第64回グラミー賞を前に
私は1994年からイチローファンをしていて、ほとんどの友人はそのことを知っているが、これより長いファン歴なのが、マイケル・ジャクソン。明日のグラミー賞を前にどうしても書いておきたいことがある
もちろんBTSのグラミー受賞祈願なのだが、受賞の可能性については専門家が書いているし、BTSの音楽性なども深い考察をされている人がたくさんいるので割愛して、それよりも言いたいことがある
マイケル・ジャクソン
我が家は日本の音楽番組を全く見ない家だった。母が聴いているのはビートルズで、NHKで深夜に放送されていた音楽番組(ソウル・トレインやエド・サリバンショーの再放送、ミュージックビデオ特集等)を観ていた。おかげで何歳の頃かわからないが、すでにリリースから数年経っていたマイケル・ジャクソンの「Thriller」に出会い、心を奪われた
Dangerous
その後、1991年のアルバム「Dangerous」に収録された「Remember the Time」「Black or White」のミュージック・ビデオのリリースをリアルタイムで味わい、ますますのめり込んでいく
そして1992年10月に「Live In Bucharest: The Dangerous Tour」がNHK BSで放送された。我が家にはBSが入っておらず、同級生に頼んでVHSに録画してもらった。もはや観すぎて、どこでどんな観客が倒れるか、どういう感じでノッているかまで記憶している。テープが擦り切れてこの「お宝」が観られなくなったらどうするのだと言われて、観るのを控えめにしたほどだ(が母もかなり観ていた)
「Black or White」のマイケルが格好良すぎて、ステージ衣装を真似て、黒い細身のパンツと白いオーバーサイズのシャツを着る小・中学生だった
HIStory
続くアルバム「HIStory」のツアーで、初めてマイケルを観ることが出来た。チケット発売日当日、かなり早起きをして、西武池袋店に入っているチケットセゾンに並んだのを覚えている(今のようなネット時代ではないので)
マイケルは小指の第一関節ぐらいの大きさにしか見えなかったが、体でマイケルの音楽を感じ、最高の体験をすることができた。私の人生で、マイケルを観たというのは大きな自慢でもある
ただ、HIStoryに収録されている、妹ジャネットとのコラボ曲「Scream」で表現されているように、その頃のマイケルは叫びたいことばかりだった。同じく、ファンも反論したいことだらけだったが、世界は面白おかしくゴシップを取り上げ、誹謗中傷を繰り返していた(詳細は不愉快なので割愛する)
マイケルに学んだこと
マイケルを知って大きく変わったことは、ひとつは、世界で起きている問題を知り、それをどう解決していくか考えたり、自分ができる支援とは何なのかを考え、そういった活動に参加する・したいと思うようになったことだ
マイケルが「We are the World」「Heal the World」で訴えたことは幼い私にも十分に届いたし、「Earth Song」で訴えた自然破壊・温暖化の問題は今もなお解決されないまま進行形であることは言うまでもない。ひとりの力は小さいということが、何もしないことの言い訳にならないことを、マイケルは教えてくれた
そしてもうひとつ学んだことは、スターは生身の人間であり、スターについてファンが知っていることは「見せるため」に公開されていることだけで、私たちはほとんど何も知らないということだ
そしてスターは私たちの「思い通り」になるものではない。彼らも成長し年を取り、嗜好も思考も志向も変わっていくということだ
当たり前と言うなかれ
マイケルが結婚・離婚したり、子どもをもうける中で、本当にひどいプライバシーの侵害と憶測の範囲を出ないゴシップが垂れ流されたし、それを見ようとする人もたくさんいた
マイケルが語らないことを、一挙手一投足から「分析」して「面白おかしく」仕立てるメディアには本当に我慢がならなかったし、それを真実のように語る一般人にも我慢がならなかった
我慢がならなくて喧嘩をしたこともあった。浪人生時代の予備校で、現代文の教師が授業中にマイケルのことを嘲笑した。私はその瞬間に言い返し、教室を出ていって、二度とその教師の授業を受けなかった。大変人気のある教師だったが、クラスを変えてもらい、とにかくその教師が後悔するほどの順位と偏差値を取ることに決めた(全国1位を取った)
話は戻り、マイケルが精神的に苦しいだけであったとは思いたくない。映画「THIS IS IT」で、若いダンサーに慕われるマイケルを観て、安堵し涙したファンは多かったと思う。ああ、よかった、幸せだったなだろうな、と
しかし、謂れのない誹謗中傷・嘲笑がなければよかったのは間違いない。スターだからといって、そういう目に遭って良いわけではない。スターによる素晴らしいパフォーマンスを堪能するためには、スター自身に健康で幸せでいてもらうことが一番だ。その障害に私たちファンがなってしまったら、元も子もない。彼らがいなければ、「ファン」という存在はないのだから
BTS
マイケルを観るために、アメリカン・ミュージック・アワードとグラミー賞をチェックすることが習慣になっていた。2009年にマイケルと悲しい別れをしてからも、その習慣が抜けなかった
グラミー賞が白人至上主義で、ヒップホップやラップを嫌い、ボーイズグループを軽視する、時に不愉快な集団であることはわかっていた。しかし多くのパフォーマンスを堪能できるのも事実で、わざわざWOWOWを契約して、毎年心待ちにしていた
2020年
2020年、私にとって衝撃的な事件が起きた。アジアのポップグループが、グラミー賞のステージでパフォーマンスをしていた。そんな時代が来るなんて予想していなかった。本当にびっくりして、全く知らない彼らがとにかく誇らしかった。そして格好良かった(特にRM&JIN)
それまでも言い訳のようにプレゼンターにアジア人が登場したことはあったが、前年BTSがH.E.Rに授賞していたことは気づいていなかった。気づいていてもグラミー賞がまたやった言い訳、としか思わなかったと思う
それぐらいグラミー賞とはそういうところだと思って観ていたので、パフォーマンスを観る日が来るとは、本当に想像していなかった
そこからBTSについて調べて、聴いて、観まくって、”BTSファン”(ARMYと言うのは気後れ)というのも私の自己紹介に追加されることになったが、直後に発生したコロナ禍によって、彼らをライブで観る機会は訪れていない
2021年
私たちにとってそうであるように、先の見えないコロナとの戦いは彼らにとっても厳しい日々。精神的苦痛を歌にして乗り越えようとし、長年抱えた肉体的苦痛の解消に取り組んだりしながら、「Dynamite」の大ヒットにより、ついにグラミー賞にノミネートされた
コロナ禍によってソウルからの出演ではあったけれど、前年と違い、自分たちの歌で、自分たちのステージ。本当に素晴らしかった
なんて素晴らしいんだ、と思ったが、心の中で受賞はないと思っていた。なぜなら言い訳が透けて見えるカテゴリでのノミネートだったからだ。なおもこのようなことをするのかと、ありったけの悪口を叫びそうになったが、止めておいた・・・
2022年
私にとってグラミー賞より信頼度が高いアメリカン・ミュージック・アワードでArtist of the Yearを受賞して臨む今回のグラミー賞。また昨年と同じカテゴリのみのノミネートだったので、本当にもう、また悪口を言いそうになった(というか言ったかな)
だからこそ余計、今年こそ受賞させてもらうよ、と思ってるが、誰もが分かっている通り、受賞できなくても彼らの価値が変わることはない。むしろ、グラミー賞がその程度だということだ
グラミー賞よりも
BTSの皆さんに健康で幸せでいてもらうことが一番だ。そして、新しい曲を新しいパフォーマンスを観せ続けてほしい
BTSを知った時に一番思ったことは「ファンがうらやましい」だ。BTSの7人は今この瞬間を生き生きと彩り、新しいパフォーマンスやコンテンツを生み出し続けてくれているからだ
マイケルのファンは、これまでのたくさんの作品を楽しむことはもちろんできるし、一生それを繰り返していくこともできる。でも、何かを心待ちにして、それを味わうことは二度とできない。ただ、失った悲しみと、自分たちが無力であったことを痛感することしかできない
時々、”ARMY”を名乗りながら、彼らの成長や今の彼らがやっていることを受け入れられていないSNSのポストを見ると、とても残念な気持ちになる。嫌なら黙ってファンを辞めればいいだけなので、本当に理解できない
スターは私たちの「思い通り」になるものではない。彼らも成長し年を取り、嗜好も思考も志向も変わっていく。しかも、彼らは私たち一般人よりも凝縮してたくさんの経験をし、早く大人になることを求められてきた。政治や法制度にまで影響がある。それがどんな苦痛と苦悩をもたらしているか、少し想像してみてあげてほしい。ひとことで言えば、どれだけ頑張っているか・・・
だから、BTSの皆さんがほしいというからグラミー賞は取ってほしいし、それに値すると思っているけれど、それよりも、よく寝て、よく食べて、メンバー同士でよく笑って、幸せでいてほしい。そうしてパフォーマンスを見せてくれることが、私というファンにとっては1番です
追伸
JINくんの左手が少しでも良くなっていますように
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