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飽き性の私が11年間続けている「短歌の魅力」

この11年間、毎月5首の短歌を歌誌『姫由理』に投稿し続けてきました。

毎月5首×12ヶ月×11年間ですから、少なくとも660首は詠んできたことになります。

(ちなみに、歌誌『姫由理』は、佐賀県鳥栖市に本部がある短歌結社(団体)「短歌文学会」が発行している月刊誌。創設された1933年から、戦時中を除き毎月発行されていて、2023年1月号で通巻894号にもなります。)

母の勧めで「短歌文学会」の会員になってから、連続皆詠11年。

それでも会の連続皆詠者名が並ぶと、私は後ろの方。20年、30年という方は珍しくなく、最長は52年という大先輩の方々がいらっしゃいます。

さて、本題の「飽き性の私が11年間続けている短歌の魅力」は5つ。

1.いつでもどこでもできる

短歌を詠むのに、時間も場所も問いません。道具も必要ありません。

ウォーキングしながらでも、庭の草むしりをしながらでも、バスや電車に乗りながらでも、寝ながらでも詠めるのが短歌。

「やろう」と思ったら、すぐに始められます。

2.しばりとゆるさの絶妙なバランス

短歌のしばりは、5・7・5・7・7音のきまった型(定型)に入れるということ。

「さあ自由に作ってください」と言われると作歌しにくいけれど、定型があると整理箱に言葉を入れていく感覚で考えやすくなります。

短歌のゆるさは、定型以外の決まりがほぼないということ。

俳句のように季語を入れる必要もなく、どんなテーマでも、好きなように詠んでOK。

このしばりとゆるさが程よく、続けやすいのです。

3.知らない言葉に出合う楽しみ

短歌をつくる際、言いたいことを定型におさめるために、言葉を練ります。

例えば、「朝(あさ)」を「あした」と読み替えて2音を3音にしたり、「道」を「小径(こみち)」「ストリート」など他の言葉に入れ替えて、2音を3音や5音にしたりします。

「この言葉、他の言い方はないかな?」
と、類語辞典を調べて、知らない言葉に出合う。

「こんな素敵な表現があったんだ!」
「早速使ってみよう」
と自分の言葉のバリエーションが増える。

子どものころに比べて、大人になると知らない言葉に出合う機会が減ってきます。

短歌を始めて、知らない言葉がまだまだいーっぱいあることに気づきました。それを一つひとつ知り、自分のものになっていくのは宝探しみたいでワクワクします。

4.日常が宝探しになる

宝探しといえば、短歌を始めて、ありふれた日常生活のなかに、自分の心が動く宝物のような瞬間が、数多く隠されていることに気づきます。

水の温み、窓に射しこむ朝日の眩しさ、
苺の葉の紅葉や、木蓮の蕾のふくらみ、
空の色、雲の形の移ろい、などなど
よく見て、よく気づくようになります。

それは自分でも知らず知らずのうちに、短歌の題材を探しているからじゃないかと思います。

二度と訪れない人生の一瞬、一瞬を切り取って、自分の言葉でとっておける。短歌にはそんな魅力もあります。

5.今この瞬間を大切にできる

短歌の題材は、自分の心が動いた瞬間に生まれます。

「人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」

それがやまと歌(日本固有の歌)だと、『古今集仮名序』で選者・紀貫之が論じています。

喜怒哀楽。自分の心が動いたときに
「今、私の心は何に動いているんだろう」
作歌をしながら、そうやって自分自身と深くつながっていきます。

「今、この瞬間」に意識を向けるマインドフルネスの状態にも似ているかもしれませんね。心身健やか、穏やかでいられるのも短歌のおかげだったのかな。

以上、飽き性の私が11年間続けている短歌の5つの魅力でした。

短歌にちょっとでも興味をもってもらうきっかけになれば幸いです。


愛に満ちた言葉と笑顔あふれる世界となりますように。

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