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部下と上司の膝栗毛⑮

 冬の上野で

 上野東照宮ぼたん苑。先ほどから芳香は虫の居所が悪かった。
 出かける間際に、宅配物を受け取ったせいで出鼻を挫かれたが、歩く速度が早いのが功を奏して、5分弱の遅刻で済みそうだった。

>5分ほど遅れます。

 そう最上に送って、芳香は可能な限りの最短ルートで向かう。
 しかし、問題は上野に着いてからだった。

>5スロ打ってる。3階。

 いざ上野駅のホームに降り立ち、スマホを見た芳香は、数分前に最上から来ていたメッセージに思わず、携帯を投げ棄てたくなった。
 目的の上野東照宮は上野公園の中にある。よって、待ち合わせは公園口のはずだったが、最上が送ってきたのは、反対側の不忍口方面。有名なアメヤ横丁の写真と、その中にあるパチンコ屋の外観の画像だった。

(……5分って言ってんのに、打ちに行く奴があるか!)

 「帰っても許されるのではないか?」という疑念に苛まれながらも、深くため息を吐いて向かった。
 だが、問題はここからだった。

(――パチンコ館とスロット館で分かれてるならまだしも、混合で同系列隣り合わせで別建物ってどう言うこと!?)

 パチンコ店で働くなら、嫌でも耳にする大手競合店の上野店。
 大通りに面した入り口付近のフロアガイドに従って3階へ昇って行くも、そこに最上の姿はない。

【当館には、5円スロットはございません】

 この文言を見て、芳香の苛立ちはピークに達した。いよいよ本当に帰りたかった。

(……会ったらまず、1発殴りたい)

 渋々、階段を下りて一度店を出ると、隣の建物に入る。これがまた厄介だった。

(……迷路か、ここは)

 1階と地下と中2階が入り混ざったような構造に、エレベーターを探すのも容易ではない。
 やっとフロアの奥に見つけて、叩き込むようにボタンを押す。建物の広さに反比例した、大人2人乗っていっぱいいっぱいなエレベーターで、3階まで辿り着くと、そう探す間もなく、見慣れた後ろ姿を見つけた。 
 視界に入らないように、背後に立った芳香は台に当たるのを躊躇って、最上の膝裏を思いっきり蹴った。

「痛っ! ……え、怒ってる?」
「公園口だって言ってんのに、何不忍口に来てんですか。殴りますよ? 後、5分って言った」
「15分には着いちゃったからつい……」

 もう一発、膝裏を蹴っ飛ばすと、最上は慌てて立ち上がりながら返却ボタンを押して、カードを出した。
 その時には既に、芳香は階段を降りていて、急いで追いかけてくる最上を待つ素振りすら見せない。可能ならどこかで彼を撒いて、帰りたかった。

「ごめんて、お姉さん」
「……20~30分ならいいですよ……10分はもうカフェとかで良くないですか!? 公園口、あんなにカフェあんのに」
「いや5スロなら、ワンチャン1000円で15分潰せるかなって」
「……帰っていいですか」
「ごめんなさい」

 歩く速度を緩める気のない芳香に、足の長さで何とか追い付いている最上は某夢の国のネズミが描かれたショルダーバッグから、先ほど交換したばかりのいちごミルクの紙パックを、芳香の横にかざした。

「これで許して。カフェオレもあるけど」
「いちごミルクでいいです」

 歩は止めず、最上の手からパックを引ったくると、ストローを差した。そのまま鬼の早さで飲み干し、パックを最上に返した。
 空の紙パックを押し付けられた最上だが、苦笑いを浮かべるだけで、大して気を悪くはしていないようだ。
 上野駅不忍口前の交差点で信号待ちをする2人だが、芳香の足の先は明らかに公園の方を向いていた。

「今日は全部出すよ」
「……そうして貰わないと割に合わないです」

 そこでやっと、芳香は不貞腐れたように振り返った。

「はい、お姉さん」

 2人分の入園料を支払って戻ってくると、最上は受付で貰ったパンフレットを芳香に手渡した。
 幸い天気に恵まれて、2月とは思えないほど暖かい。少し汗ばむほどだ。
 園内の牡丹はまだ時期の早いものもあったが、ほとんどが見事な花を咲かせていた。
 牡丹をお題に、俳句が添えられている。ぼたん苑というから、花もまた見事ではあるものの、端々にある細やかな装飾や小物がまた趣があり、芳香は牡丹よりもそちらに目が行った。

【立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花】

 美人の表現に用いられるように、鮮やかで大きな花弁を開く様は気品がある。
 元来、花が好きな最上に合わせて回っていたため、ぼたん苑を出るまでに2時間弱を要していた。
 次に2人は、隣接する東照宮に向かった。
 東照宮とは徳川家康公を奉る神社で、存外各地に点在しているが、やはりどうしても日光を思い浮かべてしまう。
 比べてしまえば元も子もないが、それでもどこか佇まいが立派で、豪華な印象がある。

「今年、初詣してないんですよね……」
「母方のおばあちゃんが亡くなったんだっけ?」

 一般的に神道において、親族が亡くなって49日が経たないーーつまり忌中の内は鳥居をくぐってはいけないとされる。
 昨年末、芳香は1度も会ったことのない母方の祖母の葬式に出席した。12月中旬に心筋梗塞で亡くなったと聞いたが、父方の祖母が亡くなった時の方がショックは大きかった。
 本殿の賽銭箱の前で二礼二拝一礼。チラリと横を見ると、最上は初詣の時によくそうするように、財布の小銭入れを開き、500円玉と100円玉を除いて、残りの硬貨を全て捧げていた。
 当然、後ろに並んでいた参拝客の数人から声が上がった。
 毎年こうして大盤振る舞いをしても、厄年に翻弄された2年前の最上。財布を落とし、携帯を車に轢かれ、社宅と職場のロッカーの鍵を失くし、終いには流行りの感染症で1度はホテル療養、2度目は軽度で済んだものの、復帰して2日で濃厚接触者として再び欠勤。
 まだ人生で厄年らしい厄年を経験していない芳香からしても、典型的過ぎる厄年を思い出し、憐れむような表情で、祈る姿を見守った。
 ただバチが当たったのか、この後、おみくじで大吉を引いた芳香は、上着のポケットに突っ込んでいたのをどこかで落とした。


 境内を出た後、二人は公園内を散策した。
 昼時はとうに過ぎていて、飲食店の混雑は避けられそうだった。そんな最中、隣を歩いていた最上がとある茶屋の前で立ち止まった。

「この団子屋のおでんが美味しいんだよね」
「団子屋なのに!?」
「団子も美味しいんだけど、おでんも美味しい。ただちょっと高い」

 以前、上野公園を散策した時も同じことを聞いた気がして、芳香は俄然興味が湧いた。
 
「入ってみようか」
 
  目は口ほどに物を言うとはこのことか、芳香の顔を見た最上は茶屋に入っていった。

「美味しそう!」

 おでんと団子の盛り合わせを2人前。芳香は加えて、甘酒を頼んだ。
 味は申し分なかった。来瞳家のおでんは練り物の多さも相まって、味が濃い。だが、ここのおでんは薄味で、不思議な懐かしさのあり、優しい深みがある。ただ何よりも、芳香が気に入ったのは甘酒で、米の甘さが強い。なかなか熱かったので、飲み終わるのに時間がかかった。
 そんな芳香の様子を面白そうに眺める最上。

「機嫌は治った?」
「恐らく」
「お腹空いてたからだね」

 どこか満足そうな最上の顔が気に食わなかったが、正直なところ、ぼたん苑に入った時から苛つきは治まっていた。
 自分の単純さにため息を吐いたところで、最上が口を開いた。

「動物園でも行こうか?」
「そうですね。私、上野動物園行ったことないんですよ」
「嘘でしょ!?」
「多摩動物園の方が近かったので」

 わざとらしい反応に、鳴りを潜めていた苛立ちがまた振り返しそうになる。

「多摩動物園なんか比じゃないよ」
「いっぺんゴリラに糞を投げられればいいと思いますよ」

 今でこそ23区に実家があるが、それ以前は三多摩に近い所に住んでいたから、幼稚園と小学校の遠足。それよりも前に何度か多摩動物公園には行ったことがある。
 山間にあるから敷地も広大だったし、何より専用の駅がある。芳香にとっては慣れ親しんだ場所であるから、どうしても最上の口振りが腹立たしかった。
 ただ思うところがあるとするなら、山間であるが故に、坂道が多いということ。そして園を出てしまうと、店らしい店、特に飲食店がないのが難点だと言えた。

(……むしろ特化型過ぎるな、あそこは)

 外の賑わいを眺めながら、内心そう納得すると、腹立たしさも薄れた。何とも単純な話だ。

「……パンダはいいから、ハシビロコウが見たいです」
「いや別にいいけど、たぶん正門から入ると、かなり遠いよ?」
「行ったことがないので、その辺は気にしないです」

 何もハシビロコウだけを見たいわけではない。単に並んでまでパンダを見たくないというだけの話だ。
 それは言わずとも伝わったのだろう。芳香が甘酒を飲み干して一心地ついたのを見計らって、最上はダウンを羽織ると、バッグと伝票を持って先に立ち上がった。

「じゃあ行こうか」
「御馳走様です」

 そう言って、芳香も鞄とコートを持って立ち上がり、先に店を出た。

 

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