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かいたさん 後書き


 どうも作者のA.T.JANPIです。
 この度は標題の作品をご覧頂きありがとうございます。
 前作「必要の母」、前々作「Galería Garcíaーガレリア・ガルシアー」と3連続で投稿しました短編の最後の1作です。というわけで、また後書きを書かせていただきます。
 もしまだ読んでいない方はこちらから↓

 
前作後書き

前々作後書き


○きっかけ

 この作品の始まりは、タイトルにもなっている主要登場人物の「かいたさん」の構想からです。この話の中では唯一、彼(とその一族)だけが特殊な能力を備えていますが、元々彼らは別の話の登場人物として考えついた者たちであります。
 私は自分でシリーズを作るくらいには「異能もの」「能力バトルもの」といった、キャラクター達が特殊な能力を駆使して駆け引きや事態の打開をしながら物語を展開していく話が好きです。特に好きな作品の一つ「未来日記」は「特性が異なりこそすれ全員が予知能力者」と、同じ系列の能力者同士で対決するという点で特色ある作品でした。一人いるだけでも強力な予知能力者だけで、スピード感と緊張感のある物語を表現できているのが素晴らしいと思います。



 この未来日記にインスピレーションを受け、同じ系列の能力で対決する異能ものとして、「時間能力者」で話を作れないかと考えたのです。予知能力者と同様、「時間遡行」「時止め」「ループ」などそれぞれが強力な時間能力者がぶつかったらどうなるのかを考えようとしました。まだその話は物語が組めるほど構築できていませんが、かいたさんはその能力者の一人としてアイディア出しをしたものです。「逆巻く時間を生きる能力者」であり、主人公のライバルとか、師匠くらいのいい感じのポジションに収まりそうなキャラクターとして。
 しかし、ふと彼のキャラクター像を考えようとした時、

「彼、どうやって生活してるんだ?」

と疑問に思ってしまいました。彼は時間遡行者ではありますが、タイムマシンを使っている訳でもなく、通常の人間と同じスピードで逆向きに生きています。物理法則も因果関係も何もかも逆順で起きる世界、そこで生活するのって無理に等しいのでは?しかしそれを彼視点で表現しようにも、後ろ向きに歩くとか、音節を逆にして発音するとか、ものが作れないとか、漫画として地味なのに表現するのも難しい。では、彼がどのように見えるのかを一般人の視点を通してシミュレーションしてみようと思って作品化しようと考えました。

…という一連の初期構想を終え描き始めたのが5年前です。

 冒頭だけとか、下描きだけ描いて放置してたとかじゃなくて、ガッツリ描いてたんですけどね、21ページも。21ページ目は少年かいたさんが言い間違いを訂正するシーンのあるページで、「そんな中途半端なところで終わらないだろ」ってところで筆が止まっていました。それから5年も何してたんだって話になるんですけど(なんか前にもこんな話しましたね)、まず5年前に21ページ目で突如筆を置いたかと言いますと、

① 単純に時間がなかった
ある締め切りに向けて描いていたのですが、21ページ目で時間切れとなってしまいました。
② 後のネタばらしに少年かいたさんが付いていけてなかった
完成品をご覧になってもらうと、22ページ目以降は「美時が少年をかいたさんと疑い、彼の言動から確信していく」展開になっているかと思うのですが、元々は少年かいたさんがペラペラと自身にこれから起こることについて語っていく場面でした。年々幼くなっていくかいたさんがそれを行うにはあまりにも不自然だと思い、練り直しました。結果的に自身の境遇を語ることは変わりませんでしたが、少年らしい範疇にどうにか収まったと思います。
③ 美時も美時である説得力も運命力も足りていなかった
少年かいたさんが上記だと美時はただひたすらに「かいたさんを見るだけの役」に徹してしまい、この話で彼女が主人公をする意味がかなり弱い状態でした。
④ いい感じのラストが思い浮かばなかった
ラストでかいたさんが交通事故死することはなんとなく思い浮かんでこそいたものの、彼の存在を受け止めきれていない美時がいる以上、描写しても「ただ死ぬだけ」になってしまいそうでした。そして美時もただ年取るだけ、というのは避けたいと思いました。
⑤参考文献を読みたかった
かいたさんに類似する存在として、比較的思い浮かびやすいのは「ベンジャミン・バトン」だと思います。映画化などで私も認知してはいたのですが、作品に触れずに21ページ目まで勢いで来ていました。うまいラストが浮かばなかったのもあり、どのような物語の収まりになっているかを確認してから構想すべきと思いました。

 という事情があり、実は21ページ目を境にほぼ別人が描いた感じになってます。以上の課題に取り組める時間が取れるようになったのが5年後でした。あまり間髪入れずに短編を発表し続けたいという思惑と重なり、15ページの加筆をして発表したのがこのタイミングとなりました。約5年前に美時のイラストが投稿されている(https://www.pixiv.net/artworks/59423359)ことがその証左となると思います。
 気にせず読めていたなら…画力も雰囲気もあんまり変わらなかったということで…(それはそれで悲しいんですけど…)
 練り直しを経て、かいたさんや美時をどのように描写・解釈し直したかは各キャラクターの説明の時に述べることにします。

○テーマについて

 作者から見た立ち位置はシミュレーションという背景を持つため、今作ではテーマらしいテーマは設定していません。とはいえ、全編を通してかいたさんと美時の生活を描くため、「彼らをどのような関係性で描くか」については注意を払って表現しています。
 かいたさんと美時は、誕生日と命日が互い違いで一致する同い年の人物同士なのですが、通常同い年の男女で隣同士ともなると「幼馴染」などの関係に発展しそうなものを、彼らの関係は常に「隣人」以上でも以下でもない関係に一貫しています。お互いの容姿が近くなる40代付近では、かいたさんは美時の家の隣を離れており、恋愛に発展しようがありません。しかし、恋愛はなくとも「長年隣にいて、柵や塀の向こうに相手がいるのかわかり、時より遊びに行ったり挨拶したりする関係」は、年齢職業性別関係なくそれはそれで唯一無二な関係性であります。普段は時々気にする程度の弱い関係でも、ふと過去を振り返ると確実に思い出の中に入ってくるラインの絶妙な距離感。美時という一般人が過度にかいたさんに深入りせずに、一方で人生に影響を与え合える最適な距離感だと思います。名付けるまで彼女はかいたさんの本名を知らなかったのが象徴的です。あまり深入りしたら時間能力者の異能バトルに巻き込まれますからね。
 また、美時を通じて私自身が感じたのは、「我々は仮にかいたさんのような存在が近くにいたとして、その困難に気づけるのか」という点です。美時は上記のように「隣人」を超えた仲にはならず、相手がどんな人物かを深く知ろうとはしませんでした。彼女がかいたさんの生き方に気づいたのは人生の後半になってからで、かいたさんは少年(意思疎通が困難になり始める時期)になってしまいました。当初構想した通り、かいたさんの生活ぶりは困難極まることが容易に想像できます。生活上の困難だけでなく、彼らは未来から来るという都合上、歴史上あるいは記録上何が起こるかがわかる状態で過ごしています。つまり彼らは「何を楽しみに生きるのか」という生きる動機がかなり弱い存在であるのです。美時達から見てかいたさん一族はとんでもなくディスアドバンテージを持ったマイノリティです。かいたさんは幸運にも動機を人生序盤で見出すことができたため、美時の心配は杞憂ではあるのですが、実際かいたさんのような存在を気にかけることができる一般人は相当貴重だと思うのです。かいたさんの両親が美時を訪れ名付けを頼むのは、人生における存在の比重の非対称性を表したつもりです。同じように、私達の周りにはよく見ないと気づかない困難を抱えている人が大勢いるわけで、「そういう人が存在すること」を認知するだけでも視野が広がります。たまには周りを観察したり、思いに耽ったりしてみたりして貰えればなと思います。

○時代背景について

 本作には現実に発売されたゲーム機などをオマージュしたものが登場します。作者が当該年代ではないものも含みますので多少粗いですが、現実時間になぞらえると大体彼らがどんな時代を生きてきたかがわかりますので、作品を楽しむ一助となることを願ってここに紹介します。

1972年:PONG(ポン)
 終盤の回想で美時がかいたさんに「これ何?」と聞いてる時に、遊びに来ている男の子がやっているゲーム(のモデル)です。アタリから発表された初とされるビデオゲーム。
1976年:白い恋人 
 タイムカプセルに使った箱です。埋めたのは1983年と発売から10年経たない時期なので結構まだ新しいお菓子の時代なのかも?
1980年:フロッピーディスク(ソニー)
 (Wikipediaを信じれば)最初の開発は1970年代に遡りますが、日本で流通が始まったと思われるのは1980年代で、この頃コンピュータやワープロに搭載されるようになったそう。美時の父は情報関連の仕事なので一般家庭よりも早い段階で手に入れてたと踏んで、ゲーム作成も行えたということにしています。この頃って所謂「システムエンジニア」という職業は一般的ではないと思うのですが、なんて呼ばれていたのでしょうね?
 そして美時が生まれたのはこの辺りなんじゃないかな〜と思います。
1983年:ファミリーコンピュータ
 作中の「ファザーコンピューター」。言わずもがな、任天堂の国産ゲームの原点。かいたさんはゲームを買い(返し)、美時父は桜とタイムカプセルを庭に埋めました。
1986年:ドラゴンクエスト
 作中の「ドラゴン食えるぞ」(ひでえ名前)。ファザコン発売から少し経ってからなんですね。
1989年:ゲームボーイ
 少年かいたさんが欲しがったゲーム機「ゲームボーヤ」です。昔のことがある程度わかるかいたさんでも、さすがに自分がやるゲームがフロッピーディスクだとは思わなかったようです(おそらく小さいディスクとかの断片的な情報から推測したと思われます)。
1996年:ニンテンドー64
 作中「もう64あるんだってよ!」より。ドラ食え発売からちょうど10年後と考えると、この時美時は高校生だった可能性が高いですね。
2000年:HDD
 データが膨大になり、一般家庭でも買い始めたのがこの頃と言われていますね。美時の父の性格を考えるとHDD全部使うほど写真とかも残っていない気がします。
2011年:ニンテンドー3DS/PlayStationVita
 作中の「3DM(Sスクリーン→Mモニター)」、「PSVITAL」です。この年濃いですね…。
2017年:NintendoSwitch
2020年:PlayStation5

 作中にはモデルとして出てこないゲーム機(シルエットで出る程度)なんですが、どうして作中の「最新機器」としてこの辺りでなく3DSやVitaのモデルが出てくるんだと疑問に思った読者の方もいらっしゃったと思います。それは、この作品を5年前に描き始めたということが地味に効いていまして、この「5年前」って2016年なのですよね。つまりこれらは存在すらしていません!!!おい作者!続きを描く時にセリフくらい直しておけって!!
 しかし少し苦しい言い訳としては、このセリフを言う時の美時、60歳前後と思われるのですが、2021年現在、美時の1980年生まれを正とすると彼女は今40〜41歳くらいということになります。つまりこれは今から20年後くらいの描写となるわけで、その時の最新機器なんて想像つきません(それはそれとして3DSやVita相当機が最新という認識はおかしいですが)。前作では2033年想像して描きましたけど、順当にいけばVRかスマホの進化系…ですかねえ?
 
 

以上です。改めて見返すと描写がけっこう雑ですね…(笑)
 上述のように、美時たちが同じ時間軸を生きていると仮定しますと、この執筆時が40歳前後。80年ほど生きるとして、美時とかいたさんがほぼ同じ同年代に見える頃ですね(美時父が生きているかは若干怪しいラインです)。人生折り返し地点にきて、美時が40年分の過去の記憶を、かいたさんが40年分の未来の記憶を持ち寄って、作者がまとめた形だったということでここはひとつ。

○キャラクターについて

今作は主要登場人物が3人だけです。

・美時

美時立ち絵


 本作の主人公です。作中描写の通り「美時」の名はかいたさんにより「時の変化に依らず変わらぬ美しさを持つものを教えてくれた」という理由による名付けです。正面から見て前髪の長さが左右非対称なのは、時計の長針と短針をイメージしたものです。色は全体として赤いかいたさんに対応してブルーベースに、シュシュなどの小物に桜色を配色しています。
 小さい頃から絵を描くことが好きで、それを継続した結果として比較的著名なイラストレーターになり、最終的に老衰で息を引き取ります。…と、彼女自身のプロフィールはかいたさん周辺のことを除くとこれだけで説明が済んでしまう、漫画の主人公としてはあまりにも平凡な人生の持ち主です。前述の通り、今作は「一般人から見たかいたさん」のシミュレーションなので、この平凡さは意図したものです。彼女が漫画の主人公たり得るのはただ、かいたさんのお隣さんであり、かいたさんの異常性に自力で気づくことができたという点のみです。
 この物語は彼女視点で進むため、基本的には現実世界と同じ時間方向性の人生を、かいたさんに絡む部分のみをピックアップしてダイジェストで送ったものです。そのため、全く描写されていない部分で恋愛や結婚、進学や就職をしている可能性があります。生涯同じ家に住み続ける点とイラストレーターという部分以外は自由に想像してもらっても物語には影響を与えません。
 そんな主人公の彼女ですが、かいたさんに対して「あまり大きな助けにはならなかった」という自己評価で終始しています。彼女は「お父さんの作品をかいたさんに届けただけ」と思っていますが、それだけでは主人公足り得ません。彼女はかいたさんの「物心ついた時に自分(とその特性)を認知し、人生の意味を与えてくれた人」なのです。確かにかいたさんにとってお父さんの作品を楽しみにする比重も大きいですが、それ以上に、最初にゲームの存在を教え、遊ばせてくれ、時間がどちら向きだろうと1年周期で確実に咲く桜を教えてくれることが偉大なのです。彼女がかいたさんの異常性に気づくのが人生後半であるように、かいたさんもまた、ゲームの作者が美時の父であることを理解するのは人生後半に差し掛かる頃であり、それまでにゲームの楽しさに目覚めていなければゲームのために生きようとまでは思わないのです。
 ここまで書けば明らかだと思いますが、美時がかいたさんと繋がるためのアイテムがゲームと桜なわけです。美時がかいたさんを疑問に思うきっかけが、「エンディングから始まる気味の悪いゲーム」と「早咲きと遅咲きの意味がすれ違っている」ということからもわかります。奇しくも彼女はゲームにキャラデザイナーとして関わり続け、定期的に桜を描き続けたことから、若くなったかいたさんとの再会を果たすことができています。かいたさんの名前もキーアイテムである桜とゲームにちなんでいるような、まあ無関係ではない文字列を付けています。ちなみに、桜を選んだ理由としては、「絵になる」ことはもちろん、日本では「出会いと別れ」を象徴的に表す植物であるため採用しています。終盤の方「桜でゴリ押してんな」とか思われてないといいな…(笑)


・かいたさん

かいたさん立ち絵


 本作のメインキャラ、被シミュレーション対象(言い方)です。「かいたさん」は「買い足さん」からくるあだ名であり本名はセリフでは明かされません。美時が名付け親であり、実は「よく見れば名前っぽいものが書いてある」くらいの場所に登場していたりもしますが、大半の読者の方には見つけられないと思いますので、美時が何と名をつけたのかは二人の人生から自由に想像してもらっても良いでしょう(ちなみに苗字含め「かいた」さんではないです)
 容姿の特徴は、特殊な体質であることを示すため赤い目をしているほか、美時も「独特のファッションセンス」と称している「帽子・長髪・鼻髭・(トレンチコートや制服などの)フォーマル・赤い(蝶)ネクタイ・革靴」はかいたさんのドレスコードであり、実は意味があるものです。ファッションの多様化した現代においてこれらをきっちり着こなす人物は古風さが非常に目立ちます。短期間に何度も会うならまだしも、かいたさんの場合普通の人と異なり、時間が経ってから再会すると年齢が退行して見えるため、かいたさん本人の同一性を少しでも伝えるために路線の決まった服・同じような色合いを維持しているのです(葬式の時は例外として喪服を着用していますが)。セピアの色合いは、「過去の思い出の中の存在」を強調したテーマカラーです。
 かいたさんの性格は美時の反応を通した間接的なもののみですが、老年・壮年期では「温厚で優しいおじいさん」の印象が強く、少年・青年期の彼はゲームに興味を示す「探求心・オタク気質」の印象が強いようにしています。かいたさん(とその一族)は、本来であれば未来から来たという都合上過去のことをある程度知れるため、日常生活ではかなり慎重な行動をとるべきなのですが、幼い頃は知りたがりの性格と若気の至り故、未来に起こることを一般人の美時にペラペラと喋る迂闊さもあります。青年期以降は自身の特殊性も立ち回りも弁え、美時との接触・情報提供(将来大成するかどうか・美人になるかなど)も最低限になっており、また彼が楽しめる娯楽で感性が豊かになったのか、非常に柔らかく詩的なセンスを手に入れたようです。目元が帽子で隠れているのも相まって大分ミステリアスな雰囲気にもなっています。もし構想元の時間能力者の話を描くことになった場合は、「かいたさん」においてあまり描写しなかった年代(少年期~壮年期の間のどこか)を中心にしたいと思っているのですが、彼の思春期などはオタク極まって色々と面倒そうで面白そうだと思っています(笑)ゲームにハマる直前のダンディな時期もいいかも…とまあ、人格形成に関しては意外と普通の人間と変わらないのでは、といっていいかもしれません。それも、美時の存在が大きいためだと思います。
 かいたさん視点では、まともに付き合いのある通常時間の人間はほぼ美時一家のみとなります。そして、最初に出会い色々と教えてくれたのも美時です。美時から見たかいたさん一族比べて、かいたさん一族から見た美時は重要度が異なると言いましたが、これはかいたさんの人生に彩りを与えたということ以外にも、「かいたさんのためにもの(=ゲーム)を作ってくれる(それを提供してくれる)」ということも一要因となっています。なぜかと言えば、この世界のほぼ全てのものが「かいたさん用にはできていない」ためです。かいたさん達は本質的にものづくりは行えません。積み木を組み立て片付ける、程度の可逆性のあるものなら多少可能かもしれませんが、「原材料を加工し複雑な工程を経て完成する」もの、簡単に思い浮かぶものだと例えば料理ですら彼らの時間軸では不可能です。彼らの時間方向性で作れるものがあるのだとすれば、それは通常時間軸で「加工品が原材料に蘇る」「作ったものが元に戻る」というミラクルになってしまいます(となるとどうやってそもそも食事や栄養を摂っているんだという話にもなるのですが、それはその…何か能力でどうにかしているとしか現時点では考えられてないです)。つまり、「彼らの時間軸で楽しめる娯楽」がそれほど貴重で有り得ないものなのです。それも彼らの視点からすればいずれ壊れる(作られる前の状態に戻ってしまう)ため、それが体験できる唯一の一族であるかいたさん、そしてそのきっかけの美時は一族レベルの偉人なのです。美時の日記にしろ美時父の記録にしろゲーム現物にしろ、何かが未来に残っていれば未来(かいたさん達には過去)の一族がある程度知ることができますからね。そして未来から来たからこそわかるのは自分の最期。「その貴重な一般人が生まれる時に車に轢かれそうになったらしい」「自分がその場に居合わせるらしい(美時父と話していればおそらくわかる)」と理解してしまえば、辻褄合わせのために自分は車の前に飛び込むしかなくなってしまうのですね。出会いも生き死にも運命的な二人ではありますが、飛び込んでも良いと思える程度には、本当の意味でかいたさんにも運命的な人だったのでしょう。最後の言葉にある「早咲き(彼にとっては遅咲きの意)の桜」は、美時を意味するも同然の言葉でもありますからね。
 かいたさんの最期については交通事故で半ば決定だったのですが、理由としては、「アクシデント的な出会いがないとそもそもかいたさんの存在と異常性に美時の父が気づけないだろうな」というかなり恣意的なものですが、美時の父がかいたさんの異常性に一発で気づける程度にはかなりアクロバティックな現象が(一般人の目には)起こっています。まず、最後のページだけはかいたさん視点のため時系列が逆になっています。その証拠にかいたさんは車にバックで轢かれているのがわかります。


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消えるタイヤ痕(=時間が逆に動いている)

 ここは何がどのように起きて見えるのか、作者も非常に頭を悩ませた部分です。なんとか伝わるように頑張って図解したのが以下です。 

かいたさん事故図解

 かいたさん視点では、(かいたさんの時間方向では車は後方に進むものなので)車の後方に美時の両親の代わりに出て轢かれます。そして歩道に投げ出され、地面との摩擦で止まり、かいたさんの時間方向で死にます。死体はおそらく、かいたさん一族が回収したと思われます(一般人視点だと一族が老人の死体を歩道に置いたように見えてしまいますが)。これが一転、通常の時間方向においては、出産直前で俊敏な反応ができない夫婦の元に信号無視の車が突っ込みそうなところに、何故か歩道に横たわっていた老人が突如として地面を這いずりながら力を受けて跳ね上がり、車の背後から追突、その結果軌道が少し反れて夫婦を救います。時間方向がどちらでも結果として夫婦を助けて見えるのが面白いですね。一応、時間が逆になっても(熱や量子など一部を除いて)同じ物理現象が起きることは変わらないようです。参考に私がこの概念を初めて知ったきっかけのリンクを貼っておきます(ニコニコ大百科「時間反転https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%99%82%E9%96%93%E5%8F%8D%E8%BB%A2?ref=pc_watch_description)。よってかいたさんの構想元の時間能力者の話を考えるには量子力学を本格的に学ぶ必要があるのがよくわかったので、もっと造詣が深くなってから執筆を始めようと思います。きっとかいたさんのもっと細かい生活や凄さは、その時になったらより深まるのでしょう…。


・美時の父

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 美時の父親で口元に無精髭を生やしたプログラマー、システムエンジニア。ヘビースモーカーでタバコが原因と思われる肺癌で亡くなります。タイムカプセルの遺言もなんか軽かったり、娘に大して大きな財産も残さない、看病にくる娘を蔑ろにするなど、短い描写ながらそこそこに素行の悪いタイプの人物です。特に重要でないので目及び表情の描写はしませんでしたがメカクレではないです。
 彼の感情こそ重要ではないのですが、かいたさんと美時のパイプとしての役割は非常に強く、彼がいないと物語が成立しません。まず通常時間軸において、かいたさんと最初に出会うのは彼で、しかも美時の出産日に夫婦で事故に遭いかけた時の恩人というセンセーショナルなシチュエーションです。そこでかいたさんの言い分を信じて名付け親にするノリによくなれるなと思います。物心ついた美時に、かいたさんへのお使いを頼んだのも彼ですし、美時がゲーム関係者になるのも彼の影響が大きいので、かいたさんにも美時にもガッツリ道を示しています。さらにそれでいて、ゲームに興味のあるかいたさんでもプレイできそうなゲームを作成したり、未来の美時にメッセージと試作品を送るのにタイムカプセルを用いるなど、理解力と発想力と創造力と直感が天元突破しています。これはメタ的にかいたさんと美時の話にするためにそうならざるを得なかった面も正直あります(美時の「お父さんの作品出してるだけなのよね」発言は作者自身もそう思ってるところがあります…)。性格が軽薄なので、優しい雰囲気の二人と棲み分けられたのはよかったと思います。変更してしまったセリフの中に「(かいたさんが「美時」と名付けたことについて)俺にはねえセンスだ」というものがあります。詩的な感性で名付けを行ったかいたさんと、理詰めで飾り気のない美時の父とでうまく対比できていたかなと思いますが、かいたさんのその後(その前)を察し、ある意味別れとも取れる「楽しめたか?人生」という言葉にしました。これもまた、直感に優れる彼らしいかなと。

○参考文献「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

 本作品が執筆開始時(5年前)に筆を止める一つの理由となった表題ですが、読みました。映画も知っていましたが、原作があると知ってそちらを。映画は3時間ほどもあると聞いてどんな超大作なのかなと思いきや、短編なので驚きました。活字に苦手意識のある私もすんなり読めたのでオススメです。

また、類似設定のある作品として「飛ぶ夢をしばらく見ない」という作品もあり、そちらも映画化した小説のようでしたが、そちらは粗筋を確認した程度で未読なので、ここでは触れないこととします。ちなみに作中ベンジャミンに並んでいる人名「睦子」が、ベンジャミン系能力者の名前(女性)で、恋愛をするようですね。

せっかく読みましたので、ここでは本作に絡めてベンジャミンとかいたさんの相違点をネタバレのない範囲で紹介したいと思います。


ベンジャミン本人が主人公であり、彼視点で進む
生まれる場面こそ父親の描写が主ですが、物語はベンジャミン視点で進み、彼の身に起こることが彼の主観によって語られます。彼自身が「通常の人生」と比較して自分の人生を語るようなことはなく、淡々と進みます。傍から見るととんでもないことが起きているのですが、それが普通のこととして語られるのは特殊な体質を持った主人公ならではといったところです。また、本人は特殊体質を認めて生活するしかないのに、周囲の通常の人間(親や婚約者や息子)がそれを受け入れられていないのは気の毒でした。既存の社会基盤に乗れないことは、本人よりも周囲の人間の方が重く考えがちなのかもしれません。


・逆行するのは容姿(とそれに伴う思考能力)であり、生きる時間方向は通常時間軸(美時と同じ)である
映画の粗筋のそのままにベンジャミンは老人の姿で生まれ、加齢に従い容姿が若返っていきます。病院で他の赤ちゃんに囲まれて訳も分からず座らせられている老人のシーンは実に象徴的でした。ベンジャミン・バトンで面白いところはこの「容姿と年齢の食い違い」にあります。例えばいくら老人の姿をしていても6年しか生きていなければ彼は「6歳」と主張し、加齢してもそれは同じです。一方で思考回路は老人の時は老人そのもので、幼い時は幼い言動(すぐ飽きたり)をしてしまいます。このギャップのため、人生の岐路において不正を疑われたり、容姿が幼すぎて今までの功績を信用されなかったりします。かいたさんと見かけ上は同じように見えますが、彼は未来から来ている(負の方向に成長する)ので、年齢と容姿は食い違わない点での不便はなさそうです。時間軸は一般人と同じなので、基本的に一般人と(感性は異なるかもしれませんが)同じものを享受できるのはかいたさんにはない利点ですね。

かいたさん年齢解説


・何故そうなのかの説明は特になし。親や息子は何故か普通。
若干この作品を手に取る理由が「ラストをどうするのか」→「彼がどのような理由で逆行人生を送るようになったのかの説明がなされるはずだ」というSF的解答を求めていた部分があるので、全くのスルーだったのは個人的には衝撃でした。ベンジャミンは通常の親から生まれ、途中で伴侶・子供も得ますが、親及び子は通常と同じ年の取り方をしており、彼だけが特殊でした。上述のように加齢の時間方向は同じであるため、感性の違いも「環境や老若故の思考回路の違い」以上のものはあまりなかったと感じました。SFと思って読み始めたらヒューマンドラマでした。別に苦情ではないのですが。
 最後赤ちゃんの姿で、腕の中で泡沫の夢を見ながら死んでいくというのは、切なくもあり、羨ましくもあり、シンプルな文章ながら喪失感がありました。生涯なしてきたことを朧げに思い出しながら眠るように死んでいく、人生皆そうならいいのですけどねえ。

 以上、原作のベンジャミン・バトンの紹介でした。この短編から3時間も展開した映画版も時間があるときに見てみようと思います。

○まとめ

 「かいたさん」、如何でしたか。また結構語ってしまいました。連続での短編投稿はこれで一旦は終わりですが、短編はこれからも合間を縫って投稿を続けていきます。また、連続シリーズの「クリセスマネジ」や「ギタイ」も読んでいただけると、モチベーションに繋がるので、どうかこれからもA.T.JANPIをよろしくお願いいたします。
長文にお付き合いくださりありがとうございました。ではでは。

A.T.JANPI

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