさかの化学反応が見られたりといったことも多いです。また、全然接点の無さそうなキャラクター同士でも存在は認識しているので、会話の中で「そういえば同じクラスのあいつが」と話題に出ることもあります。また、廊下や教室での引きの絵が描かれるときに、ちっちゃくその話ではメインになっていないキャラクターが映りこむこともあって、そういうシーンを見るたびに、全員が同じ世界で生きているんだということを再認識させられるのです。誰かが主役となっている話に関係ないキャラが出てこないわけではなく、脇役として出てきます。誰もが主役になれる瞬間と、脇役として存在している瞬間がある、ということです。

下校中に恋愛やエロの話で盛り上がっていても他のクラスメイトからしたらそいつらは真面目で静かな勉強グループでしかないし、垢抜けていて近寄りがたいと思われている人気者グループ内にも彼らなりの悩みや確執があったりと。でもそんな裏の事情は本人たちしか知らない。ところが、私たち読者は神さま視点で全ての登場人物のことが見えるという創作内の特権をフルで使っているので、全員の内面的な魅力をより深く知ることができます。私が導入で語った「架空と現実の塩梅が絶妙な人間ドラマ」という表現には、このような意味がこもっていました。

以上です。





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