どう森でカツアゲされた私が思うこと


子どもの頃はいじめられっ子だった。
とはいえ、小学校低学年の頃だからそんな過激ないじめではなく、仲間外れとか嫌がらせに近いようないじめだ。一緒に遊んでくれる子たちに時々仲間外れにされる、嫌なことを言われる、例えるなら”のび太”タイプ。

「これは3人用のゲームだからのび太は入ってくんな〜」とスネ夫に言われる、のび太のようなポジションの子どもだった。

内気すぎて言い返すことがまるで出来ず、意地悪な出来心のはけ口にちょうどいい奴だったんだろう。


その時のことを時々思い出しながら大人になって、記憶は確実に薄まっていくけれど今でも忘れられないものもある。その強烈な思い出たちのなかでゲームに関連したものが割とあるということに最近気づいた。

今日は私のいじめられっ子エピソードの中でも印象深い「どう森カツアゲ事件」について語りたい。

DS全盛期


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引用元https://www.nintendo.co.jp/ds/(サイト行ったら生産終了してたね)

私が小学生の頃、任天堂のDSシリーズが全盛期だった。放課後に遊ぶ時はとりあえずDSと流行りのソフトを持って行っていた。そのソフトに「おいでよどうぶつの森(以下どう森)」があった。

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引用元https://www.nintendo.co.jp/ds/admj/


マリオとポケモンも人気だったけれど現実世界でもどんくさい私は、マリオのようなアクションゲームは2面くらいまでしかクリアできなかったし、ポケモンの戦闘時のBGMがなんとなく怖くて中々先に進めなかった。

でもどう森は性に合っていた。
コマンドを間違えてもゲームオーバーにはならないし、ハラハラするBGMに恐れる必要もない。毎日自分のペースでプレイしてスローライフを楽しむゲーム。慎重でトロくて、でも割とコツコツ頑張れる私には向いていた。

だから友達の中でもポケモンのレベルは格下でも、どう森は中々頑張っていた。どう森は家のローンを何段階に分けて返済しなければならないという現実的なゲームだが私のローン返済は周りの友人たちに比べても順調だったと記憶している。

そこをいじめっ子につけ込まれた。



いじめっ子A子

私の記憶の中でも登場頻度の高いいじめっ子A子は運動がとにかくできた。運動神経がクラス内の立ち位置に直結するお年頃。A子はクラスの中でも権力があって、外で遊ぶのが大好きな子だった。なぜか私のことを気に入ったみたいで教室の中に私がいると腕を引っ張って無理やり球技の遊びに付き合わせた。放課後に遊ぶのもお家より公園に行くことが多かった。


運動神経が悪いのに頑張って付き合っていたのは、断る勇気がなかったのと、なんだかんだでその子のことが好きだったのかもしれない。のび太はジャイアンにいじめられているけど、ジャイアンのことを嫌いかと言われればきっとそうは言わないはず。そんな関係だ。



事件は起こる

A子は私と逆でポケモンが強かった。(細かく言うとお兄さんに強いポケモンを交換してもらっていた)でもどう森のローンの返済は全然終わってなかった。ある日言ってきた。

「頭いた子さ、私にどう森でお金ちょうだい。代わりに100レベのポケモンあげるから」

不穏な予感しかしなかった。100レベのポケモンなんて持ってなかったけど、相当な時間をかけて育てると知っていた。そんなポケモンを簡単に彼女が渡してくれるわけないと分かっていた。

「いやでも、アイテムと違ってお金はプレゼントできないよね…」

「地面に置いてそれをうちが拾えばええやんか。え、あかんの?嫌なん?友達やのに」

出来なければ縁を切られると思った。転校してきたばかりで他に親しい友人もいなかった当時の私にとって死活問題だった。私の村にA子を招待して、私は大人しく言われるがままに地面にお金を落とした。その額10万ベル

私の画面の中でA子のアバターが、ベル袋を一つ一つ拾っているところをじっと見つめた。ベル袋が一瞬でなくなった。

「ありがとう〜これでローン払えるわー」

そのままDSをしまおうとするA子に私は湧き上がる絶望とかすかな期待を感じながら、

「あの、100レベのポケモンは」

「後で!ドッジの続きしよ」


バーっとA子がボールを持って走って(逃げて)行く背中を茫然と見ていた。予想して諦めていた展開なのにどうしてこんなにずしんと来るのか。色々なことを考えながらボール遊びに付き合って。当たり前だけど「後で」の時間は来なかった。ポケモンをくれる約束はなかったことになって解散して、号泣して家に帰った。



「え、ここで終わり?」と思った皆様、すみません。

特にオチはないスカッとも、倍返しもなく、この記憶はここで終わる。次の日からもポケモンをくれるという話は触れられず何も変わらない日常が過ぎて行った。そこで私がその話を再びしてみれば何かが変わったのかもしれないけど、我慢して波風立てずに日々を過ごすことが最善の策に思えた。私は10万ベルと引き換えに、それからも休み時間や放課後にその子と隣にいられる権利を手に入れた。クラス替えを経て喧嘩することもなく疎遠になって今はその子がどんな大人になっているかなんて知らない。

現実の辛い思い出なんてこんなものだ。起承したところでうまく転結するものじゃない。



そして今思うこと

大人になってみればしょうもない話ではあるけれど、当時はショックが大きかった。小学生の私にとってどうぶつの森のお金は現実のお金よりも重みがあった。毎日プレイしてその日発掘できる化石を掘って売ってコツコツ集めた大金を、一瞬にして盗られた。
しょうもないとこうしてネタにはできているけれど、当時の自分の悲しみを笑うことは出来ない。


今年で22歳。非力だった子どもの頃の自分をネタにできるくらいには、世渡り上手な大人になれたと思う。今の自分がそれなりに満たされているから昔は大変だったねと笑える。



今思えば馬鹿らしく思えるような苦い思い出を私はどんどん文章にしていきたい。辛い経験をするだけしてハイ終わりなんてどうしても悔しい。せっかくnoteを始めて自分の体験や考えを切り売りできる立ち場になったのだ。自分の中で昇華できている悲しみは文字にして「頭いた子」を面白くするコンテンツにしていきたい。






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