AY

バイオダイナミクスオステオパシーの施術家、その創設者Jems Jealous D.O.の研究者です。ここでは、日々の所感をとおして、氏のオステオパシーの技術のみならず、芸術性、宗教性、スピリチュアリティ等含め、その背景にある膨大なバックグラウンドを研究する私的な考察します。

AY

バイオダイナミクスオステオパシーの施術家、その創設者Jems Jealous D.O.の研究者です。ここでは、日々の所感をとおして、氏のオステオパシーの技術のみならず、芸術性、宗教性、スピリチュアリティ等含め、その背景にある膨大なバックグラウンドを研究する私的な考察します。

    最近の記事

    治療と癒し

    ずっと探求しているバイオダイナミクスの 本国のHPがリニューアルされていました。 創設者が亡くなってもう直ぐ2年でしょうか。 私にとっては詩であったページの印象は説明になり、どこか違う次元からの手紙のように感じていたものが、医療の枠の中に綺麗に収められた感じの印象でした。 個人的には解読不能の空気感だけが伝わるような文章にとてもインスパイアされていたのですが、 ある意味書き換えられた意図もなんとなく、3次元の住人としては理解できるのです。 今年に入って、その創設者JA

      • 身体から見えてくるどこにもない時間‥ as above so below #10 コップを見てる?過去の記憶をみてる?本当に見ると見えないもの。

        身体から見えてくるどこにもない時間‥ as above so below #10 コップを見てる?過去の記憶をみてる?本当に見ると見えないもの。 バイオに出会う前,約10年前,私は別のコースの365日のワークの終わりに差し掛かっていました。 例えば,一つのコップを見るとする。 あなたはコップをみているのだろうか。 それともコップに関する過去の経験を見ているのだろうか。 過去の学びが、なければ、たぶんこのコップがなんなのか、見当もつかない。 みたいな、、 毎日少しづつ

        • 身体から見えてくるどこにもない時間‥ ブログAs above So below-#9 シフトが起きる最初のコンタクトは解剖的にはどこにある?

          〈意識を向けただけ、意図を向けるだけで、ありのままを見せてくれない身体、、、追いかけるのをやめてそれを自由にすることにした‥海と空、ただ自然と呼吸をあわせ続けた一年でした〉 向けられる意識によって身体が変化する、そのシフトが起きる最初のコンタクトは解剖的にはどこで起きているんだろう。 施術をする上で個人的に長いこととても興味深いテーマでした。 人によってはセッションの何日も前からコンタクトが始まっている方もいる、、逆に肉体的に触れても触れてもコンタクトできない方もいる‥

          • 身体から見えてくるどこにもない時間‥ ブログAs above So below-#8 幸福への窓口であり、その物自体の束縛をとくもの

            〈年末少数民族カラジャの声で踊る‥見えない身体が繋がり合うよう‥グルーヴって愛のこと?だったりして〉 南米ブラジルに カラジャ という少数民族がいる ななおがまだお腹にいるころ、旦那殿の舞台制作のためのワークショップで一緒にドイツについて行った時、そこで、その不思議な民族にであった。 そういえば奇跡のセッションって言うのがあったよねー なにか思い出したのか18年前のその時の曲をかけはじめた旦那殿と2人でそんな話になった。 ぴーとかじじじとか電子音が流れだすとカラ

            身体から見えてくるどこにもない時間‥ ブログAs above So below-#7 無意識の場と身体の受容の神秘

            出産されてまもないクライアントさんの施術をさせていただいた時のこと、、、 仰向けに寝ていただいて、手が引かれた骨盤のあたりでじっとしていると、クライアントさんが頚椎の7番あたりが熱い熱い、 低温やけどしそうだというので、 何事か、と初めは持てる知識を総動員して、その繋がりについて考えを巡らせていたのですが、 はっと、これは、今私にはわからない治療が起きている、今のわたしにわかるだけの情報しか開示されないのだと言うことにしばらくして気づきました。 わたしのレベルでは、そ

            鼻からの呼吸では、匂いも一緒に吸い込みます。

            鼻からの呼吸では、匂いも一緒に吸い込みます 、、、先日の呼吸と胎生学のクラスで、何気なく先生がそう言いました。 鼻からの呼吸は副交感神経を高め、空気を温め、粘膜や鼻毛によって細菌、ウイルスの侵入を防いで免疫を強化する、、、こういったことは、身体について学んでいれば聞きなれたはなしかもしれないけれど 匂いを一緒に取り込んでいる、と言うのは、なんだかとても新鮮なインスピレーションを呼び起こしてくれました。 考えてみれば、嗅覚は扁桃体や海馬といった記憶と感情を処理する部位に

            感覚を引き出すスイッチが起動する本

            JEALOUS D.O.の“An Osteopathic Odyssey “を 原語と日本語と二か国語で読み始めました。 1月1日から日記のように始まっているので、日付の通り、1日一つずつ。 去年まではランダムに読んでいたのですが、今年は、自分の思いなしに、順番にすすめるときめていました。 原語で読むと自分の言葉に染みついた思い込みからちょっと距離が取れる、それは、やってみないと気づかない心地よい発見でした。 ある日こんな言葉がありました。 1月6日 自分の経験を誰

            20分執筆-わたしの大切な旅

            わたしの大切な旅 最終的に残ったものは、履き古した靴と、りんごと本の入ったリュックだけだった。 ジムと一緒に乗るはずだった小さな釣り舟は、 森の奥の渓流の浅瀬に繋がれたまま、 カエデの落ち葉の重みで、沈みそうになりながら、かろうじて浮かんでいた。 長い旅をしてきて、連絡が途絶えてからは 彼の住む森を、あてもなく漂い、 彼の匂いや気配を頼りにしながら、ここまで辿り着いた。 後悔はなかった。 彼はいつか必ず一緒に釣りに行こうと、帰り際にいつも挨拶のように肩を抱い

            宙ぶらりんの遊び

            ベン・シャーンという絵描きさんが自分のアトリエに娘を連れて行った時、なかなか色が決められない父を見て、 『なんでパパは自分の心をきめられないの?』と、帰ってから母親に尋ねたそうです。 それにシャーンは、 アーティストはポーズ(休止)する勇気をもった者、しばらくの間宙ぶらりんでいることができる勇気をもった者なんだと答えたそうです。 the language of silence by J.Jealous=== アクティブなポーズ たくさんの選択肢を持つポーズ

            微かな問い

            “待っている間、コンセプトは使われてはならない“ 朝、いつも読んでいるJames Jealous先生の本を開けたらこんな言葉に出会いました。 先生の遺した言葉は、相手に伝えるためでもなく、自分とよばれるものに向けられたものでもない(わたしにとっては)宙ぶらりんな不思議な魅力を持っていて、何度も何度も読みかえしてしまいます。 特に情に訴えるとか、感動するという種類のものではないのですが、、強いて言えば問いのようなものかもしれません。考えるためでなく、感じるための、、、

            〈境界線とエゴ〉

            〈境界線とエゴ〉 なんでだか、感じていた、自分の境界線が消えたように感じる時の癒し、、、森に入って自然に溶け込んだ時、、セッションで、または声を内側に響かせた時に境界線が動きそのものに変わっていく時、、 いつも読んでいる先生の言葉を思い出した、、 エゴは常に活動している、、実のところ思考や感情とは別のもの、、、それは境界にいる、、、 なるほど、、、、。 事実というのはよくわからないけれど、深く深く納得した、、 時にずる賢くなり、時に感情に訴え、時に身体に異変を起こす、

            〈知覚とセルフ〉

            割れたお茶碗隠したでしょ 母が夕食の時ぽろりとそう言った これはよくいうボケではない。 母は全くボケてない、むしろ鋭いのだ たしかにお茶碗割ったから、後で治すねと 部屋の奥にしまったことを母は忘れていたけれど あなたならやりかねない その鑑識眼に間違いはなかった だっていつだか学生の時、海外に行った時には、ホテル代浮かすのに夜行電車かなんかで移動して、全然予定にない国のおみやげ持って帰ったり、ほら、他にもいろいろねぇ。 いつの話だ??全く覚えてない、、、 けれど

            James Jealous D.O.研究-stories

            stories ちょっとした日々のエピソードや個人の物語こそが重要なのです、、その物語はその瞬間瞬間を描いています。 それは個人の物語りのように見えて、実は出会いやすべての出来事、タイミングにおいて、天の采配があります、、 個人の物語こそ、永遠につづくものの生命線になるのです、、 James Jealous D.O.“LECTURE dying 2015“より抜粋、意訳 先月、ずっと緩和ケアで携わらせていただいた方が旅立ちました.最後まで看取られたご家族との瞬間瞬間

            James Jealous D.O.研究-ego

            ego 身体のことをずっと学んでいる間、なんどとなく、さあ、エゴと向かい合いましょうかというタイミングがやって来ます。 いや、誰でもきっとそんな体験はあるかもしれません、、 わたしは身体を学んでいるときにやってきました。解剖学や生理学の教科書をめくるようにエゴについてもページをめくるように 終わりにしたい、、けれどもそううまくはいきません、、 そんな時は、先人の言葉が頼りになります、、、個人のものが、生の、、、情報のために編集されてないものがいい、、、 今自分が通過している