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02:【デザイン】ものづくりの物語 Vol.01

3日坊主の天才・天神です。
無事、2日目を迎えています。

今日は最近、改めて思うものづくりのことを呟いてみようと思います。

ものづくりの原点 きっかけは日常に

むかしむかしを遡り、私が建築に興味を持ったのはいつだったのか?
それは歳も1桁の幼少のころ。

当時、住宅チラシはとても立派な厚手のコート紙のA2サイズ2つ折り
裏面は白紙。
という、今では考えられないような贅沢なものでした。

住宅の間取りが幾通りも掲載されたものが、何枚も金曜・土曜の新聞に挟まっていました。

それらを集めて、広告の裏に書き写したり、自分の家をイメージして間取りを考えたりするのが、私の日曜のルーティーンだったように思います。
(当時は土曜日も学校があったので、日曜しか楽しめなかった)

小学5年生のとき
自宅に子供部屋を増築する工事がありました。

もちろんテンション爆上がりです。
自分の部屋のクロスやフローリングの色を決めるのにワクワクしました。
クロスはこだわり抜いた…白!一色!一択!
床は…ダークブラウン!迷いなし!

これが11歳の少女のセレクト★

当時は
化粧板(木目)の壁から柄物クロスへ移行していた時期でした。
真っ白な壁や、濃い茶色の床なんて、むしろ奇抜!
すでに何かが始まっていたんでしょうね。

その工事の際に、玄関のリフォームもしていました。
毎日学校から走って帰ると、職人さんがいるのです。
興奮です。

特に興奮したのは
「墨出し」という、位置を決めるための道具…「墨壺」

この渋さ。
毎日、墨壺を眺めて興奮していました。
(写真はWikipediaさんから借りました)

忘れてはいけない。
墨壺に萌えていたのは、11歳の少女です。


日常の中の問題解決のために
  デザインという「工夫」の道を

大学受験に際して、学校選びが始まって
私はドのつく文系人間なのに、工学部を受ける!と担任に言いに行きました。
もちろん担任はひっくり返りました。
これについてはまた、改めて綴ります…

私がその時、建築の道を決めた瞬間のハッキリとした記憶は無いのだけれど、祖母との生活から大きな影響を受けていました。

祖母は私が生まれる前から、薬害で足の神経に障害を持ち、スムーズな歩行ができませんでした。
当時「バリアフリー」なんて言葉も存在しなければ、そんな配慮もない家や町づくりでした。

日常の小さな1つ1つに不便があり、なんとかできないものか…?と祖母を見つめながら育ってきたことが、根底にあります。

当時はまだ目にすることが少なかった
「都市計画」「シビックデザイン」の中でも
「福祉建築」というものに強い興味を持っていたような記憶です。

自分に何かできるかもしれない。という期待を
自分の中に寄せていたのかも知れない。ね。


こんな感じで、私の「デザイン」とともに進む時間が始まりました。とさ

読んでくださってありがとうございます。
長くなったので
またね〜👋

ステキな休日を❤︎

目にしてくれた人の心に

ちょこっとした小さな灯りにでもなれば

これ幸い

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