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バイオダイナミクスオステオパシーの施術家、その創設者Jems Jealous D.O.…

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バイオダイナミクスオステオパシーの施術家、その創設者Jems Jealous D.O.の研究者です。ここでは、日々の所感をとおして、氏のオステオパシーの技術のみならず、芸術性、宗教性、スピリチュアリティ等含め、その背景にある膨大なバックグラウンドを研究する私的な考察します。

最近の記事

生きている空間

ある日のこと。ひょんなことから、お馴染みの友人のお宅をセッションでお借りすることになりました。 お盆の中日。迎えてくれた友人はドアをあけると、“今日はいろんな人が来てるかもしれないけど“そういうので、??? セッションなのに,来客??不思議に思いながら,中に入れていただくと、中庭の美しいなんとも素敵な空間の窓際に、ご先祖のお写真が、瀟洒にならべられていて、落ち着く良い香りのお香が炊かれていました。 確かに。 友人と私だけのはずの空間に、決して嫌ではないぬくもり、というか、

    • 音,振動,共鳴-セッションの感想より

      セッションのご感想。 クライアントの感性に驚きや気づきを頂くことが,本当に多いです。 新しい見方,方向性、また違う世界が広がり,とても励みになります。感謝 “バイオダイナミクスは、音や振動がベースにあり、スピーカーのように肉体の配置を変えることによって体内の音響を変えて、共鳴や共振を元に戻すことをしてるのではないかと。貝殻に耳を当てると音がするのですが、これがベースにあるように感じました。どうでしょう?“

      • 親子セッションの不思議

        毎月開催のオステオパスのドクター監修のスチューデンツクリニックでの,親子セッションの記録です。親子の絆の深さ,子供の鋭さに毎回驚かされます。 ○お母様と9歳のお子様のケース ※セッションでは、隣り合った施術ベッドに並んで寝てもらい、お母様,お子様にそれぞれの担当者がつき,同時にセッションを行います。私はお子様を担当しました。 お母様の感想 “担当してくださった方とは初めてお会いするのに、問診の段階で、自分がするするとリラックスしていくのが分かる。言葉を交わしながら、持って

        • 透明さにまつわるその①

          一昨年のクリスマス、まだ母が家にいた頃、辻井伸行さんのピアノを聴いて、神様みたいだね,と言ったのを急に思い出して、ラ・カンパネラを聞いてみた。 一瞬で,その透明さに惹きつけられた 彼は全く透明な器みたいだった 作曲家が得たインスピレーションも そのタイミングも時代も背景も 現代の闇も 聞いている人それぞれの背景も “透明“の意味さえまだ掴めないまま四苦八苦しているわたしのココロさえひろいあげてくれているようだった。 透明さの深淵な境地を 彼は惜しげもなく聴かせてくれてい

        生きている空間

          ずっとそうしていたかった、

          明晰さ、 と 敏感さ、 この言葉が、ある朝、なぜだか歩みをそろえて、 私のところにやってきた   一見この二つの言葉の関係が、わたしには なんだかわからなかった 明晰さ、という言葉が 最初に口を開いた  “敏感なのとは違うんだ“ 敏感さ、は、どうやら生き物ではないらしく ふいごのようにただ身体の周辺で膨らんだりしぼんだりしていた。 明晰さ、は、頭脳というより むしろ肌感覚、如何みたいな印象で きめ細かく周辺の空間を正確にとらえては、 空気の穴まで再現してしまう、 冷

          ずっとそうしていたかった、

          しゃべっている言葉が違うのよ

          しゃべっている言葉が違うのよ ある依存症当事者の言葉が、 『する』と『される』の外側の世界の研究の始まりだったと言う国分功一郎さんの研究をまた最近よく参照します。 受動態でも能動的でもない言葉 責任の所在がわからないからと、排除されていった言葉の存在がたぶん持っていたであろう癒しの原点を探し求めて、思えば、私は、、身体の世界に飛び込んだ、そんな気がしています。 『待ち合わせの場所で待ちなさい。必ず出会わされ、癒される』J.jealous D.O. 『お互いを見つめ合う

          しゃべっている言葉が違うのよ

          リッスンを深めるー完全に受容的になるという癒しの形

          去年から取り組み始めた、リッスン-完全に受容的になるーという癒しの方向性を自分でも深めながら、今年は少人数でのグループワークを始めてみました。 -リッスン-を、深める時、そこには必ず知覚の変換が起きているー 逆にいうと言葉にせよ、触れることにせよ、空間そのものが持つ固有の何かにせよ、私たちのものの見方、それに伴う知覚の変化が起きなければ、なにも、、起きない、、 先日は、まさに感じること、耳をかたむけるということをもとめて、数人の方が足を運んでくださいました。 今回のテー

          リッスンを深めるー完全に受容的になるという癒しの形

          サッケード残像

          それ、が、見た風景に誘われる。 その瞬間自分が消える。 戻ってきた時のなんとも言えないおかしみ、爽快さ。 “その視界も、聞こえる音も、臭覚も、触覚も、味覚も、全てが逆さまになる。見るのではなく、見られ、触るのではなく、触れられていることを自覚し‥。 感覚は全て一つの感覚になり、そして‥。“ また、いつもの先生の言葉を思い出した。 セッションもこうありたい。 とても興味深い展示。 29日まで。 https://mem-inc.jp/2024/02/01/ishi

          サッケード残像

          逆子 赤ちゃんと聖母子

          この日の仕事の全てはこの絵がもたらしてくれたものでした。かけがえのない体験でした。 教会の来客用に用意された一室です。 月に一度妊産婦さんのクリニックに、解放していただく部屋に、妊娠9ヶ月の逆子のお母さんが通されました。 部屋にはこの絵からなんとも言えない柔らかな慈愛が満ちていて、すでに赤ちゃんは癒されていたのかもしれません。 もう来月の検診で治っていなければ帝王切開。 お母さんがそうおっしゃるので、横になって頂くと、まず骨盤内の呼吸と後頭部の呼吸に明らかなずれがあ

          逆子 赤ちゃんと聖母子

          リッスン

          ひとは何に癒されるのか? ずっと探求を続けた結果、何かをする、ということには至らず、、、 そのかわり リッスン 聴くということを覚えた。 ずっと同じものを学ぶ中で、新たに出会わせて頂いた先生が授けてくれた教えだ。 それは、たんに耳で聞くというだけでなく、完全に受容する、という意味を含む。 退屈していそうなら、身体に声を響かせる。 放っておいて欲しそうなら、距離をとる。 遊びたがっているなら、一緒に踊る。 あれこれ管理する人より、遊んでくれる人に なつくのは、子供も身

          リッスン

          修了証

          こんなに幸福な終了試験があるでしょうか、、、 先日、10年間の学びを確認して頂いたあと、、、その後、先生の、本当に深い施術を体験させて頂きました。 幸福感が満ちて満ちていっぱいになり、それは、施術後伸びをした手の指先にも足の先にも広がって、まだまだ湧いてくるのです。 人は変化するようにできているし、肉体は終わりを迎えるように出来ている、、 なのに、私達は変化を恐れ、死は耐え難いものであり続ける。ヒーリングは一筋縄ではいかない、、 それでもいいよ、と。 でも この感

          修了証

          2人の先生

          2人の天才的なヒーリングの才を持つ方に その真相ともたらすもの、同じものについて学んできた。 1人は存命で1人はもうこの世の中で肉体を通して繋がれない方だ。  1人の先生は、卓越したエネルギーについての感受性から真相に辿り着いていらして、科学がそれについてくるのを、楽しみながら深い愛について全てを伝えようとされているように感じた。 もう1人の先生は、また卓越した芸術的な才で葛藤、、、不安定な中に身を起き続ける忍耐力を持つものだけが垣間見ることのできる繊細な瞬間、自然のクリ

          2人の先生

          2024年新年初感 今年も宜しくお願い致します。

          昨年も大変お世話になりました。新年も何卒よろしくお願い致します。 2024年新年初感 ーアドリブこそ生命ー“無“は借り物ではやってこない、、かも。 幸田さんが去年、開催されたセルフヒーリングのクラスで面白いことを言っていました。 ドラマの筋書きは役者のアドリブでは、変わらないじゃないですか、、あれだと思うんですよ、人生も。 ある意味私たちは大本の根源から湧いて出たもの、その道は、私達が認識できる小さな小さな領域で、なにをしようと、どれだけアドリブをつくしても、なにひ

          2024年新年初感 今年も宜しくお願い致します。

          合格圏内“という居場所

          一点に泣くと言われる超難関の国家資格にチャレンジしている友人がいる。まさにその一点のためにもしかしたら、今年も落としてしまったかも、、自己採点をおえてそう言いながらも、友人の表情はなぜか明るかった。 でもね、、去年よりも、合格圏内に入ってきていることは、確かに感じるのよね、そう思うと次もまた受けようってなるのよ。 合格圏内という言葉を聞いた時、なんだか身に覚えがあるような気がした。 毎年試験があるわけじゃないけど、長い長い手技療法のクラスでは、ずっと浪人しているようなも

          合格圏内“という居場所

          言葉という身体感覚

          私は頭中心で、 そうおっしゃるクライアントさんが、私のところには多い (類は友を呼ぶ、と友人にからかわれそうだ。) 言葉にすることで制限してしまう、罪悪感を感じてしまう、感じられてないんじゃないかって。 そういう時に、私は 言葉も一つの身体感覚、だから、大切にしてください。 決まってそういうことにしている。 『言語化されていないもの、言いようのない何かを言葉にすることで限定してしまう怖さ、貧しさを理解しながら、それでも、かすかにでも「それ」に触れる言葉を探してしまい

          言葉という身体感覚

          胎児の安らぎ

          ..,as if there is room for another presence これはオステオパスのJames Jealous D.O.が一つの受精卵から私たちが成長する袋、空間について書いた一節です。 “その袋にはやわらかな金色の空間と胚子としての形態が存在する。面白いことに、胚子状の形が占めるスペースは半分で、他は誰かのために開けてある風にも見える“ 大人になって、“私“という自我を持つようになった私たちからすれば、その胎児にも満たない小さな小さな種の様な存

          胎児の安らぎ