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災害支援に関わり始めて

7月3日に起きた熱海伊豆山土石流災害からもうすぐ3か月近く経つ。いまだおひとりの方が行方不明のままで、捜索活動と復興支援の間で大きな判断ができないことも多い。

私自身はまず自分が帰宅困難者になったことから始まり、夫の実家、親戚宅が被災し、避難所へ。夫のふるさとである伊豆山岸谷(きだに)地区が大きな被害を受けました。夫は行政職員なのですぐに災害対応の任務に就きました。

私はというと、家に帰れない間は友人の宿に泊めてもらったり、熱海を離れて自分自身の親と過ごしたり、経営者ゆえ仕事はし続けなければならなく、2週間くらいはあわただしくて記憶が薄いです・・・。

その後、NPO法人カタリバさんとのご縁から、子どもたちの居場所支援を裏方でお手伝いしながら、8月には当社のシェアオフィスのフリースペースを中高生に開放する熱海youthloungeを開設しました。

そんな中、シェアオフィスの部員さんにボランティアセンター主催の支援団体の情報交換会がありいろいろな情報が集まるということを教えていただき、8月下旬から参加し始めました。熱海内外の災害支援の団体さん、ボランティア活動団体さんがいらっしゃり、どんな支援を行っているのか、どんな支援をしたいのか、被災者、避難所の状況はどうなのかと情報交換の場でした。

9月が近づくある日、ボランティアセンターの方々から「そろそろこの会自体も熱海の団体が運営していってほしい。外部の団体はいつかはいなくなる。ボランティアセンターもいつかはなくなる。熱海の団体で担ってほしい。」という話が全体になされました。

1週間後にもまた同じ話となり、伊豆山の地元の友人から「めぐちゃん、やったらいいよ」と声をかけられ、腹を決めてボールを取りました。気が付いたら「わたし、やります」と言っておりました。

そこからボランティアセンターの皆さんへのヒアリングや会の運営の引継ぎ、市役所のいくつかの部署に対して、「今、何が起きていて、何が課題になっているか」をヒアリング、ここ数週間はとにかく情報収集に時間を割き、本質的な課題は何か、何に取り組めばいいのか、この場はどういう場に発展させるべきなのか、一緒に運営メンバーとして立ち上がってくれた仲間と話をし続けました。

いろいろ課題はあるのですが、何よりも「情報」や「現状」が集約されておらず可視化されていないため、非効率であったり、コミュニケーションロスが発生しもめ事が起きたりしていることから整理せねばと自分なりに役割を見出しました。

緊急時は情報も錯綜しますし、目の前で自分の意志で判断して動かねばならないことが多いと思うのですが、誰か客観的に俯瞰して情報整理することが大事であると思うのです。私自身は現場で何かの活動をしているわけではないので、自分が俯瞰して情報をなるべくリアルタイムで集めてみようと今、取り組んでいます。

いろいろな地域の災害支援のプロの皆さんから教えてもらっていることと、もともと熱海の地域で動いてきている公民連携だったり、まちづくりの知恵を今こそ活かすときだと思っています。

目の前に起きる様々な問題と同時に、コロナ禍+災害という大きな出来事により揺れるこの街を、より幸せに、より豊かに生きられる街にすべく、視界を広げ、視座をあげて仲間たちと知恵絞って前に進んでいきたいと思います。

夫の家族、親戚も徐々に避難所からみなし仮設住宅へ引っ越ししています。来月からは少しは落ち着くといいな。

いやー初めてやることだらけで頭の中がいっぱいいっぱいな日々ですが、こういうときこそ一人で抱えずシェアしながら進んでいきたいと思います。



2021.7.3の熱海伊豆山の災害により、コロナ禍であることも含め、熱海で働く若者たちの環境はより悪化していきます。そんな若者の自律支援にいただいたお金は使わせていただきます!いつもサポートありがとうございます!