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愛読書で就職差別?? ~表面上のことばかり見ない!~

こんにちは! あたたけ です。

先日、ちょっと気になるネットニュースを見かけました。

???意味が分からないんですけど??????

記事中であげられている理由としては、『出生地や家庭環境など本人に責任のないこと』『思想や信条の把握』に該当し、就職差別に繋がるというようなものですね。

『出生地や家庭環境』という点では、本を買う経済的余裕、公共図書館の有無などで本人ではどうしようもないハンデがあるということなのかもしれませんが、そもそも『本を読めないのであれば、趣味に読書って書いたらダメじゃない??』とか思うんですが。。。。
愛読書と言われてピンとこなくても、『心に残った、影響を受けた本』が何もない人が趣味に読書と書くのは偽装でしょう。

『思想や信条の把握』に至っては、『面接ってそういうものを把握するためのものじゃないの??』と思います。
『相手の考え方が会社の考え方や風土に合っているか』って採用時の大事なポイントだと思うんですけどね。
まさか、高卒採用の人は何も考えず歯車として働くだけだから思想や信条は関係ないってコトなんでしょうか?
そっちの方が差別やし!

もう少しツッコんで考えてみると、ここでの就職差別とは『愛読書から思想・信条を推察し、それを判断理由に採用しない』という意味でしょうか。
愛読書で採用しないって、よっぽどカルト的な何かくらいじゃないの??
てゆーか、あまりにも考えが偏ってて組織に悪影響を与えそうな人って、採用する側からしたら絶対に採用したくないんですけどね。

ついでに逆の立場から考えてみると、愛読書に限らず、『面接官等のごく一部の個人の好みが採用に大きな影響がある』って会社は、ろくでもない会社な気がしますけどね。
なかなか就職先が決まらないという現実があるのかもしれませんが、『ブラック企業でも良いから働く』というのはどこまで勧めていいモノやら。。。

さて、『愛読書を聞くことが就職差別に繋がる』という見解は厚労省から出ているようですね。
うーん、まぁ、いろいろな事例や検討があって出てきた見解なのでしょうけど、『表面上の現象・行為に囚われて、本質・方針を見失ってない??』と思います。

方針としての『就職差別をなくす』のは正しいと思いますが、それと『愛読書を聞かない』という行為が繋がるとは思えない。。。。。
『景気対策』や『少子化対策』でも同じような意見を聞きますね。
てゆーか、行政の話だけでなく、会社でも『方針に対して行為に妥当性がない』って良くありますけど。

これを回避するにはどうすれば良いのか?

行政のことはよくわかりませんが、会社というか仕事については『シンプルに方針・目的を捉え、行為を考える』が一番確実な手段だと思います。
『考えすぎて/色んな人の意見や要望を聞きすぎて、思考の迷路にはまる』って感じの人をよく見かけますので。

『考える≒頭を使ってる≒賢い・評価される』というのは間違いですから。
評価をされる・賢いと思われるには、『組織の方針に沿った成果を出す』ことが最低条件ですから。
いくら考えても成果に繋がらないことをしていてはダメなのです!

あたたけにとって読書とは『自分では経験できない、他人の思考や経験の追体験』というものです。
いろんな本に影響を受けて、今の自分があるという自覚があります。
皆さまにも、いい本との出会いがありますように。

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ではでは。今回はこの辺りで!

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