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実は入院していました。

昨日の夜、神奈川のアトリエに戻りました。
2022年の出展、全て終わり、やり切った感と共に、既に気持ちも思考も来年へ向けての製作に切り替わりつつあります。

その前に、記録しておきたい事が1つ。

"公開するのは全てのpopupが終わってから"

そう決めて、少しずつ書き足しながらこの1ヶ月過ごしてきました。

実は私、10月11日に緊急入院をしておりました。1週間程の入院でしたので、18日に退院。
なんだ、短いじゃん、と思われるかもしれないのですが、心臓の持病の入院だったのです。

以前も少し病気の事には触れていますが、これの再発…と言っていいのかな。13年ぶりのことです。あの時も10月でした。偶然だけど。

何が起きたのかというと、入院する前の1週間で3回ほど胸の痛みが…いや、痛みともなんか違って…表現するなら違和感?、それと突然の首の強張り…経験したことのないような強烈な強張りです。そして喉のあたりの痛み?違和感?がありまして。?を付けているのは13年前のとは感じ方が違っていて自分では判断ができない…でも明らかにこれは何かおかしいんだろうなってことだけは自覚があって。

流石に3回目の違和感が起きた時に、これはやばいのかも…と思い、ISAMUさんと相談。病院、いく?救急で行く?様子を見る?…と悩んだ結果、結局3連休明けの11日、かかりつけの病院へ行きました。心臓は持病ですから、1泊くらい検査入院もあるかもって予想して、お泊まりセットも持参。もう入院のプロかって話。

救急ではなく外来で行ったけど、13年お世話になってる病院で症状があると伝えたからか、すぐに検査をしてくれましたが、心電図にもエコーにも何も異常がない。これはもう私の場合、毎度のことです…今回もか…って感じで。血液検査も通常の項目は全て問題なく、ただ1つだけ、心臓の組織の破壊を示す数値が微妙に上がってる、ということで、13年前のこともあるしこのまま帰すわけにはいかないと、入院することに。

とはいえ2つ返事で、はい、入院します、とは言えませんでした。
だって仕事があるから。
まぁ、まだゴネるくらい余裕がある体調だったとも言える。
心筋梗塞起こしてたら、有無を言わさず入院に決まってるんだから。だからこそ、ゴネました。できることなら入院せずになんとかできないかと。主治医の先生には即答で、帰すわけにはいかない、帰るなら、死んでもいいと一筆もらわないと帰せないよ、と言われる。

ISAMUさんを呼んでもらって相談。
スケジュール確認。私がいない間の仕事の確認。その上で、1週間…1週間で退院します、と勝手に期間を決めて結局入院に至りました。

いずれにせよ何が起きているのか調べないことには始まらない。
が、調べたところで、13年前のように"原因不明"で終わる可能性もあるけれど、13年経って2度目の発作が起きたわけだから、やっぱり心臓に何かあるのは確かなんだろうなと、さすがに薄々感じ取ってはいました。

1番怖いのは、調べた結果、1週間どころの入院では済まない…となる確率もゼロではないということ。
言葉悪いけど、ギャンブルみたい。
本当に賭けでした…自分の中で。
できることなら、週を跨がず退院したい。
退院したいから、13年ぶりのカテーテル、やると決めました。感情が矛盾してるような感じだけど、これがほんとです。

カテーテル検査。
怖いよね、心臓に物入れるんだから。動脈通すんだから。
実は13年前は大泣きして大騒ぎしたのです。大の大人が…ね。
今回ももう大変で大変で…
って騒いだ自分で言うなって感じだけど。まぁ、緊張と恐怖の連続って感じかな。。

でもホッとしました。カテーテルを入れられてすぐ、血管は綺麗って言ってもらえたこと。
狭窄はゼロ。
そうなると次の検査は、足の付け根から一時的にペースメーカーを入れ、人工的に心臓の血管の痙攣を誘発する検査。
まずは心臓の左側。
何もないわけではなかったようなんだけど、診断を付けるまでには至らなかったとのこと。
そして今度は右側、どうする?やる?と先生に聞かれて、もうここまで来たらやるしかない。
そして結局…右側…はっきりと痙攣起きました。

この日起きたことは
"冠攣縮性狭心症"
原因がはっきりわかっていない病気らしい。健康上なんの理由も見当たらないのに、突然血管が痙攣して狭くなってしまうんだそうな。酷いとそのまま血管が塞がって心筋梗塞に…
13年前もこれが起きていたのでは?との見立て。起きた場所が心臓の先っちょで、その周辺の組織が壊死したのみだったので、お陰様でこうして元気に過ごしてきました。

そして今回の検査と13年前の状況を合わせて予想されるもう1つの症状が
"特発性冠動脈解離"
50歳以下の女性の突然死に多いそう。やはりなんの持病もないのに、突然血管が裂けてしまい、死亡してしまうケースも少なくないという原因不明の病気。聞くだけで怖い…
ホルモンや血管の異常、ストレスが要因と考えられるとのこと。

13年前から先生はこれを疑っていたんだけど、調べようがなかった。当時この病院に来た時はもう心臓の状態が落ち着いていたんです。本当は1番しんどい時に検査できてれば、もっと早くにわかったかも…なんですが、13年かかってしまいました。

検査で引き起こされた"冠攣縮性狭心症"は、大抵薬の処置で短時間で正常に戻るらしいのですが、私の場合、不整脈の戻りが通常より遅かったこと、検査後病棟に戻ってから、また胸と喉に違和感があり、まぁ、発作なんだろなぁ。それでもやっぱり心電図には何も変化が出ない。そして実は検査前日にもこの発作みたいなのが10分ほどあり、心電図に変化がないのは同じなのに、血液検査では心筋が壊れている数値がさらにちょっと上がってると出ていて。
この数日間の症状と、カテーテル検査の結果を合わせると、"特発性冠動脈解離"も同時に起きかかっていたと見られる、ということなんだそう。
そのほかにも今回は前より詳しく調べてくれたようなんですが、やはり何も悪いところは見つからず。ホルモン異常も無さそう。造影剤を使ったMRI検査で心臓丸っと見ても問題無し。いい事なのに、原因がないのに心臓が…というこの状況は、13年前とほぼ変わりなく、なんとも言えない気持ちにはなります。でも13年前はもっと何も分からなかったから、今回はわかったこともあった。それだけでもちょっとホッとしました。

こうして文字で書いてしまうと怖いですよね、そうですよね。でも、何も知らずに私と会ったら気づかないでしょ?そう、元気なんで安心してくださいね。

13年前は、どう生活していけばいいんだってほんと悩んだけど、今回はそのあたりの不安はないです。生活上注意しなくてはいけないことは、この13年間と何も変わらないとのことなので。

ただ、確実に一生薬を飲み続けないと、発作は再発するということを言われたのは、前回と違うことかなあ。

あと、とにかくストレスコントロール。
確かに、13年前も今回も、普段は無いほどのストレス下にいました。

13年前は心臓のほか、帯状疱疹も同時期に起きたし、耳にも症状が出ていました。検査しても耳の機能は全く異常がなく、健康。
なのにずっと雑音が聞こえたり、耳が水の中にいるような感じになったり、曇って聞こえたりして。
先生から言われたのは、
"聞きたくないことがあるんだね"と。
その意識が体に症状として出てきている、と言われて、神経系の治療をしてもらったこともありました。

ストレスの原因は、大抵"人"。
人間関係。

自分の人生は自分で生きたいので
付き合う人はちゃんと選ぶ。

それは仕事もプライベートも同じ。

どんなにいい人だと思っても
突然掌返されることもあるだろうし
理不尽な要求されることもある。

だから自分もそうしてやる

っていうスタンスではなく

そもそも付き合わない
という選択もある。

私みたいな吹けば飛ぶような個人のものづくりは、なめられる。
足元見られる。
嘘もつかれる。
雑に扱われる。

事もあるんです。

それは仕事の場面だけじゃなく
プライベートで出会う人からも
そう扱われる事もある。

そういう向かい風を
体当たりで受ける必要もない。
体を横にしてかわしたっていいんだよ。

ということなんですよね。

今回もそういうこともあったし
それだけじゃないストレスもありました。
毎日怒ってた。
毎日涙流してました。
そういう積み重ねが
心臓の負担になったのだと思います。

カテーテル後の右手。動脈の止血中。

今回の検査で驚いたのが、13年前に心筋梗塞を起こした箇所、心筋が壊死してしまって動いていなかったところの血管に、再び血が通っていることがわかったそうです。そのことから、やはり血管が詰まって起きた心筋梗塞ではなく、突然の痙攣から起きた心筋梗塞だったのだろうと、見立てもはっきりしたのだそう。しかし壊死した心筋が戻ることはないから、心臓の機能が戻ったわけではないらしい。残念。

でも、人体の神秘だなと思いました。上で引用した以前の記事の中で看護師さんからの忘れられない言葉を書いたけど、まさにそんな感じなのかもなあと。あの言葉があったから、私は自分の体を信じ続ける事ができたわけだし。

この13年、私は足だけとは言え何度も海に入ったり、大分旅行では1日に何度も温泉入りまくったし、日本でもアメリカでも、軽いトレイルは何回も楽しんでる。
先生は青ざめて、大丈夫?とか驚いてたけど、体には何の不安もありませんでした。
何かする時は、自分の体を信じてあげること、そして応援してあげることを意識していて、心の中で、私の心臓、頑張れ!鍛えるぞ!と声をかけていました、笑
その甲斐あってだと勝手に思ってます。自力で血管広がってるって。

これから先も、私は元気!

毎日ガハハと笑って過ごす
好きな人たちと楽しく過ごす。
自分を大切にする。
私を雑に扱ってくる人に私の感情を向けない。

それさえ意識していけば
大丈夫だと信じています。


なんでこの話をリアルタイムじゃなくて、後になって発表することにしたのかって言うと、まぁ、当たり前だけど、みんな、心配すると思ったから。
私はめっちゃ元気。
書いてる内容はそうは見えないだろうけど、ほんと元気なのです。このpopupでお会いした皆様が証明してくださると思う!笑

実際退院した翌日から普通にアトリエで製作スタート。毎日朝から寝る寸前までミシンフル回転で仕事に打ち込んでいました。入院していたことが嘘のように。

しかしほんと、何もないのに…不思議です。
ほんとに何も悪いところなくて
なのに突然心筋梗塞になったり、
心臓の血管の痙攣が起きたり。
解明されていない病気。
うまく付き合っていくしかないですね。

入院中心強かったのは、HOLOHOLOBIYORIはもうひとりぼっちではないということ。
私が不在中もISAMUさんが動かしてくれていたから、全く立ち止まってなんかなかったんです。メールの返信も、病院から、アトリエからと、2人でこなしたし、オンラインからのご注文も、発送していたし、麻袋も洗っていたし、製作もしていた。アトリエは止まっていませんでした。

ISAMUさんが作業進めていてくれた


正直私自身、13年前は流石に死にかけたことを自覚していましたが、今回は、まだそこまでの危機感を感じていなかったから、きっとこの直感は当たると信じていました。
1週間で帰る、と決めていたのもそれがあったから。

まぁ、入院を隠していたことで、なかなか犬服をオンラインへ追加掲載できなかったり、納品も12月に変更させてもらったり、皺寄せがなかったか?というとそうではありませんが、皆様のご協力あって、八方塞がりではなかったです。

結果論と言われればそうだけど、でも、まだまだ頑張りますよ。
来年も頑張ります。

卑屈になる必要は何もないと思っています。
誰だって何かしら、周りに話してないことあると思うんだよね。
持病がある方もいると思うし
家庭のことだったり
いろんなこと
ハンデみたいに思われるような事、あると思うんだよね。
それで暗くなって終わるのか
慰められて自己満足なのか
それとも、
周りがそのことを忘れるほど元気に自分のやりたいことをやり抜くのか
自分がどんなふうに生きたいのかってことなんだと思うのです。

私は圧倒的に3つめのパターン。
だからこの仕事を選んだんだし。

今日も明日もガハハと笑って過ごします


終わり!

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