well-being って何?
放送大学で瞑想をテーマに卒業研究に取り組んでいる。
今まで、卒論を書くために論文を読んだり、データをまとめたり、インタビューの文字起しをしたりしてきたけど、あまり考える必要がなかったからか、そこまで負担感を感じなかった。
さて、そろそろ論文を書き始める時期がやってきた。
「書く」というのはアウトプットである。
書くためには、キーワードとなる言葉が定義されていないといけない。
そこでぶち当たったのが「well-being」という言葉。
直訳すると「良く、在ること」
でも、良く、在るってどいうこと?
たとえば、「meditation」という言葉は日本語では「瞑想」で、ウィキペディアにはこんな説明がされている。
なるほど。
では、「well-being」は?
えー。
わからん。
いや、わかりますよ。
だいぶ漠然とは。
「健康」に関する勉強会ではよく耳にする言葉だし、なんとなく、ふわっと理解している。
多分、その意味する状態について、わかっていると思う。
でも、ウェルビーイング=「これですよ」と言うのが難しい。
色々と調べてみたけど「健康」「幸福」「福祉」などまちまちで、はっきり「これです」というものを見つけられなかった。
SGDsの目標3が「すべての人に健康と福祉を」なのだが、この福祉の部分はwell-beingが使われている。
ウィキペディアでもその言葉を使う分野に応じて訳語が当てられてきたと書いてある。
ウェルビーイングに関する論文では、その研究ではこう定義するというふうに研究者なりの定義を決めている様子。
そんなわけでわたしも、ウェルビーイングを「心身が健康で、幸福で充実している状態」と定義することにした。
言葉の意味でつまづいていて、あと2ヶ月で書き上げられるのか若干心配ではある。
本来は先行研究などは1年位前から準備する必要があるんだろうけど、4月にテーマを変更してしまったものだから、実験と調査と書くのを並行してやっている状態。
先生からは「深く考えることが出来ることが卒研に取り組む意義だと思うので、探求の世界に入り込んでみましょう。」と言葉をかけられた。
本当にそう。
便利な世の中で、大体の知りたいことは調べれば見つかる。
でも、それは誰かが知っていることを教えてくれているだけだ。
わたしの体感ではない。
教えてもらうことが間違っているわけではないし、それがあるからわたしの研究が進むのだけども。
今までろくに考えずに生きてきたことを実感している。
そして、いま、考えることはすごく大変だと気づいた。
だけど論文を書く期間、考えることに没頭したい。
めちゃ大変なんだけど、すごく面白い。
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