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サンプリングレート:浅倉透


以下、すべて所感。


 限定実装された浅倉透のPssrコミュには名前に関するエピソードがある。
土手沿いの道を歩いていた透とプロデューサーは、男の子とその母親とすれ違う。男の子は母親から「とおるくん」と呼ばれていて、透は自分のことかと一瞬の勘違いを起こして母親の呼びかけに振り返る。

透は幼い頃に「とおるくん」と呼ばれていた時期があったらしい。嫌ではなかったのか、ときくプロデューサーに透は抽象的な答えを返す。

プロデューサーは「いい音だな」と言う。首肯した透は更に発言を続ける。

この透の言葉を嚥下したプロデューサーは、自分は透のことをなんと呼べばいいのか、できればいい音で呼びたいと言う。
透は微笑みつつ、「じゃあ、透で」。

 これが、浅倉透限定Pssr【途方もない午後】トゥルーエンドコミュのあらすじ。【途方もない午後】では、様々な人物が見る”浅倉透”像、それに対する彼女の所感、自己評価が語られていくエピソードが存在する。
透の会話相手であるプロデューサーは、各々の抱く”浅倉透”が渦巻く中で、浅倉透という人間の本質を正しく掴もうと努力する。名前に関する問いはその一環だろう。

気になることがある。何故透に対する歩み寄りの姿勢が、改まってなんと呼べばいいのかをきくというやりとりによって表されるのか。どうにもぎこちなさが残る会話ではある。「色々な浅倉透像」=「色々な呼び方」という言葉遊びの意味合いだけなのか、それとも。


名前を呼ぶという行為

 途方もない午後では、名前のエピソードの他にも、もう一つ他者からの目線が主題となっているコミュがある。タイトルは「所感:がんばろうな」。

コミュリストを確認すると、コミュ3とトゥルーコミュは他の3つのコミュとは明確に区切られていて、タイトルの形式が異なっている。これは上述の通り、透とプロデューサー以外の他者からの目線が会話のテーマになっているかどうかで分けているのだと思われる。

 「所感:がんばろうな」。内容を簡単に説明。アイドルとしての活動の中で、透はその存在感を有効にアピールし、順調に仕事をこなしている様子だった。仕事の関係者は一様に透を「いい!」と言う。彼らに視えている「浅倉透」は三者三葉で、ともすればそれは勝手なレッテルのようですらあった。

若干うんざりしたかのように、透は「よくなーい」と呟く。それをきいたプロデューサーはなんと助言を送るのか。
こんな具合だ。本格的に第三者からの評価を受ける透の姿が確認できる。
つまり、浅倉透のエピソードにおいて、透とプロデューサー以外の他者からの目線が初めて直接的に意識される。今までの透のコミュを振り返ってみると、これは今回最も注目すべきポイントではないかと思う。

 初期実装の共通コミュでは、透とプロデューサーの意思疎通における試行錯誤が、すれ違いを交えつつ描かれていた。
人目を気にするそぶりは薄く、言葉が不足しがちで内心が見えないという癖のある人物として登場した浅倉透はその実、半空想化した思い出を追い求めていて、状況的には自分一人で完結しているとも言い表せる人間だった。そんな透が、思い出を構成する人物と合致したナマモノの人間(プロデューサー)と出会う。長年付き合ってきた樋口円香達幼馴染とは違い、純粋な他人であるプロデューサーとの交流、それは思い出の中の人物とのギャップを含めて、透に「わたし」ではない「他者」を知る機会を与えた。

 続いて実装されたPssr【10個、光】においても、基本的には共通コミュのテーマの反復が描かれた。他者とのコミュニケーションの難しさを知った透は、どのような視点を得るのか。端的に表されているのがバス内でのシーン。齢17にしてようやく他人を認識し始めるに至った透の変化が、他愛もない会話に紛れてさりげなく示唆されている。

 そして、ここまでの透の変化を物語の構造に反映させたものが、【途方もない午後】なんじゃないかと、個人的にはそう考えている。透が足を踏み入れた世界は芸能界であり、そこは不特定多数の人間に見られることを生業とする人々の世界だ。他人をはっきりと認識するまでの話を展開させた後に、目線を通じた他人からの干渉の話に移行するのは、テーマ的にも、物語の流れとしても納得がいく。
これは名前の会話に関しても同じことが言えるはず。
名前は、呼びかけを通じて他人にアクセスすることのできる言葉だ。改めて自分が何と呼ばれていたかを思い返す、自分が何と呼ばれたいかを考える。当たり前だけれどこれらもまた、他者の存在を前提としている。透はやっと、いろんな他人と交流することで生じる問題にぶつかる準備ができたということなんだろう。


透明感と匿名性

 透は、幼い頃はどう呼ばれようと、それら呼びかけの音の全てが自分を指しているようだったと言う。しかしこの語りは過去形であり、現在の事情はまた少し違うことが伺える。
この辺り、つい、そうではなくなった現在の方に思考が巡りがちだけれど、逆も興味深い。全ての音が自分であるとはどういう感覚だったのだろう。

 透が他者を認識するためには、自分が語る言葉の不足を自覚し、意識的な言語化のプロセスを通過する必要があった。言語化範囲の拡張がそのまま透の世界の拡張に比例している。逆に言えば、自分の呼ばれ方を考えるという、他者を強く意識する思考の形跡が、他者に対して鈍感だった以前の透に見られるとは考えにくい。
ここに、透を構成する「透明感」というキーワードを捉える切片がある。気がする。

 【途方もない午後】では、様々な第三者から見た「浅倉透」という像の存在(所感:がんばろうな)を示した後に、その像の言い換えとして「呼ばれ方」という観点が登場する(所感:)。
【途方もない午後】における「呼ばれ方」が持つ意義を考えると、透の言う「どんな呼ばれ方でも全て自分だった」という感覚は、他人が透に抱くどのような像でも、透はその全てを問題なく、疑問に思うことなく透過させていたと示すことになる。文字通りの意味の透明感。しかし、どのような像でも反映する強烈な透明感とは、一周回って、それを有する者のパーソナルな部分に靄がかかるようでもある。
実際、そう考えてみることによって、かの有名なジャングルジムの回想シーンもその例の一つとして見ることができる。プロデューサーが学生時代に、小さな子供だった頃の透とジャングルジムに登った記憶が、透本人と中々結びつかないことは、この過去の透が有するとされる匿名性が関係していると考えてみるのは、どうか。

 プロデューサーは未だに、過去一緒にジャングルジムに登った子どもを見知らぬ男の子だと勘違いしたままだ。要因の一つには、子ども時代の透の一人称が「ボク」だったということが挙げられる。一方、周到に伏せられていた設定が明かされでもしない限り、浅倉透がシスジェンダーに分類される女性であることはほぼ確実。学生時代のプロデューサーは透と相対しても性別すら正確に把握できなかったのに、しかしそのことで、何か会話に支障をきたすということもなかった。どのような像でも、それらをすべて違和感の無い「わたし」として受け入れていた頃の透が、中性的な要素を以て表されているのではないだろうか。この頃が丁度、「ぜんぶわたし」の全盛期だったと重ね合わせてみるのも面白いと思う。


必然的に透明ではなくなる浅倉透

 今の透は自分のことを「浅倉透、17歳、高校二年生、アイドルやってます」と説明することができる。「所感:がんばろうな」において他人の勝手な目線に不服そうな透を見ていたからか、このことをプロデューサーは若干ネガティブな意味に受け取っていた。

仕事をこなしていく中で出来上がる、「アイドル:浅倉透」としての像、それに対するギャップ、違和感から生じる忌避の感情。確かにそれはあるだろう。このことを透がどの程度深刻に考えているのか、いつもの曖昧な態度では、はっきりとはわからない。一方で、多少なりとも透が自分に対する周りのイメージを考えるようになったという事実は、プロデューサーが透の前に芸能界という物理的な世界を開き、その世界でいくつかの経験を透自身が経ることにより、透の論理空間が広がったという前提の元に成り立っている。
浅倉透が誰になろうとしているのか。仮に「アイドル:浅倉透」になるとして、それは何かを失くすことにつながってしまうのか。そのことをプロデューサーはよく考えるべきなのではないだろうか。

 周りの「いい!」と、透の「よくなーい」、それに対してプロデューサーはこのようにコメントを送る。結局透は「いいこと」がわからないと言うけれど、しかし透にとっての「いいこと」は、ここまでの浅倉透のエピソードに順に目を通してきたプレイヤーなら散々確認してきたはずだ。ジャングルジムを誰かと一緒にてっぺんまで登ること。登りきった嬉しさをその誰かと共有すること。それだけ。

目下のところ、登るためのツールはアイドルだと透は見立てており、実際的な登攀手段は「嬉しいことを増やしていく」。

「嬉しいこと」は【10個、光】のトゥルーコミュでも<今><ここ>の「きもち」として表され、更にそれは星に喩えられていた。

 まとめると、<今>と<ここ>における嬉しさを増やしていくことが、透の目標。そしてこれは、【途方もない午後】において名前の話題が出てきたことと深く関係している。何故なら人名の指す意味内容とは、その人名が名付けられた<いま>と<ここ>を起点にして、その都度の<いま>と<ここ>を収容し続けてより詳細に、より大きくなっていくものだからだ。名前を与えられた人物の内包もまた同じく連動して肥大化していき、その過程で人物の「唯一性」が確固たるものになっていく。

 他者を知り、認識し、そして意識する。透が辿ってきたこの道には、他者との境界線をはっきりとさせることで自分を再認識するという意味も含まれている。
そして、再認識した「浅倉透」に「嬉しいこと」という<今><ここ>が蓄積されていくと、呼びかけられる音の全てが「わたし」だった時期が完全に終わる。<今><ここ>の蓄積は透の個の確立を強め、更に他者の存在を浮き彫りにしていく。
結果、今の透は、他人が自分に抱く印象や評価に対して「それは本当にそうか?」くらいは考える人間になった。

 どんな像でも反映するような透明感は影を潜め、透は色を手に入れる。プロデューサーは、透が本人の望まない誰かになってしまうのではないかと心配していた。しかしその実、透は今まさに紛れもない「浅倉透」になろうとしている最中なのかもしれない。


個人主義な浅倉透

 明確に透の負の沸点にメーターが迫ったと見られる描写は、今のところWING編プロローグでプロデューサーが若干強硬気味にスカウトを実行したシーン以外に存在しない。ただ、透は個人の気持ちや選択を尊重しないような人、状況には、わりとすぐに疑問を呈す。時には過激な行動に出ることもあった。

 イベントシナリオ「天塵」より番組収録のシーンにて。自分以外には目もくれない番組スタッフ。一曲通しで歌うときいていたのに、実際には音源アリの口パクという内容。あとさらっと小糸dis。状況を重く見たのか軽く見たのかはわからないが、透は本番ぶっつけで「ほたるこい」を歌うという暴挙に出る。ついでに直前に円香と雛奈も焚き付けている。

 透の個人への尊重は他の箇所にも表れている。天塵の別シーンでは「アイドルとは何ぞや。画一化されたアイドルという概念には明確なルールがあるのか」とでも問うているかのような疑問を浮かべていた。

また、【途方もない午後】では喫茶店で注文した料理に乗っていたナスタチウムを前にして「食べられるのかわからないが男らしく食べる」と言ったプロデューサーに質問を投げている。(余談だが、カフェ飯ってどこで何頼んでも大体洋風精進料理的なのが出てくる気がする)

 個人を尊重する透のスタンスは一貫している。【途方もない午後】の別のコミュでは他人からの評価に対して思うところがあったようだが、やはりアイドルが持つとされる価値にある種のパッケージングのようなものを感じているのだろう。

 ひとつ前の項で上述した通り、内包が豊かになると他者の存在がさらに強く浮かび上がるようになるが、それはまた、外延の拡張を意味することにもつながる。実際、透はアイドルとしての活動を通して関わる人々の範囲を広げた。そして、広げたことで知り合った人達から、透は様々な視線に晒されている。他者の問題は今後も常に透に付いて回ると考えられ、これはアイドルの立場に腰を据える以上避けては通れないものだ。ノクチルの4人には共通して言えることだが、アイドルの世界の中でいかに同一性と折り合いをつけ、距離を取っていくのかが肝要となるだろう。


音が音をおいかける

そうは言うが、透明だった透に色を挿したのはある意味、アイドルの道に透を引き込んだプロデューサー自身だ。透がこの先どのような色をその身に浮かび上がらせるのか、彼にはそれを見守る責任があるし、安易に変化を危惧するべきでもない。
反して、プロデューサー自身は透への自分の影響力を過小評価する傾向にあり、及び腰になりがちだ。しかし、彼の介入の必要性は【途方もない午後】でも、先日イベント報酬という扱いで実装されたPsrカード【まわるものについて】でも示されている。

透と会話をする時のプロデューサーは大抵のシーンにおいて、心の内に漠然とした懸念を抱えている。何を考えているのか、本心はどこなのか、別の誰かになることを嫌がっているんじゃないか、いつの間にかどこか手が届かないところに行ってしまうんじゃないかetcetc…
透がアイドルを続けることで達成しようとしている目標の十分条件を理解していないからだ。しかし、これは透自身ですら一時期まで気づいていなかったのだから無理もないかもしれない。

【途方もない午後】の1シーンでは、プロデューサーは自分が透に近づいてしまったことで彼女が気持ちよく感じていた風を止めてしまったようだ、なんてとエキセントリックな気の病み方をしていたけれど、透は去ろうとするプロデューサーを「止むことになってたんだから、いなよ」「なんか未来が書き換わるっぽいことやって」と引き留めた。止んだことを透は後悔していないし、更なる未来の変化を望んでいる。

【まわるものについて】でも、プロデューサーはどこかに行こうとしている透を自分が追っている、所謂一方通行の関係性を感じて不安げな様子だった。
が、もちろん透にそんなつもりは更々無く、実際はこうだとでも言わんばかりに彼女が理想として見ている相互扶助の関係が「まわるもの」として登場した。

このように透はいつでもプロデューサーからのアクションを受け入れるつもりでいる。しかしお互いがお互いを追いかけたとしても、メリーゴーランドは回り続けるため、追いつくようで追いつかない。「まわるもの」で表される二人の関係は見ようによってはマイナスの意味合いを孕むかもしれない。今でも透との距離感を計りかねているプロデューサーと、ジャングルジムでの気持ち、自分が普段口に出し損なっている気持ちを抱えている透。
けれど、この回って追い続ける関係を【まわるものについて】は否定しない。それはやっぱり、【途方もない午後】における「音」という言葉の持つ意味合いが加わるからだと思う。

 もう一度振り返って、【途方もない午後】の終盤。プロデューサーのなんと呼べばいいのかという質問は、自分は本当に「浅倉透」を捉えることができているのかという確認でもある。それに対して透がプロデューサーからの呼び名に選んだ名前は今までと変わらない「透」だった。
「とーる」という呼び声を、透は「良い音」だと形容する。かつてのように全ての音が自分だとは感じなくなった彼女が、今でも自分の像の表れだと感じられる音。「てっぺん」を目指すためにアイドルになった彼女を、一番近くで見ていたプロデューサーが呼ぶ「とーる」こそが、今の透には一番しっくりくる音だということ。
そして透を「てっぺん」へと誘った人物は、今も、過去の公園においてもプロデューサーなのだから、今更言うまでもないことではあるけれど、やはり彼は浅倉透という人間に積極的に関わり抜かなければいけない。
共通コミュと、【10個、光】を経て形成された「透」という名前に収容されていく<いま>と<ここ>を、嬉しいことで満たしていくためには、彼女の<いま>と<ここ>に彼自身が介入していく必要がある。プロデューサーがいない状態でアイドルの道を進むことなど透は端から望んでいないし、「嬉しいこと」で道を舗装していくことも不可能に近いだろう。

 【途方もない午後】における名前は、その人物の像であり、名前を呼びかけるとは相手の像を見ることでもある。だから「良い音」で名前を呼ぶために必要な手順は、相手のことをまっすぐに捉えて、呼びかけることだ。
その実践が、「まわるもの」に合わさることによって、2人の「まわる」関係が肯定されていく。

 【まわるものについて】の終盤。メリーゴーランドに乗って回る透とプロデューサーは、場面の転換に合わせて、CDの盤面に刻まれたオーディオデジタル信号に置き換わる。プロデューサーが透を追うように、透もまたプロデューサーを追っている。だから透は、プロデューサーを思い出の中で醸成された架空の人物と重ねることをやめ、本人を見据えて気持ちを伝えることを選んだ。そんな彼女にプロデューサーが同じだけの気持ちを返すには、透のように「鳴ってる感」を重視するしかない。2人を意味する「音」は【途方もない午後】と【まわるものについて】を繋ぎ合わせて、呼びかけるという行為が再提起される。

伝える努力をしなければ始まらないという気づきが透とプロデューサーの本当のスタート地点だったのだから、それを悟った彼女がプロデューサーのことを「信じる」と口に出すように、プロデューサーも臆さずに「とーる」と呼びかけるべきなのは当たり前だ。
お互いを呼びかけ合い、二人三脚で嬉しいことを増やしていく。
「音が音を追いかける」とは、そうやって関係の円を描いていくことなんだろう。


名前を呼べない樋口円香

シナリオをマクロな視点で見れば、浅倉透を「とーる」と呼びかける人物は彼女にとって多少特殊な立ち位置に居る人物だと言える。そして、プロデューサーと透の母親以外にもう一人、作中で透を「とーる」と呼ぶ人物がいる。というより、正確には、過去そう呼んでいた時期が確かにあり、そして今は呼び方を変えたということが確認されている人物。

こいつ230連しても出てこなかった。


そんなことはどうでもよくはないけどどうでもいい。まったく。
樋口円香。彼女は普段透を「浅倉」と呼んでいる。しかし、本人がいない場所や、彼女自身のモノローグでは「透」と呼んでいることは、既に有名な話だと思う。

幼少期には透をそのまま「とおる」と呼びかけていた描写も存在する。

透の側も同じで、彼女は円香のことを幼少期は「まどか」と呼んでいたのに、現在は「樋口」で一貫している。
既にプレイヤー間でも散々このことは話題になったけれど、【途方もない午後】における「とーる」という音が持つ意味を考えると、この変遷は余計に不可解に思える。
透が「なんでも私だった」と感じていた時期には「とおる」と呼んでいたのに、「透」が確固たる「わたし」になりつつある今の透に対して、円香は「とーる」という「いい音」で呼びかけることはない。幼馴染で、アイドルになった透を心配して追いかけるほどに思い入れを持っているにも関わらず。

そんな状態で最近になって実装された【UNTITLED】という円香のSssrカードのコミュでは、今までよりも少しだけ詳細に、円香の透に対する考えが明かされることになった。やはり透に対して一家言あったようで、モノローグ内にてはっきりと「私だけは浅倉透を知っている、わかっている(要約)」と言う描写があった。

では。
では本人が思うように、樋口円香は本当に浅倉透のことを理解しているのか、という命題。たしかに円香が、透が言おうとしていることや、やろうとしていることを先んじて予測する、という描写は今までにも多く見られた。

透と円香がお互いに名前で呼ばなくなった理由が明かされていない以上、これに関して何を言っても完全な妄想にしかならない。
なのではっきりとした言及は今は避けようと思う。
ただ、普段人が他人と会話をする時に、相手の発言内容をどの程度理解しているのか。同じ人間と繰り返し会話をし続けると何が変わっていくのか。
そして、浅倉透がアイドルになり、それから彼女が辿ってきた道が孕んでいたテーマ。この辺りを考えると、うっすら見えるものがあるような気もする。

現時点で確実に言えることがあるとするなら。それはプロデューサーが浅倉透を、今に至っても理解しているわけではないということだけだろう。



後記・雑記

天塵とノクチル勢のwing編個別コミュの時系列をどう整理するかという問題。個人的にはWINGシーズン1終了→天塵→WINGシーズン2以降が妥当だろうかとぼんやり考えている。ハウ・アー・UFOは天塵とシーズン2以降に挟まるか、天塵で描かれた夏祭りの直前辺りか。


ノクチルは透→雛奈→樋口→小糸ちゃんの順に好きです。



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