私は旅行に行きたい
旅行に行きたい。
1人でもいいですけど、なんと言いますか、大切な人と行きたい。
大切な人といっても、別にパートナーでなくてもよくて、私の人生にとって大切、満足、意味がある、そんな人。人たちでもいい。
一人旅もとても良いものというのは分かってるんです。
一人でそこの土地の空気を吸って、食べ物を食べて、水やお酒を飲んで、そこの土地に根差した人たちの温度を感じる。人の育んだ文化や風土に触れること。
あるいはそこに眠る、神や得体の知れないなにものかを感じて、想いを馳せる。人を惹きつける何かに触れること。
とても魅力的です。私も、昔はやってました。近くも、遠くも。そのときの話はいずれまたいつか。
ただ。
一人旅ってとてもエネルギーが要るんです。
それは、一人で運転しなきゃとか、一人で旅程を全部決めなきゃとか、そういう分かりやすいエネルギー以外の部分で。
よそ者として旅をするにあたり、見知らぬ土地、あるいは少し見知った土地で、異なる文化や風土に触れるのって、自分の寄って立つアイデンティティみたいなもの、ふるさとみたいなもの、あるいは無知な自分、そしてその自分だけの世界みたいなものを、確かに持ってないと難しいんだと思います。
ツーリズムの世界では「まなざし gaze」と言う概念があるそうです。不勉強な私はそう言う言葉があるということしかまだ分かりませんが、今の私は世界に対して、「まなざせ」ないのかなと思うんです。
私は、私の揺るぎ揺らぎしている自分の世界を確かめに行きたいのかもしれないのです。
私にとって大切な、今の私を作ってくれた人、あるいは作ってくれる人と、今とは違う土地に行って。
私は私のままだった。私の大切な人は私の大切な人のままだった。むしろ、大切な人と私の思い出が1つ重なったのでした。
そんな、無知であることを許容できなくなった偏屈な私の再確認に。
私は旅行に行きたいのです。
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