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最後の「広島県大竹市、和紙の手描き鯉のぼり」 民芸玩具訪ねある記 第一回

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広島県有数の和紙の産地・大竹市で、手描きの鯉のぼりを作り続けてきた大石雅子さん。原子爆弾と鯉のぼりのお話

はじめて大竹市の大石さんを訪れたのは、2017年の5月。広島、岡山、兵庫と、職人さんたちへ挨拶の旅の中でした。大石さんの前には宮島張り子の田中さんを訪ねたところだったのですが、田中さんはその昔、和紙の相談で大石さんに会いに行ったことがあったそうです。若き日のお嬢様のような大石さんに。

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初めてお会いした時、この上品な方があの凛々しい金太郎を、5メートルもあるような和紙の鯉のぼりを、この家で作っているなんて思いもしませんでした。2階に上がると、そこには大きな台と道具が整然とならび、完成間近の鯉たちが干されていました。それにしても道具が美しい。化粧筆でも有名な熊野筆に頼んで作ってもらった専用の刷毛達が、びっしりと鯉のサイズ別に束ねてあります。いまでは多くの職人さんも省かざるをえない自家製染料も膠(にかわ)も、ご自分で作っていらっしゃいます。太陽にとても弱い透き通った赤の色。この道具たちで、下描きをすることもなく、今こうしている目の前で、す、すっといつのまにか和紙が鯉になっていました。日本で最後かもしれない、手描きの和紙の鯉のぼり。すると大石さんは突然、原子爆弾の話をはじめてくれました。
 翌年、大石さんから電話がきました。「わたし、今年でもうやめようと思うの」。鯉のぼりの前で最後のお話を聞くために、8月14日、とても暑い大竹市を訪れました。となりは山口県の岩国。73年前のこの日、アメリカ軍は残りの爆弾を岩国に落とし帰って行ったそうです。大石さんの最後の筆使いを撮影させてもらい、初めてあった時と同じく73年前のお話がまるで目の前で起きているように、あっという間の6時間が経っていました。

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「その日は広島市内の中学校、女学校の1年生8000人ほどが建物疎開の片付けに駆り出され、生徒は学校ごとに決められた現場に集合することになっていました。しかし私の通っていた女学校は、一度学校に集合するように言われました。
 学校に着いて廊下でおしゃべりをしていると突然ピカッと光って、慌てて教室に入って目を瞑って伏せていました。音がやんで目を開けてみると、そこにいたのは飛んだ窓ガラスで血だらけになった4、5人だけで、あとはみんな逃げていなくなっていました。しまった、逃げ遅れたと思って、窓から飛び降りて運動場に出ると、血だらけの先生が生徒を一生懸命手当てしていたんです。その光景は強く印象に残っています。元気な人は裏山へ逃げるように言われたけれど、裸足のまま飛び出してしまったので、防空頭巾と救急袋を取りに急いで教室に戻りました。ついさっき綺麗に掃除した教室の机と椅子は飛び散ってぐしゃぐしゃになっていて、天井は剥がれ落ちていました。倒れた下駄箱を起こして、必死に靴を取り出して逃げました。
 他の学校は現地集合であったのに、私たちだけ学校集合となったのには理由があって、実は当時の校長先生が、空襲と気象の関係から、空襲が来ると予感して私たちを学校に留めていたんです。このことは9年経ってから、新聞記事で知りました」

東京から広島へ来て1年2ヶ月で、大石さんは原子爆弾に遭っています。当時の様子は今でも鮮明で、まるで昨日の記憶のように詳細に語ってくださいました。原子爆弾でお母様を亡くし、過酷な経験をした女学校時代。終戦後、大石さんのその後の将来を予感させるようなエピソードがありました。

「女学校では2つまでクラブに入ることができたので、コーラスとバレーボールのクラブに入っていました。ところが、美術の授業で私の絵を見た先生から、美術部に入れと勧められたんです。もうすでに2つ入ってますよと言っても、いいから来い、と。美大に行くことも勧められましたが、原爆で母が死んで、私が弟を育てなければいけなかったので、そんなこととても父には言えなかったです。家計も私が握ってやっていたから」

絵を描くことは昔から好きだったようで、結婚して手漉き和紙の協同組合で働くようになったのち、契機が訪れます。

「昔は電話がある家が限られていたので、取引先からの連絡は全て組合の事務所で受けていました。当時鯉のぼりを作っていた理事長のお宅には、これだけ注文が入ってますよと自転車で伝えに行っていました。忙しそうな様子を見て、これは間に合いそうにないと思って手伝い始めたのが因果でしたね。その後理事長が亡くなって、私がやらなきゃと思ったんです」

その後は、手描き和紙の鯉のぼり一本で順調にきたわけではなく、ご主人と試行錯誤の日々が始まります。

「50年くらい前、布製(木綿)の鯉のぼりが出てきましたが、重くて空で泳ぎにくかったんです。そこで、軽くて丈夫なナイロンが新しい素材として出てきて、鯉のぼりもナイロン製のものが流行したんです。セットの注文や一気に50匹なんて注文もたくさん受けました。ナイロンは最初とても高価でしたが、2年くらいで大量生産できるようになって安くなりましたね。ナイロン鯉のぼりは製造工場から直接買い付けていました。和紙作りも機械化されて、一時期は機械和紙と手漉き和紙の両方を使っていましたが、残すなら手漉きだと思い、機械和紙を使うのはやめました」

しだいに大竹の海岸一帯は工業地帯として発展し、紙作りに使っていた水は工業用水として使われるようになってしまいます。紙を作る家がだんだん減り、協同組合は解散。大竹和紙は衰退の一途をたどることになります。

「昭和50年前より紙漉きをする家がなくなり、伝統がなくなると考えました。主人は今ならまだ技術を持った方々がいるので間に合うと考え、紙漉き道具を一式作り、やめたお家の乾燥機を買い取って、職人さん達が負荷なく続けられるようにしました。その後、主人は体調を崩したため続けていくことが難しくなりましたが、周りの方々のご尽力により保存会が出来ました。子どもが生まれた家から鯉のぼりの注文を取ってきて、作った鯉のぼりを一軒一軒歩いて納品して回りました。保存会は現在も「手すき和紙保存会」として続いていますが、昔の技術を持っている人はいないので和紙の質も全然違います。当時の和紙が残っていればと思いますが、大竹和紙は主に日用品、実用品として使われていて、保存用には適さなかったんです。ほとんどは消費されてなくなってしまいました」

これまで大竹和紙と鯉のぼりの継承に尽力されてきた大石さんは、平成28年12月、文化庁より「地域文化功労者」として表彰されます。表彰式で上京し同行してくれた弟さんから「これ以上栄誉なことはないよ。いつも身体が痛い痛いと言いながら仕事をしているが、もうやめなさいよ」との忠告をうけます。もっとも理解をしてくれている弟さんからの忠告に、生涯鯉のぼりを作り続けようと思っていた大石さんも、ついに筆を置くことを決められました。残りの注文分の鯉を描きながら、最後にこう語ってくれました。

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「絵付けを本格的に始めてから、自分に合う筆を求めて熊野を探し歩きました。穂先が短いと描きづらいので、職人さんにお願いして穂先が長いものを作ってもらいました。広島カープが優勝した時に20mの鯉を作りましたが、そのときも大きい筆を作ってもらいました。
 鯉を描いていると、自分なりに出来上がりに良し悪しがありました。不思議と近所の子どもに似ていたり。昔は空に泳がせて遠目で眺めていたから、多少の滲みなんて気にならなかったですけど、今は室内に飾る人も増えて近くで見るようになったので、綺麗に描くように気を遣っていました。核家族化に伴い家が建て込んできて、テレビのアンテナに引っかかったりと、鯉を空に泳がすことが出来なくても、子どもの日をお祝いすることをやめてほしくないと思って、小さい鯉のぼりを作ったりもしたんですよ。最初は1.5m、そのうち1.2m、90cmと。こうしてみなさんに喜んでもらえて、お手紙をいただいたりお話を聞きにきていただいたりして、ここまでやってこられたと思います」

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かつて大竹市では、子供が生まれると、その子に大石さんの鯉のぼりが送られてきたそうです。子供達が大きくなった時、みなこの鯉のぼりを知っていました。帰り道、岩国の居酒屋に入ったところ、東京の顔をしていたのか、どこから来たの? と板前さん。大竹市の鯉のぼりのところへ。あーあーあー、みんな知ってる、どうしてそこへ? 今年で大石さんはもう描かなくなります。それは知らなかったよ、本当かい?

新生児たちに届けられていた鯉のぼりは年々数量が減り、町の財政難のために最後には届かなくなりました。大石さんは人口減という実態をどんな数値よりも、数値に現れるよりも前に、鯉のぼりを通して実感していたそうです。原子爆弾の体験のことも、今まではあまり話してこなかったそうです。この最後の筆使い、うすく軽やかなのに質量感の溢れる鯉のぼりと原子爆弾のお話、このものたちが何を伝えているのか、まだ明確に言葉にできません。古き良き、伝統などということではなく、何かがあって何かが失われて、またこの先には何かが起こりうる。そのときのために、1匹の実物と残された言葉のエッセンスがあれば、また仲間が再生産されるのだと思います。

※残念ながら、この鯉のぼりは現在作られておりません。​


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土地の風土に根ざして受け継がれてきた、日本各地の郷土の玩具たち。デザイン会社アトリエタイクが、その愛すべき生活[非]必需品たちを訪ね、独自の目線で選んだ民芸玩具のセレクトショップです。
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