ふと過去を思い出す。それは、『今』という瞬間を見つめたとき
皆さん、おはようございます。
どうも、小屋付きの人ちゃんみかです。
日々生活をする中で、ふと過去を思い出す時があります。
それは、『今』という瞬間を見つめたとき
『今』に感謝が溢れたときに起こります。
今日は少しだけ、過去のことを書きたいと思います。
といっても、過去の記憶はできる限り消しているので細かくは全然ないんですけど。小さな頃は多分、とても扱いづらい子だったと思います。
自分じゃない人になりたくて、物語の世界にいきたくて。
役という守られた中で冒険をして、最後はハッピーエンドで必ず終る。
そういう物語の中の主人公になりたくて、役者の仕事をすると決めました。
20歳でその夢は叶い、役者の仕事をして、毎日お芝居のことを考える生活をしてました。
それさえあれば幸せだったはずなのに、いつしか逃げ出したくなって
結婚・出産という[幸せ]を理由に舞台を降りました。
そこから5年ほど、私はメンタルを病んで引きこもり、全てを壊したくなって、消えてしまいたくて。
そんな私を最後の最後に支えてくれたのは、いつだって演劇でした。
もう一度お芝居と向き合って、自分にできることをしようと決め、それからは体調管理もそうですが、人生が少しずつ変化していきました。
迷惑をかけた家族に対して、自分なりに向き合おうと思った時にはすでに遅く、私は「家に必要のない人間」として扱われ、一人で過ごすコトも沢山増えました。どこに行っているかも、誰と過ごしているのかも、考えるだけで苦しくて《いつか絶対、離婚しよう》と思い悔し涙を何度も流しました。
願ったことは、叶います。
結果的に、一方的な離婚を突きつけられましたが、多分、願いを叶えてくれたのだと思います。そして、元お相手さんも、家族ではなく一緒に居たい人を選択したまでです。長女だけは、主張できる年齢と認められ、絶対にママがいいと選択をしてくれました。次女と三女は離れて暮らすことになったのだけど、三女ちゃんは当時2歳。月一で会えることを約束に、私と長女の生活が始まりました。
それからは、いくつもの仕事を掛け持ちしての生活。2022年まではずっと、早朝だったり夜勤だったり。結構、体力おばけだったと思います。
個人事業主ですから、自分の仕事は日中から夕方にして、それ以外の時間にパートして。
休みはほとんどなかったと思います。
就職したこともありましたが、とてもじゃないけれど暮らしていけない収入と労働時間だったので、個人事業主という選択をしています。
中学校3年間、長女は自分で朝起きて、ご飯食べて、学校へ通ってました。
「ちょっとでも寝て」と寝かせてくれて。
お互いに笑ってましたけど、お互いにギリギリ必死だったと思います。
三女ちゃんが来てくれてるときでさえ、気がつくと寝てしまっていることもあって、私自身の限界をすごく感じました。
長女が県外へ進学したことで、三女ちゃんはしだいに会うことがなくなりました。多分、今年は小学生になった年だと思います。
次女さんは多分、中学三年生で受験。
きっと、元お相手さんが決めた道を進むのでしょうし、私に何ができるわけもなく。
ただただ、祈るばかりです。
私自身の記憶も、色彩は鮮明ではなくなり
だんだんと過去の生活を消え去り始めているのです。
次女さんと三女ちゃんが、
ずっとずっと幸せでありますように。
今年、きちんとお休みをいただける暮らしが始まりました。収入面も、幾つも掛け持ちしていた頃と変わらないです。
一つの仕事だけをして、お休みがちゃんとあって、収入もかわらずある。
ずーっと、ゴールデンウイークや年末年始も働いて、掛け持ちをしてきました。
今の暮らしは、頑張ってきた自分へ、神様がくれたご褒美なのではないかと思うのです。
長女が確かな道を歩めていることも、かけがえのない経験ができていることも、たくさんの方に可愛がっていただけてることも、長女の頑張りをちゃんと見てくれてた神様がいて。
だから、守ってくれているんじゃないかと思うのです。
奇跡のような日々。
毎日楽しかった。
けれど、キツいこともきっとあった。
奇跡のような日々を過ごせている『今』
キツかった経験があったから『今』が奇跡のように幸せだと感じることができるし、『今』があるから「あの頃も自分なりに必死にやってきた」と、心から思えるのです。
これからも目の前のことにひとつひとつ向き合って、少し先にいる未来の私へと繋いでいきます。
県外へ行く前までの、長女と暮らした日々を楽しんでる動画があります。
よかったらご覧ください笑
主にショート動画になります。
中3の長女が切り取った日常です。
お読みいただき、ありがとうございました。
では、また。
KaFuKa
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