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幸せの基準値は低い方がいい

幸せの基準値は低い方が何かとお得だ。

現代はネットによって人と比較することが勝手に増えてしまったがために、身近なあの人や会ったこともないあの人、やたらといろんな人と比べることをSNSを通して無意識にしているために、自分の生活と比べて落ち込むことが多いようだ。
不幸だなぁと思う。

SNSはうまく使わないと単なる“落ち込むためのツール”になってしまいかねないので使い方は注意が必要だなぁと思う。

さて、少しよこみちにそれたが、

今日のトピックは“幸せの基準値は低い方が何かとお得だ”という話。


幸/不幸って紛れもなく自分の中のモノサシで決めているのだけど、
幸せの基準値が上がりすぎている人が多いように感じる。


あの人みたいに、お洒落で高いランチを食べてない自分は不幸なのか。
あの人みたいに、幸せな結婚をして子供を持てない自分は不幸なのか。
あの人みたいに、細くて可愛くない自分は不幸なのか。
あの人みたいに、バリバリ働いてキラキラしていない自分は不幸なのか。

他人軸や一般的な“幸せ”像は幻想だし、そればかりが“幸せ”じゃない。


自分らしく、日々自分の小さい楽しいを追求できればそれは“幸せ”じゃないか。

自分のために、ゆっくり休む。
自分のために、ゆっくり読書をする。
自分のために、好きな音楽を聴く。
自分のために、ゆっくりあったかいお風呂に浸かる。

普通の毎日は、よくよく考えるととてつもなく“幸せ“のオンパレードだ。

作りあげられた他人の“幸せ”を見せつづけられて、それに慣れた現代人は、あまりにも自分の“幸せ“に対して不感症すぎるなぁと思う。

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自分がこのことについて書きたいと思ったのは、この曲がきっかけ。

食品添加物–SUSHIBOYS

君は本来の味も忘れて
調味料をかけられて
みんなと同じ色になって
食べやすくなっていくね
ガムに味はないけど噛み続ける毎日
幸せの基準値上がりすぎたこの国
甘み苦味あるのに 慣れた舌じゃ感じない
味がなくなってたのは 自分の方だった
自分が肯けること常に続けてる
しない他人のせい 人生のレシピなんてねぇ


SUSHIBOYSは私の好きなHIPHOPグループなのだが、リリックは現代社会や幸せ常識とかを結構多く取り上げてて、音も好きだけどリリックを深く刻みながら聴くのも良い。
“聴く哲学”って感じだ。
誰とも同じじゃない、オリジナリティがかなりある。

年齢が同じで、同じ時代を生きてきたからこそ、リリックに深い共感だったり考える機会をもらったりして、何度も彼らの音楽に救われてきた。

HIP HOPなので好き嫌いありそうだけど、
良い曲が多いのでぜひ聴いてほしい。

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