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髙地優吾について整理する

私はSixTONESにおいては箱推しを自称している。それなのに、最近ずっと髙地優吾が気になってしまい、目が勝手に追うし、彼の声はもはやASMRと化している。私は髙地優吾に落ちているのだろうか?いやそんなまさか。

可愛さとかっこよさで私の情緒を一番乱すのは森本の慎ちゃんだし、ライブの映像やパフォーマンスで一番魅せられるのは北斗だし、ズドンブログの添付画像のビジュ爆発ジェシーには何度も心臓を捧げたし、SixTONESのコンテンツで一番触れるのはラジオだから樹のことはしこたま応援してるし、そもそも私はSixTONESの楽曲が大好きなので、きょものレベチの歌唱力はいくら崇め奉っても足りないと思っている。

そう、私は髙地優吾担では決してないはず。私があまりに髙地優吾の話ばかりするので、先日とうとう友人から「アンタもう髙地担だから認めろ」と言われたが、私は諦めない。髙地優吾の他担狩りという恐ろしい言葉があるらしいが、私はまだ狩られていない。いかに脳内が髙地優吾に侵食されようとも、私は箱推しを自称し続けたい。

というわけで、一旦髙地優吾について整理しようじゃないかと思い、今回は髙地優吾とスト5それぞれの関係性について考えてみた。

かわいい慎ちゃんは毒牙にかけない

まずはじめに、一番私の心が荒ぶらないコンビから。慎ちゃんといるときの髙地優吾は様子がおかしいところがあまり見受けられず、比較的まともなお兄さんであると思う。ハマ出身でバイクが好きでアクティブな共通点が多い慎ちゃんと髙地優吾は、ボケとツッコミもけっこうはっきり分担されていて、安定感のあるコンビではないかと。最年長と最年少コンビでもあり、なんとなく慎ちゃんは髙地優吾に身を委ねているようにも感じる。そして髙地優吾自身も、慎ちゃんの末っ子ムーブを一番受け入れている感があって、パパムーブに磨きがかかるように思う。
そういえば、バカレア時代には髙地優吾がバイクの後ろに慎ちゃんを乗っけていたという話があるらしいが、その頃慎ちゃんはまだ中学三年生のはず。中三からみた大学一年生なんて、それはそれは大人だったんだろうと思うと、メンバーになった今でも、ある意味髙地優吾は慎ちゃんにとって永遠のお兄ちゃんなのではないだろうか。なんたる平和。
慎ちゃんといるときの髙地優吾の特徴として、非常に人畜無害ということが言える。ハマの番長みは身を潜め、慎ちゃんのボケを逐一拾い、暴言は最小限、それでいて必要以上に甘やかすことも思わせぶりな行動もしない(メンバーに対して思わせぶりって何事かと思うが、この男には前科がある)、パブイメに非常に近い、優しいお兄さんの髙地優吾が見られると思う。日々笑顔の髙地優吾が見たければ、ぜひ森本さんちの慎ちゃんを添えることをおすすめしたい。そして慎ちゃんは世界平和の象徴説を推奨したい。笑った顔がかわいすぎる。

樹ギャルと友達の彼氏

慎ちゃんによる世界平和から一転、樹ギャルにとって髙地優吾は完全に厄介な男である。樹ギャルvs髙地優吾の図式には、満場一致で樹ギャルを応援するし、そしてジェシーには目を醒ましていただきたい。
樹との関係性については、ラジオをベースに綴ろうと思う。
個人的にゆごじゅりラジオで好きなところは、ボケとツッコミが半々くらい、やや樹がボケぎみなところだ。樹ギャルは樹の全力のボケだと思っているのだが、あそこまで振り切って長尺でボケに回れるのは、おそらく髙地優吾がペアの時だけではなかろうか。
ところで彼はなぜギャルとメンヘラへの解像度があんなにも高いのか。ラジオ越しに樹ギャルの訴えを聞いていると、本当に髙地優吾が悪い男のように思えるし、ジェシーはそんな男と口では別れると言いながら結局別れない面倒くさいギャルに思えてくる。樹ギャルの話聞いてるとマジでジェシーかわいそうなんだよな、別れなよそんな男…
髙地優吾回は、樹ギャルが登場するほかに、樹の話も結構聞けるように思う。基本的に樹は、パーソナリティとして聞き役に回っているため、ラジオでは樹自身の話を聞く機会はそう多くはないのだが、そういう意味でも、髙地優吾回はありがたい。他の4人と違って髙地優吾だけは放っておいても企画を薙ぎ倒さないからかもしれないが、少しだけ、樹の弟の部分というか、柏の部分が顔を覗かせるように感じる。柏とハマの平和的治安悪コンビ。
2人のやりとりを聞いていると、樹が髙地優吾を無条件で信頼しきっている感じがそこかしこから伝わってくる。口は悪いのに甘えきってもたれかかっているあの感じ。実生活で兄が3人もいる樹、甘えたがりの樹、人のぬくもりに安心感を覚える樹が、ひょっこりと顔を覗かせる瞬間がある。それを感じるとふと、髙地優吾の側が樹にとって安心できる場所であってほしいと、ラジオで笑かされながら頭の片隅で思う。
樹の過去についてこの場で多くを語る必要はないが、彼はデビュー前に様々な困難に直面していて、たぶん彼は、私たちに見えている以上の場所で、多くのものを飲み下して生きているのだと思う。彼が立ち続けるためのその支えの多くを担うのがSixTONESであり、5人のメンバーだと思うと、田中樹がバカレア組と出会えた奇跡は本当にかけがえのないものだと感じる。そらZAZYも民放の真ん中で愛を叫ぶわな。
そしてそんな彼が甘えを見せられる相手が髙地優吾だとしたら、いるだけの髙地優吾はこれ以上ないくらいの仕事をしていると思う。髙地優吾、いてくれて本当にありがとう。

ジェシーの沼

他担狩りの髙地優吾を狩猟民族だとしたら、真っ先にひと狩りいかれたのがジェシーである。別に本人達が幸せなら何でも良いと思うが、外野からすると、髙地優吾の魔性ぶりに翻弄されるジェシーのことはわりかし本気で心配になる。ジェシー、その男で本当に大丈夫そ?
ジェシーと髙地優吾の関係については以前に少し書いた。

ジェシーにとって髙地優吾は特別とのことだが、髙地優吾にとってもジェシーが特別な存在であることはおそらく間違いないと思う。というか、スト5はそれぞれジェシーに対して特別な感情を抱いているのではないかと。樹にとっての王だったり、北斗にとっての太陽神だったり。
そんな中で、髙地優吾にとってジェシーがどう特別なのか、それはまだ彼の口から具体的に言語化されてはいない。ただ、樹にラジオの仕切りを放棄させるほどいちゃついたり(リアタイしてたけど、数分間マジでメインパーソナリティの存在消えてた。なんなのアンタたち)、ライブ後は一緒に夕飯を食べるのがルーティンで、その時間を大切にしていたりと、行動一つひとつにジェシーへの愛を感じる。ちょっと過言かもしれないけど、髙地優吾がSixTONESとして活動する上で、ジェシーの存在は酸素のように必要なものになっているのではないかと、最近感じ始めた。過言かな?
ところで、ライブ後のサシ夜飯、ルーティンと言いつつもちゃんと毎回約束しているらしいのだけど、このエピソードすごくかわいいよね。ルーティンなのに毎回ちゃんとお互いの都合を確認する、SixTONESが時折見せるこの「どれだけ仲が良くても親しき仲にも礼儀あり感をなくさない」お互いを尊重し合う関係性、とても好きです。

アンタ北斗の何なのよ

髙地優吾は以前、雑誌か何かのインタビューでメンバーのかわいいところを聞かれ、「打ち合わせでうんうん悩むスト5」を挙げている。彼はそうやって時たま、自らを蚊帳の外の人間にしては、俯瞰でメンバーを見ていることがあるように思うが、北斗に対しては特にその傾向がある気がしている。長らく同じグループのメンバーであり、もちろん基本的には同じ目線に立って物事を見ているのだと思うが、ふいに北斗をまるで庇護の対象のように客観視しては、彼を慈しむような言動を繰り返す。慈しむというか、もはや保護者というか、なんか急に世話焼き始めることない?アレなんなの?
髙地優吾と北斗の関係性については、下記で主観100%で長々と綴っているのでもしよろしければ。

髙地優吾が北斗について語る場面はあまりないように思うが、北斗から彼について語ることも、そういえばあまりない。そこまで絡みがないのに、それでも伝わるシンメ感。それはおそらく、彼らがともにしてきた年月の長さや、培われた信頼関係、その賜物である身内感から醸し出されるものだと思う。髙地優吾がSexyZoneでのデビューを蹴ってなお、黙って側に居続けていた事実を知った北斗が、髙地優吾と何を話したか、その詳細は公表されていない。それは2人だけが共有していれば良いことだと思う。ただ、それでもいつか、10年後20年後に、懐かしい昔話として、2人の口から聞けたらいいなと思う今日この頃です。
(ところで、以前YouTubeで披露した、北斗に個人的にやったというビリビリとかキャリキャリとか、あれについての説明はしてほしい。あれ個人的にやるってどういう状況?北斗のことあやしてたんか?)

SixTONESのマドンナの扱いが雑な男

「クソ坊ちゃん」「川に落とす」「コイツと飯食いに行きたくない」などなど、髙地優吾から京本坊ちゃんに対する暴言は枚挙にいとまがない。team SixTONES一丸となってデロデロに甘やかす京本坊ちゃんをここまで雑に扱うのは、おそらく世界中探しても髙地優吾ただ一人だけなのではないだろうか。そう思ってしまうほど、彼の坊ちゃん扱いは荒々しい。が、坊ちゃんも負けてはおらず、角刈りイジリに始まり、お化け屋敷では真っ先に髙地優吾を差し出すなど、扱いの雑さはたぶん数倍にして返している。最年長同士でキャットファイトを繰り広げるな。
とはいえ、それができるのは2人の間に確固たる信頼関係があるからこそだとも思う。そしてその関係性の上にあるからこそ、私たちも一つのエンタメとしてその雑なあれこれを見ていられる。
ふと感じたことなので見当違いかもしれないのだが、髙地優吾といるときのきょもは、京本ワールドがなりを潜めているように思う。悪い意味ではなく。
例えば、樹といるときの彼は、ここぞとばかりにカオス風呂敷を広げに広げ、すべての人々を置き去りにしていく。そうしてご新規チャンスを2年連続棒に振ってきた。たぶんあのカオスっぷりは狙ってやっているのではなく、彼の本質というか、天然というか、誰にも真似できない独特の感性なのだと思う。
その一方で、京本大我には、結構普通の男の子(成人男性に男の子って言い方おかしいな)というか、ANNのカオスソルジャーでもなければ、パブイメの儚げで中世的な歌姫感もない、ちゃんと人間みを感じることがある。それが全面的に出がちなのが、髙地優吾と対峙しているときではないだろうか。
どことなく口が悪くて、悪ふざけもして、まるでただの友達といるように笑っている。パブイメやANNのインパクトが強いから、そうでない部分が目立つのかもしれないが、京本大我のある種の普通っぽさを目の当たりにすると、彼との距離がちょっと近くなる気がするし、より彼のことが好きになる。そして、彼のそういう面が引き出されているその代表格が、髙地優吾とのキャットファイトなのではと考えた。京本大我の生身の人らしさを最大限に引き出す髙地優吾、やり手だ…。

髙地優吾ってすごい

きょもに限らず、髙地優吾は一緒にいる人の人間らしい面や、魅力的な面をより引き出してくれるように思う。弟感を醸し出す慎ちゃん然り、もたれかかって甘えまくる樹然り、沼るジェシー然り、世話焼かれ北斗然り、スト5が髙地優吾にしか見せない顔があり、その素顔に私たちはまた魅了されてしまう。沼メーカー髙地優吾。

ここまで長々と書いて、ほんのり感じたことがふたつ。
一つは、今さら書くことでもないが、スト5にとって、SixTONESに髙地優吾がいるという事実は、私たちが思う以上に大きいことなのではないだろうかということ。彼らにとって髙地優吾がどういう存在かは、彼らの言動から切り取って憶測するしかないが、それでも、髙地優吾がスト5に愛されていることはたぶん間違いないし、たぶんその愛は私たちの想像を軽々と超えていくと思う。
そしてもう一つは、私にとって髙地優吾が推しグループにいることは、実はすごく恵まれていることなのではということ。北斗曰く1グループ1髙地(意訳)。髙地優吾という最強のいるだけ人間が在籍していることで、SixTONESがより好きになり、沼に頭から突っ込んで、毎日楽しく過ごせている。結局、日々笑顔を掲げる男から日々笑顔を貰っているのは、私自身なのである。

というわけで、髙地さん入所14周年のお祝いと感謝を込めて、長々と語ってしまった。先日ゆごほくに関する長文を書いた時点で髙地優吾について語ることはもうないと思っていたのだが、たぶんこれからもまだまだ書きたいことが出てくると思う。
そう思えることは本当に幸せなことだし、その感謝を込めて、髙地さんはじめSixTONESのみなさんのことはこれからもずっと応援し続けていきたいと思う。
髙地さん、私を沼に沈めてくれてありがとう。日々笑顔のあなたから、日々の幸せを貰ってます。

なお、ここまできて往生際が悪いが、私はこれからも箱推しを自称し続けると思う。箱推し、だけどときどき髙地優吾について長文で語りがち。今の自己分析はそんな感じかと。
何にせよ、これからもSixTONESを好きでいることには変わりないので、一旦これで整理がついたことにしようと思う。

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