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浅倉透と「今」ではない「ここ」【10個、光】

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は?何???



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初見で疑問符を浮かべたプレイヤーの数は少なくないだろう。
雰囲気の会話かと思い、なんとなくで読み進めた方も多いのではなかろうか。
だがちょっと待ってほしい。前回の「浅倉透コミュ通読 基礎編」を読んでいただいた方や、浅倉透に理解を深めたおシャニプレイヤーの諸兄なら、彼女が単なる考えなし発言一辺倒の薄味な少女ではないことをご存じのはずだ。
そう、(財布は忘れるが)浅倉透は馬鹿ではない。この一連の発言はきちんと共通コミュから「10個、光」のコミュ内容を経た心境に基づいたものになっている。

本当は今回のnoteを書きたくて、その前にさらっと共通コミュを浚おうと思っていたんだけど妙に長くなってしまったので分割した。今回が後編であり本論です。
本記事では2020年5月13日より実装された浅倉透pSSRのコミュを一つずつ読み解いていく。そして最終的に、コミュ終盤にて透の口から発せられる「今」と「ここ」とは何なのか。そしてどういう経緯を辿って透は「今」と「ここ」に思いを馳せたのかということについて、共通コミュを経た透の内面に触れつつ思考する。


10個、光

まず始めに今回のコミュ全体の構成を俯瞰的に眺めてみたい。

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【10個、光】のコミュイベントはTRUE合わせて全部で5つ。このうち「1こめ」「2こめ」「いつか」が透のパーソナルな部分に触れる本筋とも呼べるもので、「3こめ」「4こめ」は言うなればサブイベント、プロデューサーと透の関係性を主題に描くものとなっている。
どちらも簡単には一つの解釈に絞らせないぞというような意図を感じる作りになっており、演出も邦画を思わせる独特な間を持たせたものになっているので是非一度実際にプレイしてみてほしい。もちろん、時間が許すのであれば共通コミュのみが発生する低レアの浅倉透をプロデュースしてから【10個、光】の浅倉透をプロデュースしてみると時系列が一致するのでより楽しむことができるだろう。

さて、今回の【10個、光】コミュは共通コミュでWING優勝を果たし、エンディングを迎えた後の時系列となっている。つまり、透が登場当初に抱えていた命題であるジャングルジム問題、それに連なる人生長すぎ問題が解決した後なのだ。
今更言うまでもないがアイドルマスターシャイニーカラーズは基本無料のソーシャルゲームだ。で、あるならば一番オーソドックスなキャラクターの運用法としては、初期に提示されたそのキャラが抱える問題、悩みを長期的なサービスの継続の中で少しずつ解決に向かって進行させていくという方法が考えられる。ところが透は実装と同時に問題も悩みも解決してしまっている。
この場合、次の展開として安易に考えられるものは「新たな問題が発生し、その解決に向かって進んでいく」というようなものだが、【10個、光】において新たな問題の発生は描かれない。
共通コミュを経た透が何を見て、何を感じるか。それが今回の内容である。

では、最初に発生するコミュから順に見ていこう。
(「3こめ」「4こめ」に関しては単なる感想文なので飛ばしていただいても問題ありません)



1こめ

事務所内。『一生のうちにやりたい10のこと』という小さなアンケート企画への回答をプロデューサーと一緒に考える透。「いっぱい寝る」「映画とか観る」「ブラウス欲しい」など今やりたいことばかりを挙げる。

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本当にそれでいこうとしていたようだ。しかしながら考えてみると透が将来的にあれをしたいこれをしたいと言うシチュエーションは中々想像し難いような気がする。

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「アイスコーヒー飲みたい」と書く。即物的過ぎる。「それも今やりたいことじゃないか」とプロデューサーに指摘された透はこう返す。

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この二つの台詞、TUREコミュを読み解く上で最も重要だと言っても過言ではないのでしっかりと覚えておこう。詳細は後述する。

一理あると笑ったプロデューサーは自分も『一生のうちにやりたい10のこと』を挙げようとする。ここで選択肢が発生。

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アイドルマスターシャイニーカラーズというゲームのシステム上、プロデュースアイドルのコミュ中に発生する選択肢には不正解というものが存在しない(朝コミュとオーディション前を除く)。3つのうちどれを選んでもVi、Da、Voのパラメータのうちのどれかが上昇するように設計されている。
このコミュにおいてもそのシステムは変わらないが、実は今回の選択肢には透的には一番正解だと思われる択が存在する。

それは上の、「アイスコーヒー作りたい」という答えである。

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っぽいと言っているがしっかり正解である。共通コミュを思い出そう。浅倉透という少女が見るジャングルジムの夢。その根幹にあったものは共通の目標に向かって進む誰かと協力し、感情や光景を共有する嬉しさだった。
その透にとっては「透の力になれるように頑張っていきたい」という意味の「アイスコーヒー作りたい」はこれ以上ないほど嬉しい答えなのだ。

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お礼を口にすることも、飲むと伝えることも律儀に忘れない。この若干不必要なまでの意思伝達に対する律義さが共通コミュを通して透が手に入れたものだ。



2こめ

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このコミュでは透とプロデューサーの視界に写るものに対する認識の差、感覚の違いを対象を移しながら繰り返すことで印象付けている。

夜。バス車内。眠っていた透は目を醒ます。
透は毎日乗っているバスから見える景色でも、バスの進行方向が反対になったり道が暗くなると地理感覚がおかしくなってしまう。

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これは前回の記事でも述べた通りモノや人に対する関心の薄さからくるものだろう。透と同じく追加ユニットのセンターポジションでもある芹沢あさひと比較するとわかりやすい。

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【ジャンプ!スタッグ!!!】芹沢あさひ TRUEコミュより

あさひは車窓から見える住宅街の景色をまるで城壁のようだと楽し気に話す。一方透は似た景色を眺めても光ってる窓を認識するのみである。

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プロデューサーが話すまでその光る窓の中に人が住んでいるという単純な事実すら頭の中に思い浮かばないでいる。楽しいことを探すための「視点」を持っているあさひとそもそも「視点」を持たない透。

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子供染みた微笑ましいやりとりを通し、透は降車ボタンが光っているという事に注目する。プロデューサーの「たくさんの人が住んでいる」という視点を共有し、普段見ないものを見るということを意識した結果だ。

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そうして発せられた言葉からプロデューサーは透を連想する。この時、プロデューサーは透が本当に気付いてほしい「ジャングルジムを一緒に登った少女」という一番パーソナルな部分に気づいていない。にも関わらず浅倉透という存在に気付いたつもりになっている。

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しかし共通コミュにてあれだけのすれ違いを起こし、メンヘラになりかけた経験を経たプロデューサーは透を完全に理解できたとは思っていない。アイドルのプロデューサーとして、浅倉透という少女を正しく世間にプロデュースできるのか、それは本人も少し不安に思っている様子だ。

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バスを降り、家路につく透にそう伝えるプロデューサー。自分はちゃんと透を見ているぞという意思表示。これに対する透の返事は「すごいじゃん」という、らしさの詰まった簡素なもの。見ていてくれていることへの嬉しさ、いまだ気づいていないプロデューサーへの苦笑交じりの苦々しさ、様々な感情が当てはまる台詞だと感じる。人によって解釈は異なり、そのどれもが正解になりうるだろう。

透とプロデューサーのこの些細な認識や感覚の違いはTRUEコミュを読み解くための二つ目の手がかりとなる。



3こめ

サブイベント的な内容だが演出的には一番凝っている。

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事務所にてスマホを使い映画を見ている透。台詞を覚えるほど何回も見ているようで、意外な一面だ(そもそも透の趣味が映画観賞であることが意外だが)。
余談な上自分語りで恐縮だが、遥か昔クソガキの頃にfate/zero第1話ラストシーンのセイバーの台詞「問おう、あなたが私のマスターか」を初見で完璧に合わせてニチャァと笑ったことがある。

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なんだか微妙に発想がオタクくさいプロデューサー。

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スマホで見ているんだから覗くとなったら至近距離に接近する必要があるような。接近しているのか...!

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言わなければまだ多少はマシであろうことをわざわざ言う透。意識させたいのかと最初は思ったが、公式4コマを読むとノクチルのメンバーにも映画を見ている時に同じお知らせしているのでよくわからん。何だこいつ。

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ここで選択肢。右を選ぶとキスシーン直前でプロデューサーのスマホに着信が入り、席を外してしまう。

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と粋なことを透が呟いてコミュ終了となる。

左の一番初心なものを選ぶと連られて透も少し照れる。

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終わり方まで妙に雰囲気が色っぽいぞ......!

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そして興味深いシーンは真ん中の選択肢を選ぶことで発生する。親と一緒に見るような気分とは違うし、もっと緊張しているということだろうか。
「え?」と難聴系主人公のテンプレをかますプロデューサーに

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と映画の音声がつながるように流れる。

意味ありげに笑う透。プツッと電源が切れるようにブラックアウト。めっちゃ洒落たオチじゃん。
ほぼ感想文だなこれ。



4こめ

サブイベント的な内容だが会話的には一番おもしろい。
ある日、ファミレスで打ち合わせをしている透とプロデューサー。レッスンと透個人の予定との擦り合わせをしていたようだ。話も終わり、会計を済ませようとするPに今日も奢りなのかと聞く透。経費だから気にしなくていいとプロデューサーは言う。

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ここの台詞めちゃくちゃ良い。一番好き。『さっぱりおろしハンバーグとカキフライ膳』という文字列がセンス良い。というかこいつ奢りかどうか気にしている割にめちゃくちゃしっかり食ってる。

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三択発生。キモいぐらいに焦るプロデューサー。きしょ。

真ん中を選んだ場合

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代金的に絶対サイゼではない。ガストかな?

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吹き出しに対する台詞量と分割の仕方がセンスあり過ぎるが??????

右を選んだ場合

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いやー!良い!意味わからんけど何だこの台詞!このコミュが一番ライターの癖が表に出ている感じがする。

左を選んだ場合

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センスよ〜〜〜〜〜〜!




TRUEコミュ「いつか」

ようやく本題である。真面目にやろう。
このTRUEコミュではほぼ全ての会話が重要であり、尚且つこれまでの浅倉透をしっかりと思い出さなければ透の発言が理解できないまま終わってしまいかねない内容となっている。
1文字も逃さない意気込みで浅倉透をしっかりと理解できるように仔細を見ていこう。
とか言ったらなんか攻略本みたいだな。

ある日の夕暮れ。郊外にて。宵の空に光る星を見つけた透はPを誘って階段を上がり見晴らしの良い公園に辿り着く。

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解放感を感じたプロデューサーは思わず伸びをし、しばし穏やかな空気が流れていく。

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同じ景色を見ていても、透とプロデューサーとでは感じる印象が違う。
透の物語では常に、同じ景色、同じ気持ちを共有し得るのかという問題が語られてきた。そしてその問題に対する答えは共通コミュで既に出されている。まず、二人の人間が同じ景色を見たとして脳が同じ反応を示し、全く同一の感想を共有できるという物理主義的な構造を一旦のところ否定して見せた。そこからその否定の結論に対し、間違いつつも言葉を尽くすことで、ゆっくりと心と心を近づけていくことを希望するという答えを示した、今のプロデューサーと透の状態はそういうものだ。
だから、というかやはり、「2こめ」のバス車内での会話のようにプロデューサーと透はそう簡単に同じ景色を共有できないのだ。

風が吹く。二人の沈黙。そしてついにあの問答がやってくる。

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一つ一つ読み解いていこう。

透が「誰かのものじゃないといいな」と思ったものは何か。「ここ」と「今」である。「ここ」であり「今」、とも取れるし「ここ」を「今」と言い換えたようにも読める。
「ここ」と「今」は時間と場所を表す言葉であり、二つの性質は全く異なるものだ。シンプルに「今」の「ここ」なのであろうか。違う。それだけの意味ならプロデューサーが口にして最初に否定された公園という土地が正解になってしまう。
そして透は「世界?」と疑問形で言い直した後に再度「ここ」という言葉に立ち返る。「今」の「ここ=世界」なのだろうか。だが透はどうも世界という言い回しにしっくりきていない様子だ。
透が立っている公園でもなければ、世界でもない、透の主観での「ここ」。そんなものがあるのだろうか。透は特に何も考えておらず、「ここ」は「ここ」としか言いようがない、なんてトートロジーの勢いで読み飛ばしても支障はないが、それではなんだか味気ない。
では、一旦「ここ」を脇に置いて、透が「ここ」と共に示した「今」を考えてみよう。

「今」という言葉がこのTRUEコミュと同じように透とプロデューサーの会話の話題に挙がったコミュがあったことを憶えているだろうか。

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そう、「1こめ」内のこのシーンである。
いやに刹那主義めいた思想を披露した後に突拍子もない例え話を言うものだから煙に巻いたように感じられなくもない。
だが、もう一歩踏み込んで考えてみよう。
この箇所とTRUEコミュで透が言い、我々が普段口にする「今」とはそもそもいつなのか。

もしあなたが「今」と考えたとする。ではその時が今か?
しかし「今」をその時と認識した時点でその「今」は過去のものとなっている。
このように純粋な「今」というものを考えることは極めて難しい。例えば、純粋な「今」を想像するために完全に静止した時間を作ったとする。しかし、その中にある物や人は静止した時間より過去の時間にあった因果からエネルギーを受けている。そして、これらの静止した体や物が有するエネルギーは、過去を原因として未来に対応するためのものである。このように、静止した時間の中であっても「今」は「過去」と「未来」を必ず内包する。
つまり「今とはいつだ?」という問いに対する答えは「今とは過去であり未来であるので、今という時間は存在しない」というものになる。
「今」という言葉は単なる比喩なのである。

話を物語に戻そう。透は「今やりたい事、今大事にしなきゃ」と言い、『一生のうちにやりたい10のこと』に今やりたい事を書こうとする。
「ジャングルジムのてっぺんを求めている」という透の深層意識は幼いころから一貫しており、ボクっ娘として学生シャニPと会ったあの時には既に「未来」に向けて「今」やりたいことだった。そして長い間「ジャングルジムのてっぺん」という未来が見つけられなかった透にとってはその「今」が全てだったのだ。てっぺんを捕捉した後も、そこに向けて登るという行動は常に「今」行うべきことであり、ジャングルジムを人生に見立てている透にとって「てっぺんへ向けて登る」ことはどの「未来」においても「今」なのである。
そのようにして形成された透の人格が言う「今やりたいこと」とはやはり、(本人がそこまで意識的に使っていないとしても)過去と未来を包摂し、「一生のうちにやりたいこと」に対応するものだと解釈することが適切ではないだろうか。

そして透はTRUEコミュにおいても「ここ」と共に「今」を口にする。
では、もう一度「ここ」を考えてみよう。「今」が「過去と未来、その全て」であったとして、浅倉透にとっての「ここ」とは一体どこなのか。つまり過去であっても未来であっても常に浅倉透という主体にとって「ここ」と言える場所である。
当然だがそんな場所は存在しない。2秒考えればわかることだが、透は過去にバス停にいたことも公園にいたことも自宅にいたこともあるので前提から成立しない。
つまり場所ではない。だとしたら「過去と未来、その全て」の浅倉透にとって「ここ」と言えるものはもう浅倉透という身体くらいしか存在しない。
浅倉透という身体にある「ここ」とは何か。いよいよ大詰めである。TRUEコミュを少し遡ってみよう。透はどの描写の後に「ここ」と「今」が「誰かのものじゃないといいな」と言い出したのか。
公園に来て同じ景色を見た時、透は世界のすべてが見えるようだと言い、プロデューサーはそれを「街中を見渡せる」と言いたいのだと解釈する。景色を見て喚起された感覚を共有できていない。だから透は本当に世界中が見えるのだと訂正の言葉を伝える。それを聞いたプロデューサーに果たしてその感覚が理解できるだろうか。難しいかもしれない。だが、透が訂正してくれたおかげで、少なくとも透が本当に世界中を見ているような感覚を憶えていることだけはわかった。すごいと思ったプロデューサーはそのまま「そりゃ、すごい」と口にする。プロデューサーと透は言葉を伝えあって、お互いが分かり合うために歩み寄る。
そして透はプロデューサーと共に笑う。共に登る誰かと通じ合う嬉しさこそが透のジャングルジムのてっぺんにあるものだからだ。
そして一連の問答に繋がるわけだが、この時透の「ここ」である「身体」の中に発生するものは何か。

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それは言葉を交わして感情や感覚を伝え合い、嬉しいと思う心、つまり気持ちである。
その嬉しいという気持ちは透にとって、過去、現在、未来を包摂する「今」において常に求め続けるものであり、忘れられないものでもある。
透が言う「今」の「ここ」とは透自身の気持ちを意味しているのだ。

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しかし、それが「誰のものでもない」のならばその気持ちは持ち主の透以外に伝わらないのではないか。
それは違う。「誰のものでもなくない気持ち」を透はかつて存在すると思い込んでいた。ジャングルジムの彼との言わずとも通じ合っている気持ち。しかしそんなものは存在せず、気持ちは結局それが内在する自分ただ一人のものでしかなかった。だから、中々完璧とはいかずとも、言葉を使ってなんとかそれを伝えようと、今の透は頑張っている。
自分一人が通じていると思い込んでいる気持ちではなく、一部分だけでも届くような、わからないということを理解できるような、そんな本当の「気持ち」があればいいな。透が「誰かのものじゃないといいな」と思った理由は、そんなところなのではないだろうか。

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光る星が無数の星に紛れて見えなくなる。
見つけられそうにないと言うプロデューサー。

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「2こめ」においてプロデューサーは透を光っているものに見立てた。「私」を見つけてよということだろう。しかしプロデューサーはもう難しいと笑う。
透のジャングルジムの思い出を共有できていないプロデューサーは本当の意味で透を見つけることができない。まだ。
プロデューサーが学生時代に透とバス停で出会ったあの日、ジャングルジムを登りきった透がどんな気持ちだったのか。
それを知るまでプロデューサーが星を見つけることはないだろう。

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透もまた、星を見つけることはできない。ジャングルジムのてっぺんで幼い透の内に湧き上がった感情を再び得るためには、幼い透から感情の因果を受け継ぎ、未来へ向かって進んでいく「今」を生きる透が、同じくアイドルというジャングルジムのてっぺんに辿り着いた時でなければならない。

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アイドルとしての活動の先にあるものがジャングルジムのてっぺんに重なるのかどうか、それはまだまだ長い透の人生にとって確実なものではないだろう。

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だか少しずつ登っている感触があるのは確かだ。登っていけば、無数の今を積み重ねた先の「いつか」に、誰のものでもないあの日と同じ自分の気持ちが待っているだろう。


その日が来るまで、てっぺんの気持ちを誰かと分かち合うために、浅倉透は同じ目的を持つ誰かとジャングルジムを登り続ける。



おわり

 シャニマスは文学ってカバオくんAAとか使って言いたくなるようなシナリオでしたね。
途中の「ここ」と「今」に関しては永井均先生の考えられた独今論というものがちゃんとあります。あんまりよくわかってないからもしかしたら間違ってることもあり得る。てか多分ある。ごめんなさい。これアップしたら本読んで勉強します。

ノクチルで透明少カバー待ってますんで高山Pよろしく



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