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まずは、自分の酸素マスクをつけろ

ずいぶん前に大事な人を亡くした。
詳細は省くが、
あまりいい人生の終え方ではなかった。

その時のショックはとても大きなものだったが、
悲しむよりも、その人の周りの人を支えることを
優先してしまった。

今思えば思いっきり泣いたり、悲しんだり、
落ち込んだりしなかった。
きちんとその事実と向き合うことをせずにいた。
気づかないうちに時は流れた。

そして、その人がいなくなったことを
時々思い出し、
慌ててその事実を記憶の底に沈めて
日々をやり過ごしていた。
会いたいなあ、もう会えないのか、と思いながら。

ずいぶん時が経ったある日のこと。
子どもの習い事が終わるのを待つ間に、
車を止めて周辺を散歩していた。
外は夕日が差していて、
黄昏時という言葉がぴったりな空が広がっていた。

突然目の前がぐにゃりと変形して、
世の中の見え方が90度傾いた。
怖くなって道の隅にしゃがみこみ、
これは何だろうと混乱した。
車がビュンビュン行き交う道に
ふらふらと出て行きそうになっていた。
そんなに遠くまで歩いてきたわけではなかったが、
車までの帰り方が分からなかった。
「怖い。連れて行かないで。」
胸に強くそう念じて、目をつぶった。
あの人の顔が思い浮かんだ。

ふっと我に返った時、視界は元に戻っていた。
ドキドキする胸を押さえて立ち上がり、
「子どものところに帰ろう」と
気を強く持って、何とか家に帰り着いた。

一段落してから振り返った。
あの人のことを思い出していた。

ああ、私は泣きたかったんだ、と気がついた。
もう会えないんだ。
助けてあげられなかった。
知っていたのに、救うことができなった。
あなたのせいじゃないよって、
大丈夫だよって
誰かに言って欲しかった。

誰かに助けて欲しくて、
尊敬するとてもとても優しいM先生に会いに行った。
話を聞いて欲しいと頼むと、
先生は黙って話を聞いてくれた。
話し終わると先生は言った。

「飛行機に乗ると飛び立つ前に、
 安全確認のアナウンスがあるね?
 酸素マスクの付け方の説明とか。
 あの時何というか知ってるか?

『まずは、自分のマスクをつけてください。』っていうんだよ。

それから、子どもや自分でつけられない人のを
つけてあげるんだ。そういう順番なんだよ。

先に自分ではなく、
人のことを助けようと思ってしまったら、
結局、自分も誰のことも助けられなくなる。

だから、まず自分のマスクをつけなさい。
自分のマスクをまずつけることに、
罪悪感を持ったらダメだ。」

号泣していた。
自分のことをまず助けていいよ。
と言ってもらえたことに安堵した。

「誰かのために。」
そう思うことは立派だけれど
そのために自分が倒れてしまったら、
その誰かはその後どうやって過ごすのだろう。
だからこそ、自分の酸素マスクをまず付けるのだ。
M先生はそう言ってくださった。

子どものため。
家族のため。
仕事のため。

私たちは誰からのために生きている。
でもだからこそ、
まずは自分を幸せにしてあげよう。

自分が何を幸せに感じるか。
それを決めるのは自分しかない。
自分を幸せにしてあげられるのは、
誰でもない自分なのだから。


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