生きるのが億劫になる、この偏頭痛。
「生きていくのがめんどくさいなぁ」と思ってしまう日がたびたび襲ってくる。私の場合は往々にして偏頭痛が重い日がその対象日となる。
私の月に1回のペースで痛み止めとして偏頭痛専用の注射を接種している。この注射のおかげでなんとか痛みを抑えることができているのだが、この注射の効果が切れてくる時期にはどうしても偏頭痛が重くなってしまう。
朝起きた瞬間に偏頭痛があるかどうかがわかる。偏頭痛がある日はスマホの目覚ましアラームが通常よりも煩く感じる。脳内は鈍痛に包まれて身体を起こすことすらできない。この時点で今日はダメな日というのがわかってしまう。
そのままベッドに落ち込んで再び眠るか痛みに耐えながら目を瞑るのか。痛みに悶えながら生きた心地がしない状態が続く。
便意が強くなってもわざわざ身体を起こしてトイレに行くことすら鬱陶しい。お腹が減っても食糧を取ってくることすらやりたくない。偏頭痛が重いせいで生理現象につい目を瞑ってしまう。
そのような日常が1週間ぐらいは続く。
頭が痛いという状態が続くのは行動すべてにおいて「面倒臭さ」が纏わりつき精神的にも鬱屈してしまう。
この偏頭痛を抱えたまま生きるのは面倒だ……
そのような考えが頭を支配する日数が増えてきてしまった。
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体調が悪い状態が続くと会社にも迷惑をかけてしまう。
体調不良に理解がある会社であっても、この偏頭痛の頻度だと仕事の調整に大幅な負担をかけてしまう。頭痛があるだけ作業や会議の集中力は落ちて仕事の効率が大幅に下がる。
友人と遊んでいるときにも、偏頭痛が重くてイマイチ元気がなかったり。頭痛があると体力も削られているような感じで歩くことさえ大変だったり。どうしても偏頭痛があると遊びとして純粋に楽しみきれなくなっている自覚がある。
たのしみにしていたことすら偏頭痛で奪われてしまう。
生きているだけで頭痛のストレスを感じてしまい、自分の身体をつい恨んでしまう状態だ。
いやはや、どうしたものか。
そして、2024年4月現在。
私が知る限り、偏頭痛の根本治療は現状ない。
私は突破口を見つけなければ、ただベッドの上でひたすら痛みに耐えて余生を過ごすミイラのような生涯になってしまう。
生きたいんだ、僕は。
目を輝かせながら生きていきたいんだ、俺は。
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2023年は頭痛が悪化して心から悩んでしまった365日間だった。
何度も挫けそうになったし、何度も挫けたし、転んだまま倒れ続けた日もあった。
なんとか起き上がって歩き始められたのが秋の終わり頃だった。
偏頭痛の治療薬が効果を発揮して、自分のペースを掴むことができるようになってきた。痛みが重い日はまだまだあるが、「いつ痛みが重くなるか。」という予想がつけられるようになってきた。
まだまだ完治には程遠いが、治すことをサボって停滞してしまったら症状は悪化する。頭痛改善は積み重ねだ。日々努力し続けるしかない。
もういい歳なのだから、頭痛に身体を倒されている場合ではない。頭痛を乗りこなして自立しなければならない。
どうせいつか死ぬのだから、せめて快く死にたい。
私はその為に、偏頭痛を治したい。
これが2024年以降の目標です。
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