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僕に影響を与えてくれた人や環境の話

僕の走りや陸上競技への向き合い方に影響を与えてくれた人や環境の話をしようと思います。

最近走っていると練習の組み立てや走りの意識に、かつて僕に指導してくれたコーチや顧問の考え方、環境の影響が多少なりとも反映されている気がして、そんな時、あぁ僕はあの人にちゃんと教わっていたんだな、と感じるのです。

弱小陸上クラブ時代 〜走ることは楽しい〜

僕は小さい頃から走るのがそれなりに得意でした。兄が乗っている自転車をいつも走って追いかけていたからかもしれません。そんな僕は、母の「走るのが速けりゃどんなスポーツにも活かせる」との考えによって地元の弱小陸上クラブに入会します。練習は2週間に1回。コーチもそこら辺にいる少しだけ陸上をかじったことのあるおじさん達。一丁前に大会には参加していたけれど、予選を突破できる選手は皆無。そんな環境でした。

練習はただ走るだけでも、専門的な練習をするわけでもなく、今考えるとほとんど遊び。誰かを追いかけたり追いかけられたり、何かを投げたり投げなかったり。本当に楽しい時間を過ごしていました。

今思うと陸上競技の練習を遊び感覚でできるってのは何にも変え難い強みで、楽しく練習を継続できる能力を身につけてくれたのは小学生時代のコーチだったんだと思います。

特にガンダムオタクのMコーチのことが大好きでした。余ったガンダムウォーのカードをたくさんくださり、ありがとうございました。

顧問不在の中学時代 〜どんな環境でも強くなれる〜

弱小陸上クラブで走ることを楽しいと感じていた少年いとうりは、地元の公立中学に進み陸上部に入ります。

入部してまず初めに驚いたことは、顧問がいなかったということ。いや、形式上はいたんですけど、練習にも大会にも出てこなかったし、色々な手続き関係は部員の保護者が手分けしてやっていたような気がします。お母さんたち、本当にありがとう。

そして、次に驚いたのは部員が少なかったってこと。入部したての頃は、3年の先輩が2人、2年の先輩が1人(いわゆる不良で練習には来ない)、同期は僕を含めて3人しかいませんでした。同じ陸上クラブに通っていた友達、他にもたくさんいたのにな(ちなみに学年が上がっても部員数が少ないという問題は解決せず、中学時代は1回もリレーを組むことなく引退となりました)。

さらに、驚いたことは練習スペースがめちゃ狭かったってこと。グラウンドの端っこを使わせてもらっていたのですが、他に野球部、ソフトボール部、サッカー部、ホッケー部が練習していたこともあり、陸上部が使えるのは2-3レーンの長くて50mくらい。それでも各方向からボールがひっきりなしに飛んできていました。

こんな環境だったので、限られた練習環境の中でどうすれば速くなれるのか、自分で考えてやっていくしかありませんでした。このときの経験のおかげで、自分で考えて練習を組み立てていくことや、練習はいつどこでもできるんだという感覚が身についたんだと思います。

さらに運の良いことに少年いとうりは、中学3年の最後の大会で初めての100mで12秒を切り、県大会進出を達成します。自分で考えて努力して結果が出るという過程の楽しさを感じた初めての瞬間でした。この快感を味わいたいがために今でも走っているのかもしれません。そして、こんな結果がでなければ高校で陸上競技を続けていなかった可能性もあり、(まさか30歳になってまだ走っているとは!という意味でも)大げさに言って人生の転機だったのかもしれません。

飛躍の高校時代 〜陸上競技の本質に触れる〜

中学校で自分に若干の可能性を感じてしまった少年いとうりはほんの少し陸上の強い高校へ進学し陸上部へ入部します。

入学した高校の陸上部の顧問A先生は投擲のプロフェッショナル(とある有名大学の10傑に名前が入ってるくらい)で、本当にいろんなことを教えていただきました。競技への向き合い方から、単純な身体の操作や力の入れ方、伝え方といった基本的な技術。たまにお手本を見せてくれるのですが、それが本当に洗練された動きで、見ているだけでとても勉強になりました。きっと僕の身体の動かし方や身体を操作する際の意識の仕方はここに根付いたものなんだと感じています。

中学のころから自分で考えて練習してきましたが、より深く考えられる知識を与えてくれたし、見て学び実践して修正するというプロセスをひたすら繰り返す必要があること、技術を身につける前に健全な身体と心が必要であること。そんな当たり前ですが、忘れがちなことを教えていただきました。ありがとうございました。

高校2年までパッとした成績を残すことができなかった少年いとうりですが、3年の夏には初めての100m10秒台(追参)と100m個人でブロック大会進出を果たしました。余談ですが、ブロック大会進出を決めたレースの少し前に4継でバトンミスしてメンタルぐちゃぐちゃなところ、気合入れ直してくれたのもA先生。勝ち上がっていくことの面白さを教えてくれたのもA先生でした。


結局、大学(院)でも競技を続けて自己ベストを更新できました。そして社会人になっても走り続けられているのは、僕に色々教えてくれたみなさんのおかげ。もう、これから先どんなに良い記録が出たとしても、それは自分の力だけで出した記録ではないんですよね。みなさんの指導が血肉となり、どうしたって結果に昇華されてしまう。今度ちゃんと挨拶しに行かなきゃと思います。

それではみなさん、良い練習を。

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