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アンネ・イムホフによるアンダーグラウンドの顕在化。闇からのマニフェストが突きつけられる空間と対峙する

2022年10月10日(月)まで行われる国際芸術祭「あいち2022」。
数ある展示の中から取り上げるのは、尾張一宮駅から北東へ徒歩10分ほど、真清田神社に隣接する廃スケート場。そこではドイツ出身の作家、アンネ・イムホフ(Anne Imhof)の衝撃の作品と相対することになる。

個人的には現代社会に渦巻く倦怠感を自覚し、その払拭に努めるべくことに対してのきっかけになる作品として、日本に於いても迎合されればと思うが、カタルシスになる可能性も否定できない。果たしてその行方や如何に!?

決して表を闊歩することがない、抑圧されたものたちが凝縮された世界

身も蓋もなくて申し訳ないが、この作品は訪れて体験していただくのが一番(基本的になんでもそうであるが)ということを申し伝えた上で、文章化するものである。

まず目に飛び込んでくるのは、青黒い光、無数に張り巡らされたパイプ、大型スクリーンとスピーカー。

青黒い光、無数に張り巡らされたパイプ、大型スピーカー

訪れるタイミングによっても違うが、スクリーンには痙攣するような動きのパフォーマー、無表情に歩く中性的な人物、無機質なロッカーや鷹や狼の剥製などが映し出される中、激しいドラム音、ハウリング、ノイズ、重低音が響く空間は、決して明るく楽しくなどなく、あらゆる不安や恐怖を彷彿させられる。

Anne Imhofの作品の写真。大型スクリーン

そんな中、さらに不安を助長させるのが、建物自体が軋む音。建物内外の寒暖差なのか、老朽化に伴うものかは定かではないが、この「鳴り」に恐怖さえ覚えることもあるかもしれない。まずはこの時点で度肝を抜かれることは想像に難くないだろう。

Anne Imhofの作品の写真。あらゆる不安や恐怖を彷彿させられる空間

この作品(タイトル:JESTER『道化師』)を創り上げた、アンネ・イムホフは、日本では初展示とのこと。調べていくと、『道化師』は、2021年にパリでの個展『Natures Mortes』中に行われた、4時間以上のパフォーマンスをおよそ1時間程度に再編した作品のようだ。

また、過去に『SEX』『FAUST』『Angst』といった作品を発表していることから連想するに、『道化師』でも、快楽や不安、欲望、喧噪など、必ず存在するが決して明るみに出ず、腫物に触るような扱いとなっている要素がテーマとなっていることが考察できる。極めて退廃的な世界が形成され、ディストピアの様相を呈していると言っても過言ではないと感じる。
パフォーマーを取り囲む観客は、果たして観客なのか、被験者なのか、パフォーマンスの一部なのか。曖昧であるが故に奇妙に感じてしまう。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。

※余談だが、2017年の『FAUST』の5時間に亘るパフォーマンスにおいて、観客をパビリオン内に閉じ込め、見張りとして2頭のドーベルマンを置くという試みも行われており、彼女はこう述べている。「”FAUST(ファウスト)”の中で観客と演者が同じ瞬間を共有する瞬間があるのです。それは、さほど快適な瞬間ではありませんが、誰も立ち去りません。全員がただ、そこに留まるのです。」

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。

この世界観を加速させているのが、エリザ・ダグラスであることは間違いないだろう。中性的な佇まいや、虚無を感じながらも一切の妥協を排除したような目線が特徴的であるが、金髪のパフォーマー(カール・イェルム?)が着る、本作に於いて重要な位置づけであろうピエロのTシャツを被る姿は、山羊の頭を被った悪魔のようにサタニックである。

また、会場の隅にあるサブスクリーンでは、エリザ・ダグラスがザクロを食べるシーンが投影されているが、裸の上半身に赤い果汁が注ぐ姿は、血液や臓器を食す行為(カニバル)を連想する怪演である。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。エリザ・ダグラスが柘榴を食べるシーン

そして、もう一人のパフォーマーについても触れておきたい。ここからは音楽的側面に光を当てることにする。

偏執狂的音楽によって占められた、漆黒の音響空間

前述した激しいドラムや、会場が軋む音に代表されるように、隔絶された空間に鳴る音響の恐ろしさも本作の特徴である。

ドラムを叩く人物は、どこかで見たことがあると思っていたが、なんと元セパルトゥラのドラマー、イゴール・カヴァレラであった。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。イゴール・カヴァレラがドラムを叩くシーン

セパルトゥラについての詳細は省略するが、ブラジルのメタルシーンを牽引したバンドであり、ブラジルの伝統音楽と融合した攻撃的なサウンドが特徴的。イゴールは、兄のマックスとともに、バンドの創始者でもある。

個人的に、作品内でのドラミングからは、セパルトゥラがブラック・メタルからブラジリアン・スラッシュ・メタル/ハードコアへと転換していくターニングポイントのアルバム「Arise」時のような雰囲気を感じずにはいられなかった。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。

暴虐とも思えるパワーに満ちたドラムが鳴り響くだけでなく、ドローン、ダークアンビエント、ノイズ、インダストリアル、といった不穏な音楽の介在により、作品は構成されている。

ざっと連想するだけでも、sunn O)))、Sleep、Earthなどのヘヴィドローンやダークアンビエント。ホワイトハウス、SPK、スロッピング・グリッスル、ノクターナル・エミッションズ、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなどのノイズ/インダストリアル。ナース・ウィズ・ウーンドやコントロールド・ブリーディングのような両方の要素を兼ね備えるバンド。ゴッド・スピード・ユー!・ブラック・エンペラーやスワンズといったポストロック/パンク系のバンドなどが思い浮かぶ。

また、フィルム序盤の、ギターのフィードバックノイズ音は特筆すべき。ただそこに在り続け、横たわっているだけのフィードバックノイズは作り物とは思えず、人間の狂気を炙り出すものである。一体誰が演奏したのか、ノイズ演奏をする身としては大変気になるところである。

また、ドイツ出身のアンネ・イムホフだけに、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンからの影響についても聞いてみたいところである(会場の建物を選ぶのに影響があったのではないかと邪推してしまう)。

上記に挙げた音楽やバンドにはあまり馴染みがないかもしれないが、いわばこの手の音楽の『入門編』でもあると思うので、もし気になるようなら調べてみることをお勧めする。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。Natures Mortes

そして、アンネ・イムホフ、エリザ・ダグラス、ビリー・ブルティールらにより、『FAUST』『SEX』の音源が制作されていることも記しておきたい。

こちらもダークかつストイックな内容で、アンビエントからスポークンワード、ギターノイズ、乱打するパーカッション、シューゲーザーなどなど、濃厚な音による表現がぎっしりと詰まっている。『Suicide Is Painless』という曲名から、不思議とアンネ・イムホフの世界を推察してしまうのはいささか短絡的なのかもしれないとも思うが、ここでは敢えて記させていただこうと思う。
『Natures Mortes』および『JESTER』においても音源が制作されることを期待したい。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。

これまで、所謂アート(以下、アートという言葉には必ず枕言葉として「所謂」が付くことを前提に読み進めていただきたい)の文脈の中には実験音楽やパンク、暴力的表現などがクローズアップされることも多かったが、少なくとも日本のメインストリームのアートが、ドローン、ノイズ、ブラック・メタルなどの音楽との接触したことは殆どなかったように思う。この点についても記していくことにする。

STILL ALIVEで応えた「あいち2022」
今後のパラダイムシフトは起こり得るか

『道化師』作中には、ブラック・メタルバンドのBathory、EmperorなどのTシャツを着たパフォーマーが度々登場する。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。Bathory、EmperorなどのTシャツを着たパフォーマー

ブラック・メタルは、価値観や世界観が非常にナーバスなものであり、ノルウェーのブラック・メタルや、ブラックメタル・インナーサークルなどについて知っている方ならばお分かりいただけると思うが、個人的主観すら掲載するのも憚られるようなスキャンダル的要素を抱えているため差し控えさせていただく。もしかすると私が古いパブリック・イメージのままでいるだけかも知れないが。

ただし、音楽シーン内でも漆黒の闇に潜む音楽であることは事実であり、Tシャツを着ているパフォーマーがアート作品内にいるだけでも相当のインパクトがあると思う。

それに輪をかけて、建物が奏でる軋み、血管のような製氷パイプ、不安を助長する暗黒音響、暴力的なドラミング、サタニックなピエロ、死の象徴であるかの如き剥製、カニバルを連想するパフォーマンス。

Anne Imhofの作品『道化師』のスクリーン写真。Tシャツを着たパフォーマー

人によっては醜悪なものにも、警告にも、生にも死にも、美や芸術にも、アンチテーゼにも見えるかもしれないが、少なくとも見るモノに何らかの覚悟を迫る作品であることは間違いないだろう。

なぜなら、メインストリームが見て見ぬフリをしてきたアンダーグラウンドカルチャーは、現実に存在しており、STILL ALIVEをテーマとする国際芸術祭という公の場において抑圧を解かれ、かつては市民の憩いやスポーツの場であった廃スケート場で、観客の眼前に突き付けられているからである。

Anne Imhofの作品を展示している会場。元アイススケートリンク場

月並みな表現ではあるが、日本のアート界からすれば、アンダーグラウンド音楽の怪物たちが、カタストロフとばかりに一挙に押し寄せたようでもある。逆からすると、もしかすると寝耳に水の話かもしれない。

日本のアートとアンダーグラウンドの音楽界は「こちら」と「あちら」であって、不可侵であったように感じているが、今回の展示は、邂逅を手ほどいてくれたように思う。今後、お互いの関係性がどうなるかは予測不能だが、『道化師』発表の、STILL ALIVEをテーマとした国際芸術祭「あいち2022」という公の場にて、お互いほぼ意に介さなかった「こちら」と「あちら」が邂逅を果たしたのは事実。この事実は大きく、お互いを確実に同列の境界線上に上げた、というターニングポイントになった。私的にアンネ・イムホフとそのチームの全てに最大限の敬意を払うばかりである。
さて、果たして今回の邂逅は、日本のアート界や音楽界に変化を及ぼすのだろうか?

答えは分からないが、アンネ・イムホフにより投じられた一石は、確実に派生する土壌であろう。カタルシスや、一過性の域を出ないかもしれないという危機感も持ち合わせてもいるが。

日本のメディアやギャラリストが、アートと資本主義を利用して利権を貪り、同調圧力やムラ社会を重視するのであれば、この邂逅も無駄となるだろうが、そうではないと私は信じたい。未知の表現を作る土場は、必ず醸成されていくはずだ。アンダーグラウンド音楽側にとっても然りで、これだけ明確に刻まれた作品の存在は見逃せず、新たな可能性となるだろうし、新しい表現の切り口にもなり得るだろう。そのような可能性が失われたり、一過性のカタルシスとして扱われたりしないように、今は祈るばかりである。

例え、そうなったとしても、少なくとも私はアンネ・イムホフの世界を追っていくだろう。臭いもの(と同時にきれいなものや、自分だけの世界とは異なるもの)に蓋をして虚偽と欺瞞に満ちた都合のいいユートピアを形成しようとし続ける風潮は揶揄され淘汰されるべきであり、その先駆的存在であると確信しているからである。

at:10編集部 武藤 宏之

国際芸術祭「あいち2022」STILL ALIVE 公式サイト
アンネ・イムホフ Anne Imhof
2022年7月30日(土)—10月10日(月・祝)
https://aichitriennale.jp/artists/anne-imhof.html