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わたしのキャリアから紐解く自由な働き方

#はたらくを自由に

に乗っかってみようと思う。
はたらくを自由にというテーマ。私自身ははたらくことが大好きだし、様々なものから自由になるために、はたらいているのかも知れない。

私がフリーランスになったのは32歳になる年。2007年。そもそも社会人になるにも紆余曲折していて、音楽のプロを目指してみた期間が2000年くらいまであり、その間はアルバイトや契約社員だったので、正社員としての経験も5,6年くらいかな。

超氷河期で縁故での就職に失敗したことで、わたしは親から自由になった。父はとても力不足だと辛そうだったけれど、あのまま縁故で就職していたら私は「父に迷惑をかけないように」と仕事も辞めづらかったであろうし、常に父を意識したまま仕事をしなければならなかっただろう。就活に失敗した直後はショックだったが、その後すぐプロの音楽家になろうと意思決定できたことは自分でもよかったと思う。(親の説得のために家出したり、いろいろ大変ではあったが)

そう考えると、わたしは就活に失敗してからずっと自由だ。もっと遡ると大学受験に失敗したことにより、小学校教諭の道を諦めたので、今、考えると、あのまま教師になっていたら、心が病んでいたくらい私は弱かった。

大学受験の失敗と就活の失敗がわたしのキャリア、働くことを自由にしたとも言える。周囲との比較をしても明らかに失敗しているしw、新卒同期なんてものはいないので、人の目が気にならない、開き直りの人生になったから。

それ以来、転職にも抵抗がなく、行きたいと思った企業や仕事が出てきたら、その1社を1択で決めてきた。転職は行きたい会社に全て入れている。そんなものである。就活のときの失敗って一体なんだったのかと思うと、「自分が全くない」「意思などない」自分だったからだ。ただそれだけ。

会社員ではやりたいことがやれない。キャリアコンサルタントという職業で食べて行きたいと思ったときには、もうフリーランスになるしかなかった。いろいろな意味で自由になった。経済的に不自由になるかも知れない怖れよりも、やりたいことをやるという気持ちが勝った。親の反対も振り切れた。もう30代で一人暮らしもしていたので、金銭面で迷惑をかけない約束をして、独立した。

パワハラやセクハラに合ったこともあるし、なかなか成果が出せずに苦しんだこともあるけれど、心が折れなかったのは、「いつでも辞められる」「いつでもやり直せる」ということを持っていたから。そういう自分であるために、音楽の道を諦めた時から、猛烈に勉強したり、行動したからだ。とにかく目の前のことをやりきるために本を読み、人に教えを請い、トライアンドエラーを繰り返した。

30代からは自分のスキルで生きていけるようにと。そのときはワーキングマザーになるつもりだったので、時短になってもプロフェッショナルな仕事をやれるようにという想いだったのだけれど、ワーキングマザーにはならなかったけれど、フリーランスで生きていけるようになった。

それ以来、誰かが仕事で苦しむ社会にしたくない、会社に縛られずにキャリア自律できる支援をしたいと思い、キャリアコンサルタントという仕事をしてきた。個人の方に向き合う中で、企業側、組織側のマインドチェンジも必要だと、組織開発の支援も研修などで行ってきた。

その30代の経験が、今の世の中の流れに沿っているので、今でも仕事がちゃんとまわってくる。なんとなく自分の直感やこれから社会に必要になることって感じられる。これも本をたくさん読んでいることと、常に尊敬している人たちの元に学びに行っているからだと思う。

二拠点居住という言葉も知らない頃に、そうなっていたし、それも友人たちがだんなさんの地方転勤や海外転勤で仕事を手放すのを見ていて、これからは女性こそ、フリーランスで働いて、どこに行こうが仕事ができるスキルが必要なのではと思っていたこともあり、私も夫(前の夫)の転職で伊豆高原に行くというときに、自分がまず試そうと思って喜んでついてきたのだ。地域で何かしようというよりは、自分のキャリアを中心に考えて地方移住している。

地方移住する中でまわりの友人たちが都会とは違う悩みで悩んでいることを知り、地方にはまだまだ自分の関われる余地があるのではと感じ、コミュニティスペースをつくり、いろいろなコンテンツを提供し続けてきた。その結果、もっと行政と一緒に動けると広がると感じて、官民協働に興味を持ち、行政と関わるようになった。

一見、行き当たりばったりに見えるわたしのキャリアなのだけれど、意思決定するだけの情報収集を常にしているし、学びに行く。学びに投資した金額はたぶんものすごい金額だと思う。稼いだお金は再投資。自分にも周りにもお金はどんどん使う。そうすると入ってくると信じているw.

はたらくを自由に!というのは、様々な他者が決めた価値観から自由になることなのでは?と思う。石の上にも3年とか、親のいうこととか、まわりの視線からとか、そういうものから自由になれると、必然的に自由な働き方を選択できるようになる気がする。

わたしも様々な失敗経験をしたことにより、他者とは比較の土俵にもあがれなくなりw、新しい生き方、働き方を選択することになったし、そのことでものすごく楽に自由になれたと思う。(うちは弟は大企業1社経験、妹夫婦は地方公務員、親は銀行員だったので、私の生き方はなかなか異端児)。

ここ数年も離婚やがんになったりとか、相変わらず神様はチャレンジを与えてくれるけれど、これまたこれをきっかけに、やりたいことが出てくるので、本当にわたしのはたらきかたって自由だと思う。

まぁ、12年半はフリーランスで食べられているし、好きな事に投資するお金も、好きなものを買うお金も稼げているので、経済的にも自由である。

自分で自分を縛らない生き方、働き方が、はたらくを自由にということの本質なのかなと改めて書いてみて思った。あまり参考にならない生き方かも知れないが、相談に来てくださる方の可能性は信頼できる。誰しも自由に生きる、働く権利があるのだ。

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