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身体から見えてくるどこにもない時間‥ as above so below #10 コップを見てる?過去の記憶をみてる?本当に見ると見えないもの。

身体から見えてくるどこにもない時間‥ as above so below #10 コップを見てる?過去の記憶をみてる?本当に見ると見えないもの。


バイオに出会う前,約10年前,私は別のコースの365日のワークの終わりに差し掛かっていました。

例えば,一つのコップを見るとする。
あなたはコップをみているのだろうか。
それともコップに関する過去の経験を見ているのだろうか。
過去の学びが、なければ、たぶんこのコップがなんなのか、見当もつかない。

みたいな、、
毎日少しづつ認知の修正をするワークを続けていました。それが楽しくて仕方ありませんでした。

今目の前にあるものを何一つ見ていない,

けれども随所に記されている“身体はありません“というワークの前提を言葉通りに理解しようとしていた私はそれがどうしても腑に落ちません。

いや、あるじゃないかと。

もしないならば、それを頭でないところで体験できるものはないかと探し歩いた末にバイオにたどり着きました。

間違いなく肉体を扱うし,そこに変化が起こる。
それまでとは逆に解剖の細々まで、組織、機能詳細に渡り詳細に渡り学び始めました。

そして,9年目に差し掛かり,見えてきたものは
健全な肉体は見えない、、均衡に保たれているものは目に入らない,見えるのは病変と歪みとエゴが作り出した身体。

今目の前にあるものを本当に見ようとするならば
健全に与えられた身体は見えない、ということに出くわすのかもしれません。

フェーズを振り返りまだ5年目だった講座を聞きなおしていると先生が面白いことを言っていました。

水に糸を垂らして純度の高い塩で結晶を作るとする。すると、透明で見えない美しい結晶ができる。これが、本来の私たち。でも見えないから、赤や青の色をつけてみようということになる。するとよく見える、赤や青の結晶。私たちが体に見ているものは結晶そのものではなく、色の着いたそれなのです。

でも、赤や青も綺麗ですよね

付け加えた講師の言葉がなんだかとても温かくかんじました。エゴを敵対しせず個性と見る、

そうして病変もエゴも敵対しせずに、目に映しながら,形には見えない健全をみる。すると肉体を持って生まれてきたことに,喜びがまた湧いてきたりします。

目に映るものとの付き合い方。見えない健全を手に映し出してもらうこと。体の自然に教えてもらうこと。

必要なものがちゃんと与えられ続けていることに感服な今日この頃です。

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