シードオブクリエーションは、ご参加者のワークショップでのプロセスを互いにシェアしあうことでできていく集団的クリエーションです。 潜在的なつながりやパーソナリティによる違いや多様性を見出しつつ、お一人お一人が新しい風景に出会っていければなによりです。 ○より施術について、落ち着いて向き合えた感覚です。手をゼロにする。空間と同調するなど。少しずつ手順に親しんできています。 ハイライトとしては、患者さん役の方からどんどん映像が流れ込んできて、しかもほぼ同時進行に複数の異なる要
知覚する身体 聞こえている音ではなく聴こうとする耳を 見えている風景ではなく見ようとする目を 匂いではなく嗅ごうとする鼻を 前回から、一滴の液のように振る舞い、身体を治癒し、育む、身体の代謝機能について体験を通して、学びを深めてきましたが、今回は、『それを何が知覚しているか』をテーマに、まずは導入として、五感から、知覚する身体に意識を向けて、ワークを始めました。 冒頭のワークでは、以前全く右耳の聞こえなかった方が、『音は聞こえないが、耳が聴こうとしているのを感じることが
瞑想を深く学ばれている方から、とても興味深いご感想を頂きました。 最近は勉強すればするほど術者として説明が難しくなっていたので、とても励みになりました。 ただ言えるのは、起きていることをよりシンプルに体験するために深い休息に入るお手伝いをさせて頂いるということ。 習ってはいない、どこにもあてはまらない、 でも確かにある、、新しく出会う感覚を新しい知覚で捉えたい方へ 以下ご感想です。
お母様からの補足です。 ===== 「頭にふれてくれた人」は、触れたところから大きく拡がって、その中心からすーっと奥に届く」感じだったそうです。 ===== 感じた感覚の広がりを絵で表現してくださったようです。 続けて受けてくださっていて、前回は楽しかった!楽しかった!と玄関で嬉しそうにしてくれていたのが印象的でした。 これが何かというより、この感覚があること それが楽しい経験だったこと。 それをずっと胸に、大きくなってくれたらほんとうに嬉しいです。感謝
シードオブクリエーションは、ご参加者のワークショップでのプロセスを互いにシェアしあうことでできていく集団的クリエーションです。 潜在的なつながりやパーソナリティによる違いや多様性を見出しつつ、お一人お一人が新しい風景に出会っていければなによりです。 ○あの時間、あの空間が一つの膜の中で どこからかやってくる呼吸と同調しているような 静かで、 ユーモアに溢れて、 クリエイティブなひと時でした 脳脊髄液の話し、水の話し、 聞けて良かった、本当に良かった! 脳脊髄液を感じる
ある日のこと。ひょんなことから、お馴染みの友人のお宅をセッションでお借りすることになりました。 お盆の中日。迎えてくれた友人はドアをあけると、“今日はいろんな人が来てるかもしれないけど“そういうので、??? セッションなのに,来客??不思議に思いながら,中に入れていただくと、中庭の美しいなんとも素敵な空間の窓際に、ご先祖のお写真が、瀟洒にならべられていて、落ち着く良い香りのお香が炊かれていました。 確かに。 友人と私だけのはずの空間に、決して嫌ではないぬくもり、というか、
セッションのご感想。 クライアントの感性に驚きや気づきを頂くことが,本当に多いです。 新しい見方,方向性、また違う世界が広がり,とても励みになります。感謝 “バイオダイナミクスは、音や振動がベースにあり、スピーカーのように肉体の配置を変えることによって体内の音響を変えて、共鳴や共振を元に戻すことをしてるのではないかと。貝殻に耳を当てると音がするのですが、これがベースにあるように感じました。どうでしょう?“
毎月開催のスチューデンツクリニックでの,親子セッションの記録です。親子の絆の深さ,子供の鋭さに毎回驚かされます。(毎回オステオパスのドクターが監修します) ○お母様と9歳のお子様のケース ※セッションでは、隣り合った施術ベッドに並んで寝てもらい、お母様,お子様にそれぞれの担当者がつき,同時にセッションを行います。私はお子様を担当しました。 お母様の感想 “担当してくださった方とは初めてお会いするのに、問診の段階で、自分がするするとリラックスしていくのが分かる。言葉を交わし
一昨年のクリスマス、まだ母が家にいた頃、辻井伸行さんのピアノを聴いて、神様みたいだね,と言ったのを急に思い出して、ラ・カンパネラを聞いてみた。 一瞬で,その透明さに惹きつけられた 彼は全く透明な器みたいだった 作曲家が得たインスピレーションも そのタイミングも時代も背景も 現代の闇も 聞いている人それぞれの背景も “透明“の意味さえまだ掴めないまま四苦八苦しているわたしのココロさえひろいあげてくれているようだった。 透明さの深淵な境地を 彼は惜しげもなく聴かせてくれてい
明晰さ、 と 敏感さ、 この言葉が、ある朝、なぜだか歩みをそろえて、 私のところにやってきた 一見この二つの言葉の関係が、わたしには なんだかわからなかった 明晰さ、という言葉が 最初に口を開いた “敏感なのとは違うんだ“ 敏感さ、は、どうやら生き物ではないらしく ふいごのようにただ身体の周辺で膨らんだりしぼんだりしていた。 明晰さ、は、頭脳というより むしろ肌感覚、如何みたいな印象で きめ細かく周辺の空間を正確にとらえては、 空気の穴まで再現してしまう、 冷
しゃべっている言葉が違うのよ ある依存症当事者の言葉が、 『する』と『される』の外側の世界の研究の始まりだったと言う国分功一郎さんの研究をまた最近よく参照します。 受動態でも能動的でもない言葉 責任の所在がわからないからと、排除されていった言葉の存在がたぶん持っていたであろう癒しの原点を探し求めて、思えば、私は、、身体の世界に飛び込んだ、そんな気がしています。 『待ち合わせの場所で待ちなさい。必ず出会わされ、癒される』J.jealous D.O. 『お互いを見つめ合う
去年から取り組み始めた、リッスン-完全に受容的になるーという癒しの方向性を自分でも深めながら、今年は少人数でのグループワークを始めてみました。 -リッスン-を、深める時、そこには必ず知覚の変換が起きているー 逆にいうと言葉にせよ、触れることにせよ、空間そのものが持つ固有の何かにせよ、私たちのものの見方、それに伴う知覚の変化が起きなければ、なにも、、起きない、、 先日は、まさに感じること、耳をかたむけるということをもとめて、数人の方が足を運んでくださいました。 今回のテー
それ、が、見た風景に誘われる。 その瞬間自分が消える。 戻ってきた時のなんとも言えないおかしみ、爽快さ。 “その視界も、聞こえる音も、臭覚も、触覚も、味覚も、全てが逆さまになる。見るのではなく、見られ、触るのではなく、触れられていることを自覚し‥。 感覚は全て一つの感覚になり、そして‥。“ また、いつもの先生の言葉を思い出した。 セッションもこうありたい。 とても興味深い展示。 29日まで。 https://mem-inc.jp/2024/02/01/ishi
この日の仕事の全てはこの絵がもたらしてくれたものでした。かけがえのない体験でした。 教会の来客用に用意された一室です。 月に一度妊産婦さんのクリニックに、解放していただく部屋に、妊娠9ヶ月の逆子のお母さんが通されました。 部屋にはこの絵からなんとも言えない柔らかな慈愛が満ちていて、すでに赤ちゃんは癒されていたのかもしれません。 もう来月の検診で治っていなければ帝王切開。 お母さんがそうおっしゃるので、横になって頂くと、まず骨盤内の呼吸と後頭部の呼吸に明らかなずれがあ
ひとは何に癒されるのか? ずっと探求を続けた結果、何かをする、ということには至らず、、、 そのかわり リッスン 聴くということを覚えた。 ずっと同じものを学ぶ中で、新たに出会わせて頂いた先生が授けてくれた教えだ。 それは、たんに耳で聞くというだけでなく、完全に受容する、という意味を含む。 退屈していそうなら、身体に声を響かせる。 放っておいて欲しそうなら、距離をとる。 遊びたがっているなら、一緒に踊る。 あれこれ管理する人より、遊んでくれる人に なつくのは、子供も身
こんなに幸福な終了試験があるでしょうか、、、 先日、10年間の学びを確認して頂いたあと、、、その後、先生の、本当に深い施術を体験させて頂きました。 幸福感が満ちて満ちていっぱいになり、それは、施術後伸びをした手の指先にも足の先にも広がって、まだまだ湧いてくるのです。 人は変化するようにできているし、肉体は終わりを迎えるように出来ている、、 なのに、私達は変化を恐れ、死は耐え難いものであり続ける。ヒーリングは一筋縄ではいかない、、 それでもいいよ、と。 でも この感