「練習」してる?
レッチェでの1ヶ月間も終わり。
そこで出会ったフランス人、トルコ人、アルゼンチン人、ポーランド人、イタリア人、イギリス人、オーストリア人、リビア人、ハンガリー人、イラン人と暮らしたシェアハウスは賑やかで楽しかったです。
しかしながら思い知らされたのが、やっぱり言葉をうまく使えないことに対するもどかしさ。
イタリア語がまだ話せないのは良いとして、子供の時からかなり時間をかけて勉強してきたはずの英語がほとんど話せないのは致命的。
たどたどしいイタリア語で初対面の人に話かけると必ず言われます。
「英語は話せないの?」
そのたびに中学校で最初に習った「A little」を答える恥ずかしさ。
もっと中身のある、というか使える英語を勉強をすればよかったと後悔しています。
今、ふと思ったのが「練習」についてです。
約1月前W杯がカタールで開催されました。
日本は大金星でスペインに勝利し、ベスト16に進みました。
しかし決勝トーナメントではPK戦で3人外してクロアチアに敗れました。
同じく決勝トーナメント1回戦のスペインvsモロッコもPK戦で、スペインが3人外してモロッコに敗れました。
決勝のアルゼンチン対フランスもPK戦でした。
この時スペインは1000本ものPKをW杯前に練習したということです。
日本やスペインの敗退を受けて、元日本代表の本田圭祐はPK戦についてこのようなことを語っていました。
プロともなると、PKの成功・不成功はほとんど運で決まる。
その上で成功のイメージを持つために、練習も必要であるが、それは練習の「数」ではなくて「質」である。
ここでいう「質」というのは1回の練習においてどれだけ本番の状況を想像できるかということです。
つまり、何でもない場所でPK戦の練習をする場合も、本番さながらの状況を想像する。
自国の何万何億の民の期待を背負い、失敗したらあらゆるものを裏切ることになり、あらゆるものを失ってしまうかもしれない可能性がたった1回の自分の蹴りにかかっている。
その状況をいかに想像できるか。
むしろそんなこと想像できる人いるのでしょうか?
それを考えたら1000本のPK練習っていったい何なんだろうと思ってしまいます。
話を戻しますが、僕は子供の時から英語を、このヨーロッパで皆と会話する二度とないかもしれない機会の為に練習して来なかったんです。
なんとなく1000本のPKをだらだらと練習していたんです。
(もちろんスペイン代表の選手達はしっかりと練習したと思いますが)
練習は本番の為にするものではあるが、実は練習も本番であるということを頭に置いておく必要があるでしょう。
よくよく考えると当たり前のことなのかもしれませんが、自分を戒める為にも改めて言葉にする必要がありました。
僕自身は、英語学習での失敗をイタリア語学習に生かさなければなりません。
日本人が英語を勉強しても話せないと言われがちなのは、言語構造上の大きな違いの面もありますが、ただ単に英語を使う場面が少なすぎるからだと思います。
運よく僕はイタリアに居ますので、どうしてもイタリア語を使わざる得ない状況にはいます。
その上でさらに早くイタリア語を身につけるためにどうしたらよいか考えて実行しなければなりません。
料理に関してもそうです。
ただ何となく作っている日々の食事や賄いを、お客様に提供するものとしてだせるか?という意識が必要だと思います。
レッチェの後はローマに向かいます。
今後南イタリアを訪れることはしばらくないでしょう。
プーリア州、貴重な体験と美味しい食べ物を授けてくださって本当にありがとうございました。
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