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新年になった。地震。

今日からためしにnoteを使ってみる。大体、新年というのはなにかと「決意」しがちで、そして大概それは三日間のうちに収束するため、また次の年を待たなければならないという運命をたどりがちなんだけど。そういうのを永劫回帰みたいに繰り返しているんで、逆に年始になったらなにか新しいことなんか始めるもんか、という意固地さがここ数年はあったのであるが、まあ、もう余生もいくばくもない、ダメならダメでいいじゃんということでとりあえずトライを。

その「余生」ということを考えさせられることが元旦からいきなり起き。齢というのは自然死を必然化させるのだけれども、命が断ち切られるのはそういうことだけではないのは当然のことで。2024年1月1日16時06分石川県能登地方を震源とする地震。運悪くつれあいが次女を連れて直江津に帰省しており、昨日の17時頃、部屋で瞑想後、呑気にテレビのスイッチをつけてみたら津波警報がビービー鳴りわたって愕然としてしまった。心臓バクバク。スマホに手を伸ばしてみたら、あらら、つれあいからラインのメッセが入っていて、「今日帰れなくなった」とのこと。そりゃそうだ。津波を起こすほどの規模の地震、交通網はマヒだろう。しかし心配。電話は全く通じない。何度かこちらからメッセ入れると、しばらくしてから返信あり。中学校の体育館に避難しているとのこと。ケガも無しとの報にとりあえずほっと。しかし、東京からは現地の状況がよく見えない。

これは2011年3月11日の東日本大震災のときもそうだったんであるが、まあ、あの時は揺れが東京に届いていたものの、当初はあそこまで現地が壊滅的な状況に陥っているとは思わなかった。高を括っていた。テレビやラジオではリアルタイムの一端しかわからない。しかし、リアルタイムで情報が伝わってくればいいかというと、そうも言えないのは流言飛語の例を出すまでもなく。今回もなかなか伝わらない状況にいら立ち、Twitter(新X)にかじりついてしまったのであるが、時を経るごとにFAKEが増えていくのが手にとるようにわかった。もちろん現地のリアルを知ることもできるのだが、ノイズが多くなっていく。その点、マスコミは大概慎重に確定した情報を伝える。一長一短である。

とにかく、こういう時は情報に心を乱される自分を一番対象化しないとならないわけで。

余震が続いているので、まだ全然安心できないが、とりあえず落ち着くことが責務だな。今日になって石川県を中心に被災の様々な情報が入ってきた。亡くなられた方の数は今後増えていくだろう。家屋やインフラのダメージも相当のよう。つれあいと娘、親族も含め、被災に遭われた方々、本当に大変で、今後の無事を心から祈るのみ。

こころがざわめき、大揺れで始まった新年。で、先ほど触れた「余生」への意識が書いてみようという動機にリンクしたのであるが、とりあえずスタートなのでまたおいおい駄文を書き連ねてみることにしよう。
noteの機能さえまだよくわかってない還暦直前中年男だからね。
よろしくお願いいたします。

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