なぜ、「どのように」よりも「なぜ」のほうが、研究の問いにはふさわしいのか?
SNSで研究者を名乗る方のアカウントが、リサーチクエッションは、「どのように」よりも「なぜ」で立てるべきと説かれていた。なぜ、そのような主張をするのか、疑問に思った。それなら考えてみよう、それが今回の内容である。
とはいえ、そもそも本当に多くの研究者は、「どのように」ではなく「なぜ」という問いを立てているのか疑問を持った。
まずは、実態がどうかの調査である。調査と呼べるほどしっかりとした調べ方をしたわけではないが。何をしたかというと、手元にある学術書を確認することである。ジャンルは、人文系である。複数の人が文章を寄せて作られた形の学術書を選んだ。簡単に、多くの事例を集めたかったからだ。
その結果、多くの論考は「なぜ」という問いを立てていた。一方で、「どのように」という問いを立てている論考も少数派だが見受けられた。比率は8:2くらいだろうか。
このことから、「なぜ」が問いの主流になっていると言えるだろう。ただし、分野による違いがあることは否定できない。今回はさまざまな分野を、広範に調べることはできていないし、私に調べる余力はないからだ。
では、なぜ、「なぜ」という問いが「どのように」という問いよりも使われているのだろうか。以下では、自身の見解に基づいて述べていきたい。
まず、「どのように」についてである。私は、その分野・領域に対して十分な質・量の知識を持ち合わせていないから、「なぜ」ではなく「どのように」という問いを立てるのではないかと考えている。知識不足ゆえ、ピンポイントの問いを立てられないのである。「なぜ」と「どのように」を比べると、「どのように」は曖昧な表現ではないだろうか。
なお、ここでいう「十分な質・量の知識」とは何かについて触れておきたい。それは決して教科書レベルの知識ではない。少なくない数の文献を批判的に、考えながら読まなければ、到達できないようなレベルの知識であると考える。先生方とお話をしているとよく聞く話だが、修士2年の夏休みまでまともなリサーチクエッションが立てられなかったということが多い。それだけ問いを立てるという営みは難しさを孕んだものなのであろう。
一方の「なぜ」について。わからないこと、明らかにしたいことが明確で、それを具体的にすることができているという状態なのだと思われる。
「なぜ」という問いを立てるためには、何をすれば良いのか。それは先ほど述べた内容を踏まえれば、以下のようになるだろう。少なくない時間とリソースを割いて、関心に対する理解・知識を深めていくこと、と。
自身の研究にも還元していきたい。