アトリエマーブルが次世代へ繋ぐおもちゃ作りとは
なんとも壮大なタイトルを付けてしまったが、前回の記事で“次世代へつ繋ぐ木のおもちゃ”とは何かを考えてみたわけだが、自分自身は次世代にどんなおもちゃを残していくのだろうか。
20代後半頃、おもちゃ作家を志していく中で、”このままおもちゃを作っていた先はどうなるのか、、”と考えて、ゾッとしてしまった事がある。
誰がこの山のように作りあげてきたおもちゃをどうしていくのか、誰に託すのか。そんな先過ぎる話を考えて動けなくなった。
だけど、この話は「将来が不安だからとりあえず貯金をしておこう」という類の話に似ていて、そんな事を考える暇があったら今生きているこの瞬間を大事にしよう!と、今となっては「作り続けていった先の事を考えても仕方がない」という結論に至っている。
、、話を戻そう。今回は次世代に残していくおもちゃ作りを作家としてどう考えていくのかという話だ。自分では手に負えないかも知れない話だが、それでも考えてみたい。
木のおもちゃを残していく定義とは
まず、前回の記事でも話をしたように次の世代の残っていくような玩具というのは、郷土玩具のように地域の文化に根差し、ごくあたり前のものとして定着してるほどのものであるということが挙げられる。
しかも、郷土玩具は各地域の風土を色濃く反映し、多くは信仰的に作られたものが多いので、誰か個人が作って成り立つものが郷土玩具というものではない。
そうした観点からみていくと、自分も他のおもちゃ作家も「木のおもちゃを残していく」という定義から考えなくてはいけない。
単に物理的な形では言えば、2代目、3代目と跡継ぎを探して自社で作った製品を作り続けていくという方法がある。でも、この場合時代のニーズが変わり必要ではなくなっても作り続ければ出来ることである。が、持続可能な社会において、一貫して同じ製品を作り続けることが本当に意味あることなのかと思う。
「木のおもちゃを残していく」という事は、木のおもちゃを残したい側と木のおもちゃを残してほしい側の双方の気持ちが合致して、時代の中に残っていくと良いように思えるが、資本主義経済の中でそんなことがあり得るのだろうか?という風にも思える。
これだけ多様な価値観の中で何か一つのおもちゃを時代を超えて残していくという事をきちんと考えると、求められて作りづけていくことの難しさがあるのではないかと思う。
自分の作家性
そんな中で現状の自分の作家性を考えていくと、生産的なおもちゃ作りをベースにした作家ではなく、体験をベースに様々な玩具を遊んでもらい、その中で自分が製品として製作したラトルやオーナメントなどの木のおもちゃをお客さんが気に入って購入していくという形で日々を暮らしている。
よく考えていくと、自分の作家性は「木のおもちゃを残していく」という生産的な概念から外れたものづくりをしている。全国的に見てもこのスタイルでおもちゃ作家としてやっている人は恐らくいないのではないかと思う。
何故かというと、おもちゃ作家という大体のスタイルがそれぞれの工房で編み出した独自のおもちゃを世の中に打ち出し、それがヒットさせて生産して、また考えて、生産して、、という一連の流れスタンダードだからである。※木のおもちゃ作家に限る
そうしたことを考えていくと、自分は全国の生産的におもちゃ作りを続ける作家とは違った道を歩めるということになる。だから、「木のおもちゃを残していく」という形が生産的に作り、次世代に残していくという事だけではない別のやり方があるような気がする。
砂澤ビッキの生き方から探る「木のおもちゃ作り」と今後のおもちゃ作家としての在り方
北海道で一番有名な彫刻家は「砂澤ビッキ」だろう。僕が彼の事を知ったのは旭川で木工の修業をする為に旭川高等技術専門学院で家具作りを勉強していた頃である。
友達と美術館に行ったり、駅のそばに砂澤ビッキの作品が展示してあったりして、その彫刻の美しさと生き様に心打たれたことを今でもよく覚えている。
既に砂澤ビッキは亡くなっているが、それが1989年のことである。35年ほど経った今もなおファンがいて、様々な美術館で展示会が各種開催されている。ここで重要な要素は「ファン」である。
人々の記憶から消えあせない圧倒的なエネルギーある作品とそれを語り継いでいきたいファンがいれば、当本人が居なくなった後も時代を超えて継承されていくことが砂澤ビッキという存在を見るとわかる。
僕は砂澤ビッキの存在に憧れを抱いていると共に何か近いものを直感的に感じている。ビッキの作品達が自身の中で影響の受けたものを作品として世の中に送り出しているその姿は自分の理想に近い部分がある。
心の中に残るおもちゃ作り
アトリエマーブルのおもちゃというのは、ビー玉をコンセプトにしたおもちゃがアトリエの至る所にあり、その様々なおもちゃは全て1点物で大人も子どもも自由に遊べるわけだが、そうした形のおもちゃは単に生産的に多くの人に届けるというよりも、そこで過ごした人々がおもちゃで遊び過ごし、心の中にその遊んだ記憶をおもちゃという媒介にして留めていくというおもちゃである。
なので、アトリエマーブルが次世代に繋ぐおもちゃ作りというのは、アトリエという特別な空間の中で記憶に残る一瞬一瞬を残していきたい、、そういうおもちゃづくりをしているわけである。
そして、そこで感じるエネルギーは誰かの新たなクリエイティブな発想に繋がり、華が開くこともあるかも知れない。
物理的に残すというよりも心の中に種を撒いていくような、、そういうおもちゃ作りをしていきたいのである。
だから、「壊れず繰り返し安心して遊べる玩具」というスタンダードな玩具の概念から外れた、アート寄りな作品を作る傾向にあるのはその部分から来ているのかも知れない。
ただ、これは生産的に行うものづくりの良さを否定している訳ではない。むしろ、現状の自分の作家性がこの状況だからの物言いとも言える。だから、自分の中で生産的にものづくりを始めるキッカケがあれば、その先の世界もまた何か違った形で見えてくるようにも思える。
おもちゃ作家として1本化した35歳。今の気持ちを綴る。
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