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松村北斗の身内感溢れる髙地優吾


SixTONESの沼に漬かりたての頃は松村北斗推しだったのだが、みなさんご存知のとおり、松村北斗のストーリーには髙地優吾という非常に濃ゆい身内が登場する。
私が初めてゆごほくという概念に触れてから現在に至るまでに考えたことを、備忘録として。


生粋の末っ子松村北斗

初めて松村北斗を認識したのは2023年1月、PARTY PEOPLEのMVでのこと。センター分けの男にすこぶる弱いという男性遍歴に良からぬ影響を与えそうなやばい弱点を持つ私は、一瞬にして松村北斗に落っこちてしまった。そこから松村北斗というアイドルに転がり落ちていく中で、彼が朝ドラ俳優であることなど基礎的な情報を知るのだが(朝ドラを観ないため本当にそんな常識すら知らなかった)、そこで髙地優吾という沼男にぶち当たり、ゆごほくという名の爆エモシンメ底なしカオス沼に引き摺り込まれてしまったせいで、いま長々と思いの丈を綴っている。

松村北斗のパブリックイメージは、知的、セクシーな雰囲気、だと思う(入り口がパリピで、そのあと優しい運動会を見てしまったので、初っ端から混乱しています)。それとは裏腹に、スト5といるときの彼は、持ち前の豊富な語彙力とリトルトゥース仕込みのキレキレの天の邪鬼加減に、生来の甘えん坊気質がミックスされ、もう訳がわからない(稔さんが入り口になった諸先輩方の困惑ぶりは察するに余りある)。
さて、思うに、彼の本質は末っ子気質の甘えん坊ではないだろうか。それは彼自身も自称していて、たしかに、甘やかされることに対する慣れや、世話されることを自然に享受する様子から、その本質を垣間見ることができる。スト5といるときの彼のそういう一面を要所要所で見ることができるのが、YouTubeの横浜散歩だと思う。まさに松村世話焼かれ北斗が全開のご様子に、彼の正体の一部を見た気がする。
横浜散歩では、人生初の横浜中華街を堪能する生粋の末っ子北斗と、北斗を甘やかしまくるゆごしんじゅりが見られるのだが、この話は後ほど髙地優吾のヤバさと共に語ろうと思う。(ところで、きょも以外のメンバーがここまで甘やかされてるの結構レアなのでは??)

ニュートラル豆まき職人髙地優吾

現状、髙地優吾についての解像度はそこまで高くない。というかよくわからない。
有識者の方がいらっしゃったらぜひレクチャーいただきたいのだが、私が思う彼のパブリックイメージは、笑顔、優しい、庶民派。スク革ではそれに加えてポンコツ、別館というキャラクターが定着している、親しみやすい、愛すべきキャラクターだと思う。の、だが。SixTONESでの彼はというと、スタッフですら甘やかす京本大我に対して「クソ坊ちゃん」「川に落とすぞ」と暴言を吐き、WE ARE THE WORLDの世界線で生きるジェシーを弄ぶ、SixTONESメインボーカル2人との関係性だけでも相当なものである。(その上最近ではジェシーに対し「特別になっちゃった」などとのたまい始めたものだから、私の中の樹ギャルが暴れだしそうである。どうにかしてくれこの男)

きょもへのハマの番長み、ジェシーへの厄介な彼氏感を醸し出す一方で、ブログでは「こちゆご」なる人格がなんとも平和な語り口で日常を綴っている。こちゆごは日々笑顔をモットーに、ときには自分の弱みすらも曝け出して、私たちに等身大の髙地優吾を見せてくれる。毎日更新してくれるので、毎日ほっこりさせていただいています。が、それと同時に、対きょも、対ジェシーの髙地優吾を知っていると、ときどきこの「こちゆご」人格が髙地優吾の壮大なボケなのではないかと勘違いしてしまいそうになる。もちろん、たぶんちがうのはわかる。つまるところ、私は髙地優吾にという人間への理解について、完全に迷子になっているのだ。

髙地優吾について知れば知るほど、混沌とした世界へ迷い込んでしまうのだが、その中でもかろうじて感じられたことがひとつ。彼のニュートラルな雰囲気についてだ。
単独でメディアに登場するときの彼は、誰に対してもニコニコしているし、どこに行ってもよそ行き感なく話せる印象がある。それは彼の地頭の良さ、勘の良さがベースにあるのではないかと考えた。
個人的に、本当に頭の良い人とは相手のレベルに合わせて対話できる人だと考えている。気が利く人は頭が良い説も小耳に挟んだことがあるのだが、つまりは相手が求めていることを察する能力が高い人=頭が良い人なのだとしたら、髙地優吾はすこぶる頭の良い人だと思う。
4月上旬に行われた1日ラジオ行脚では特にその感じが強く、求められる髙地優吾像を調整しながら7番組を渡り歩いているように思えた。例えば、『The Burn』では趣味の話に華を咲かせつつも決してはしゃぎすぎず、かと思えば『おかしば』では番組が求める笑いをしっかり取りに行く。以前ANNで「誰にでも豆いける」発言をしていたが、彼は相手と場所に合わせて豆の量を調整できる、はちゃめちゃに頭の良い人間なのではないだろうか。

例外的にムラだらけの髙地優吾

さて、ここからようやく本題に入る。髙地優吾が持つニュートラルさ、その例外が松村北斗だと思ってしまったのが、この長々しい文章を書き始めたきっかけだ。
髙地優吾があまり執着を口にしない人であることは各所で言われていることだが、彼が唯一、執着を明確な言葉として発したのが、「SixTONES」そして「松村北斗」(たぶんこれも有名な話なのでわざわざ書くこともないかもしれない)。
相手場所関わらず撒く豆の量を調整できるコミュ力偏差値カンストアイドル髙地優吾が、唯一態度にムラを生じさせる相手、それが松村北斗なのだとしたら、こりゃもうどえらい話である。

髙地→北斗のムラっけたっぷり発言が目立つ例のひとつが、前述したYouTubeの横浜散歩動画だと思う。
人生初中華街にはしゃぐ北斗と、そんな北斗を全力でもてなす髙地優吾が見られるのだが、この動画の髙地優吾は、「こっちはな、北斗を招待してんだよ横浜に!」「提灯いいね、見て見て北斗綺麗だよ」など、鳴き声よろしく「ほくと」を連発。髙地優吾が松村北斗の名前を呼んだ回数を数えるだけの仕事に就きたい人生だった。
なお、この動画では北斗を甘やかすことに全振りする髙地優吾にツッコミつつ自身も北斗の世話を焼きまくるママ樹、末っ子ムーブから一変お兄ちゃんの顔になって北斗をもてなす世界一かわいい慎ちゃん(「お腹いっぱい?」「うまい」のやりとりには宇宙のかわいいが詰まっています)、謎ブームに髙地優吾を付き合わせ「こいつと飯食いに行きたくない」と暴言を吐かれてもなおマイワールドを貫き通すきょも、とうとう挙式にまで漕ぎつけ髙地優吾と末永くよろしくするジェシーも見られる。特典映像さながらの豪華さである。これが無料で見られる世界線に生まれることができて本当に良かった。

この動画の髙地優吾からは、とにかく北斗が可愛くて仕方ない、という印象を受ける。この時の髙地優吾は完全に「うちの北斗」顔になり、ひたすら可愛がり甘やかしまくり(なお、配信日と同日放送の少クラにて「うちの北斗が出てんだよ」発言が飛び出している。なんなのアンタ)、彼氏(彼女?)のジェシーがいなかったこともあるのだろうか、お兄ちゃんムーブがブーストしていた。そしてそれに対し、一切つっこむこともなく当たり前のようにお兄ちゃんの愛を享受する北斗も北斗である。さてはアナタ慣れてるわね?
以前樹が「髙地と北斗は2人でいるとき兄と弟の顔になる」という旨の話をしていたらしいが、楽屋で常にこうなのかと思うと、ちょっと頭痛くなってきた。

ゆごほくとは松村北斗を身内認定する髙地優吾のことを指すのかもしれない

そもそも彼らの関係の始まりは遠い昔、ジャニーズ入所当時にまで遡る。入所は3ヶ月違い、社会人の中途入社だったらほぼ同期でカウントする近さ。たぶん中途入社の研修は一緒だよ。
B.I.時代の彼らについては、本人たちや数多の有識者から語られているのでここではひとまず割愛する(この話をすると本当に長くなる)。ただ、今でもSixTONES内では「B.I.の2人」という認識が強く残っているのか、ゆごほくが組むようなシーンになるとたびたびメンバーから「B.I.shadow」の名前が飛び出す。先日の脱出島では、ジェシーが6匹の魚のうち唯一2匹揃った魚を「髙地と北斗」に例えるという、不意打ちゆごほく案件が供給された。

髙地優吾から松村北斗への愛の歴史は長い。有名なエピソードとして、B.I.shadow時代に、ジャニーさんがホワイトボードに書いたジュニア数名の中に北斗の名前がなかったことから、「北斗がいないなら俺もいいよ」と自ら辞退した話。後日そのホワイトボードメンバーがSexyZoneとしてデビューするのだが、北斗やSexyZoneへの配慮だろう、髙地優吾はこのエピソードを長らくジェシー以外に口外していなかった。
その後、髙地優吾は「北斗とやっていきたい」と、北斗との活動を希望したと話している。彼は当時の北斗について「ひとりにしておけなかった」と、必死になるあまりのある種の危うさを孕む北斗を案じるような発言をしていたが、その根本には北斗への愛があったのだと思うと、彼の「俺もいいよ」発言はなんと愛に満ち満ちていたことか。(「北斗とやっていきたい」発言も冷静に考えるとだいぶやばい。特大ゆごほくすぎる…)
「北斗とやっていきたい」発言があったおかげで、当初北斗だけが出演予定だったバカレアに髙地優吾も出演することになったエピソードも有名で、北斗はバカレア出演が決定した際、「YOUの友達入れておいたよ」と言われたらしい。
つまり、髙地優吾の「北斗とやっていきたい」発言がなければ、SixTONESの前身となる6人組が揃うことはなかったわけで、たとえ5人でバカレア組となったとしても、ジェシーがまたバカレア組と一緒にやりたいと相談できた髙地優吾は存在せず、SixTONESが誕生していなかった可能性が大いにあるということになる。怖

髙地優吾が抱く北斗へのドデカ感情がSixTONES誕生に必要なものだった、という壮大な話になってしまった。ちょっと過言な気がしなくもないが、Twitterやnoteは個人が自由に発信して良い場所だと信じて、このまま続ける。

現在SixTONESとして「北斗とやっていけている」髙地優吾は、要所要所で北斗への愛を隠さない。愛というのは恋愛的なそれではなく、それこそ身内に寄せるような信頼感のようなものに近いように感じる。
過去、髙地優吾は北斗になら自分の子どもを会わせられると発言している。その時は、いやいや、そんなこと言ってもいざ子どもが生まれたらメンバーが黙ってるわけないし、そのうち赤子+デレデレ髙地優吾+スト5の写真が出回るわよ、とすら思った(なお、赤子の顔にはしっかりとモザイクがされているSixTONESのリテラシーの高さも合わせて想像できた)。だが、先日の1日ラジオ行脚のらじらーにて、どうやら髙地優吾が抱く北斗への身内感が、わりとリアルなものであることが匂わせられた。
前日のMステを観ていた視聴者からのメールで、髙地優吾が家に誰も入れたくない(本人曰く潔癖だからとのこと)という話になったとき、メンバー誰か1人選ぶなら誰かと聞かれた髙地優吾は、あまり悩むことなく北斗の名前を挙げた。(矢花くんこの時はナイスパス本当にありがとうございました)
「北斗は俺の気持ちを一番汲んでくれそう」とのことだが、なんとこのあと、この回答について特に掘り下げて話すことなく、次の話題に移ってしまったのだ。「髙地優吾の気持ちを一番汲めるのは松村北斗」という事実だけを残されてしまったわけで、ここからは各々の解釈に任せるということだろうか。それなら、私は髙地優吾は松村北斗を身内認定していると解釈する。

家に入れるという行為はつまり自分のパーソナルスペースに招き入れることで、他人をその領域に入れるまでに誰しも一定の水準を設けていると思う。知り合ってすぐに家に招ける人もいれば、家族以外は嫌という人もいるし、家族もダメなパターンもある。髙地優吾がどの程度の水準を設けているかはわからないが、メンバーすら家に入れたくない発言を生放送でするレベルの中で、北斗は水準を満たしていると判断された。しかも理由が「自分の気持ちを汲んでくれそう」だからって、それ何て身内?わが子を会わせられるというのも、北斗ならわが子を案じる自分の気持ちを汲んでくれるから、ってことだとしたら、それはもうご兄弟かご親戚では?
つまりは、横浜での世話焼き具合もメディア向けではなく、かなり素で北斗のお兄ちゃんをしていた可能性が高い。そして、北斗の方も、髙地優吾といると、他の誰といるときよりも素が出ているように思う。中華街の真ん中で素の弟感全開の松村北斗。樹が言っていた楽屋兄弟ムーブは現実で、しかも想像以上だった。事実が怖デカい。

余談だが、家に入れられるメンバーで万が一にもジェシーの名を挙げようものなら全国の樹ギャルが黙っていなかったと思う。髙地優吾、命拾いしたな。

結局、髙地優吾の話になる

髙地優吾が豆まき職人たる由縁は、コミュ力のカンスト加減に加えて、良い意味で受け身であるからだと思う。受け身、というより、巡り合わせを自分のものにする力があると言った方が良いかな。自分の元に舞い込んだ仕事や出会いをしっかりと自分のものにできるからこそ、スクール革命やSixTONESをはじめ、多くの場所で長く愛されているのだと感じる。
そんな髙地受け身優吾が自分から掴みにいったのが、松村北斗。髙地優吾の中で松村北斗の存在がどれだけ大きなものだったか、それを他人のわたしが「これくらい」と推測し、今ここで言語化するのはあまりにおこがましい。ただ、彼にとって松村北斗が大切な存在だった。その事実を知ることができただけで十分だと思う。

この6人とアイドルとしての道を歩んでいきたいと思えた、その6人の中に松村北斗がいることは、髙地優吾が掴み取った現実。もちろん、6人の中に北斗がいることも自身がいることも、自分の力だけでは選べない部分があったと思う。それでも、6人の中に2人がいられることは、紛れもなく2人が掴み取った奇跡だと、声を大にして言いたい。
スクール革命が長寿番組になっている今、髙地優吾は芸能界入りしたその日からレギュラー番組を持ち続けているとんでもない強運男だが、それは彼が単純に運に愛されているだけではない、彼の誰にでも豆いける受け身の達人という、類稀なる魅力も大いに関係していると思う。本当に、考えれば考えるほど奥深い男である。そらジェシーも沼落ちするわ。

ところで、SixTONESがオラオラしてるのは全員が男子高校生のままだからという話がそこかしこであるが、実際に素でオラオラヤンキーなのは実は髙地優吾だと思う。
どういうことだよ日々笑顔。

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